第9話:”悪”友の心

「そう拗ねるなよ、イーファ」


「別に拗ねてなんかいませんよーだ」


 言葉とは裏腹に、明らかに機嫌を損ねているイーファはエンナと視線を合わせようとしない。ウォルス達に敗れてからずっとこの調子だった。


 不本意ながら助けを求めるようにアンガスをみやったが、アンガスは首をすくめるだけだ。一体どうしろというのだろうか。


「訓練なんだし、そんな気にすることないだろうに」


 口にしてから、あぁ間違えたと思った。イーファが怒っているのは自分のこういう態度に対してだということは、なんとなく分かっていたというのに。


「なんでエンナはいつも早々に諦めるんですか! 最後まで手を抜かないでくださいよ!」


 案の定、イーファは怒りの表情を露わにする。鋭い視線で見上げられて、何かを射貫かれた気がした。普段が溌剌とした少女が故に、こういう態度に出られるとどうした良いか判らない。


 最早恒例となった夕食の席にはアンガスはもちろん、フィオナもウォルスもいるが誰も口を挟まない。ただ、口論にもならない二人の諍いを静観している。


「仕方ないだろう。先生に捕まってどうしようもなかったんだ」


「捕まったまま、ぼうとしてたと聞きましたが?」


「……だから、俺の力では先生の陣を破れなかったんだよ」


「だとしても試行錯誤してくださいよ。連携の訓練のはずだったのに、結局一度も絡むことなく終わってしまったじゃないですか」


 言葉を重ねる度にイーファの機嫌が悪くなっていくのが分かった。ここまでくるとエンナにも開き直りじみた反感が湧いてくる。一体何故ここまで言われなくてはならないのだろうか。


「無駄な努力をしたって、最後には無力感に打ちひしがれるだけだ。だったら最初から何もしない方が良い」


 本心とは別の、それでもずっと付きまとってきたエンナの弱い部分が口を突いて出ていた。


 イーファの視線が更に険しくなる。怒りの火を空色の瞳に見た。


 睨み上げたまま、イーファは何かを言おうとして口を開きかけ、逡巡したそぶりを見せて結局言葉を呑み込んだ。ぎゅっと掌を握り込み、下唇を噛みしめて怒りに震える。音を立てて椅子から立ち上がったときには、もはやエンナを見てはいなかった。


「エンナのよわむし! もう知りません!」


 そのまま足早に部屋を出て行ってしまう。


 閉じられた扉の音を最後に、気まずい静寂が訪れる。


「エンナ」


 フィオナが優しげに名を呼んだ。


 エンナはすがるような思いになって、フィオナを見る。またこの人に甘えるのかと、自省の念に苛まれるが、イーファが言い捨てたようにエンナは未だよわむしだった。


「うん。ごめん……」


「わかっているのならいいわ」


 慈悲に満ちた姉の笑顔に救われた気がして、同時に孤独に襲われていた。思った以上にイーファに嫌われることに恐怖している自分がいるのだった。イーファに抱くこの同胞意識が、果たしてどこからやってくるのか判らない。


 これまでの人生において大事と思える人は何人もいる。目の前にいるフィオナやウォルスはその筆頭だ。それでも、大事な人に想われる程に、エンナは独りになっていく気がしていた。


 なのにイーファと、そしてアンガスには通ずるものを感じて仕方なかった。距離の測り方も曖昧なままに、いつのまにか二人の隣は居心地の良いものになっているのだった。


 フィオナからアンガスに視線を移す。無意識だった。


 驚いたように目を数度瞬かせたアンガスが、こんどはその瞳を伏せて仕方ないなとばかりにため息を吐く。


「エンナ、少し歩くぞ。付き合え」


 立ち上がったアンガスに促されるままエンナは部屋を後にする。


 背中に、フィオナとウォルスの優しくも寂しげな視線を感じた気がした。


 †


 夜の街並みを二人並んで歩く。


 二人の他に人通りのない煉瓦道を、家々からこぼれる灯りがほんのりと照らし出す。夜の冷気が鼻を抜けて頭が冴え、肌寒さを心地よく感じた。


 隣を歩くアンガスは、どこから持ち出してきたのか、酒壺を提げている。


「……イーファが正しいんだろうな」


 呟くように言った。


「まあな」


 少しだけ間を空けて、簡潔にアンガスが応える。ちらりとこちらを見やり、歩みは止めることなく更に続けた。


「ただ、イーファは極端だからな。誰もがあいつのように考えられるわけじゃねぇよ」


「イーファのように……」


 正義の生き物。常に正しくあるイーファの姿勢は、思い悩むのを常とするエンナには眩しいものだ。あんなふうに強く在れたらと思わずにはいられない。


「俺はあいつのようにはなれない」


 半ば諦め、そしてそれに失望していた。


 だがそれを否定するようにアンガスが首を振る。


「……おまえはなにか勘違いしてるようだな。俺から見れば、おまえもイーファも大差ないと思うぜ?」


 訊ねるように言う。いつもの意地悪さは微塵もなかった。淡々とした言葉で、果たしてエンナに何を問うというのだろう。


「数秒前の発言と矛盾しているぞ。イーファのようにいられるやつなんて、他にいないんだろ?」


「いないなんて言ってねーだろう。稀だって言ったんだ。でも、おまえは間違いなくその部類だよ、エンナ」


 アンガスが言わんとすることをエンナは計りかねている。自分とイーファが似ているとは、どうしても思えなかった。


「だったら喧嘩にはなってないと思うんだが……」


「方向性が一緒ってだけだからだ。言ったろ、イーファは極端だ。生まれ持っての性なんだろうが、あいつは誰よりも正しく在りたいと思ってるからな。間違ったことを許容できない。結果の出る前に戦いを諦めたおまえを許せなかったんだよ」


 すべて理解したようにアンガスは言う。事実そうに違いなかった。アンガスはちゃんとイーファの兄だった。


「ま、おまえに怒るのは同族嫌悪だ」


「同族……ねぇ」


「そして喜べ。あいつが怒るのは、おまえに心 を許しているからだ。大切だと思っているから、自分の在り方をおまえに押しつける。要はおまえに甘えてんだよ」


「そうは見えなかったがなぁ」


「証拠に、初めて会ったときもおまえは生きることを諦めようとしてやがったが、あいつは別に怒っていなかっただろ?」


 アンガスとそしてイーファに助けられた時のことを思い返す。たしかにあのときのイーファは怒りを露わにすることなく、エンナが助かったことをただ喜び、優しく笑んでいた。


 あれからまだ数日だ。何が変わっただろうと思う。短いながらもともに過ごした時間と、交わした言葉と約束とが、自分とイーファを近づけてくれているのなら嬉しいことだと感じた。


「まあそういうことだ。おまえが望むなら、ほっとけば仲直りできるさ。……さて、到着だ」


 アンガスが楽観的で無責任な発言で話を閉じた。


 気付くと周りの景色は移り変わっている。街の離れにある自然公園にいた。


 植えられた草花や木々が風に揺れて葉音をたてる。池には月が揺れていた。人工的な様相は薄く、それこそ自然であることに重きを置いて造られた公園だった。


 そのなかに一際目立つ樹がある。


 節くれ立った立派な幹は鮮やかなモスグリーンの苔を纏い、人が十人で手を繋いでも抱えきれないほどに太い。そこから伸びる枝の葉たちが月光を照り返して輝いていた。


「登るぞ」


 言うやアンガスは幹に手をかけ、跳ぶようにして登っていってしまう。酒壺を手にしているため、片手での木登りだった。


「一体なんなんだ……」


 呆れながらも、みるみる小さくなっていくアンガスを追ってエンナも登り始める。何故か飛ぶことをしなかったアンガスに倣って陣は使わなかった。


 ほとんど頂上にある太い枝に腰掛けているアンガスを見つけ、隣に腰掛ける。


「この年で木登りするとは思わなかったよ」


 皮肉交じりに言ってやると、アンガスにしては珍しく無邪気に笑いかけられた。


「たまにはいいだろ? この樹、初めてこの国に来たときに上空から見えてな、ここからの景色を見てみたいと思ってたんだ」


「自力で飛べるやつが今更なに言ってんだか」


「そう言うなって。地に足つけて見たい景色ってもんがあるんだよ。ーーほら飲め」


 懐から取り出した二つの小さな盃に並々と酒を注いだアンガスが、そのひとつを差し出してくる。


「俺は飲まない」


「飲めないのか?」


「……飲んだことがない」


 仲間同士で楽しげに酒盛りする天駆たちを目にしたことはあるが、チームを持たないエンナには無縁の光景にすぎなかった。必要に駆られることこともなかったから飲んだことがないし、飲んだことがないのだから嗜好品として酒を楽しむことも当然なかった。


「んだよ。飲まず嫌いかよ。いいから飲んでみろ、こいつは高級な酒だぜ?」


 美味そうに酒を呷るアンガスの薦めを頑なに拒む理由もなかった。それに、月明かりの下で星を眺めながら酒を飲むのも一興かと思った。


 杯の中で揺れる透明な液体を見つめ、アンガスを真似て一息に呷った。


 一瞬にして口の中にアルコールの刺激と香りが広がり、それが鼻腔を抜けた。


「う……げほっ、ごほっ」


 体験したことのない味覚に驚いて、慌てて喉の奥へかき込むとむせ返ってしまった。熱の塊が喉を通り過ぎていったようで、その熱がひりつく小さな痛みとなって残った。


「なんだ……これ」


 涙目になって咳き込むエンナをアンガスは可笑しそうに眺めながら、自分は二杯目を注いでいる。


「ばか。いきなり呷るやつがあるか。まずは口に含むようにして、ゆっくり味わってみろ」


「そういうもんなのか?」


 ほら、と容赦なく酒壺を差し向けてくるものだから、疑惑の眼差しを向けながらもおずおずと杯を差しだした。


 再び注がれた酒を睨みつける。意を決しておそるおそると、今度はゆっくりと杯を口元へ持っていく。すると、先程は内側からの刺激としてしか感じなかった芳醇な香りが鼻をくすぐった。


 幾分か気分をよくしながら口をつけ、言われたとおり口に含むように微量の酒を流し込んだ。舌の上で転がすように味わうと、ゆっくりと深みのある香り広がり、その奥にある爽快な甘みを感じた。こくりと喉を鳴らすように飲み下すと、先程は業火のようにすら感じた熱が、今度は仄かな陽光のように胃の腑を暖かめてくれるような心地よさがあった。


「美味いだろう?」


「わるくない……」


「そうか」


 何が嬉しいのか、アンガスの声は喜びに弾んでいる。


 アンガスの杯が空になっていることに気付いたエンナが、無言で酒壺を手にとって、顔も合わせぬまま突き出すと、アンガスはなおさら愉快げに酌を受けた。


 何杯か飲むうちに指先までじんわりと温まり、僅かに頭がぼんやりと浮かぶような感覚に襲われた。


「おまえもおまえで生き辛そうだよなぁ」


 唐突にアンガスが言った。


「なんだよ急に」


「いやさ、おまえ多少後ろ向きなところは鼻につくけど、基本人当たりは良いだろう? 国を守る精鋭である天駆であり、腕も立つ。女王の姉と国内随一の実力を持つ師匠を持ち、今日の様子を見る限り、他の天駆からの評価も悪くないときた。一見すると順風満帆な人生だ。なのに本人はこの世の終わりのような面で辛気くさい雰囲気を振りまく」


 褒めているのか貶しているのかもよくわからない散々な物言いだった。


「随分だな。……俺にだっていろいろあるんだ」


「いろいろねぇ。おまえ、生まれはこの国じゃないだろう」


 当たり前のように放たれた言葉にエンナは目を瞠って驚いた。


「どうして……」


「“エンナ“ってのは大地に生きる民の言葉だ。空の上で耳にすることはそうない」


「それだけか?」


「大地の民と空の民は、遙か古に袂を別った根本を同じとする部族だが、長い月日の中で肉体構造に多少の変化が現れている。魔導具の発展に成功した空の民はそれに頼るようになり、魔力の扱いが下手くそになった。おまえが天駆としてずば抜けた力を持っているのは、おまえの努力もさることながら、その血筋によるところも大きい」


「ヒトは空に生きることで弱くなった?」


「ものは言いようだ。大地の民は空の民のように魔導具を器用に扱うことはできないだろうさ。おまえは大地の血筋で、空の利器の扱いを覚えた特殊な例ってことだな」


 器用貧乏とも言うな、とアンガスはからからと一人で笑っている。それを呆れたように横目にしながらエンナは杯を傾ける。


「で、どういう経緯でここに?」


 歯に衣着せない物言いに、エンナは嘆息するしかない。それでも今はこの無遠慮さが妙に心地よいのだった。


「昔のことは覚えていない。赤子の頃に姉さんに拾われた」


「ふぅん」


 いかにも適当な相づちだったが、しっかり話を聞いてくれていることは分かった。酒のせいか、いつもより口が軽いエンナも構わず続ける。


「血まみれの狼獣がキウォールに現れたらしい。魔導具を不器用ながらも扱って陣を張る獣に、誰もが驚いたそうだ」


「そりゃあ驚くだろうよ。狼獣自体、見たのも初めてだったんじゃねぇか?」


「みたいだな。アイオンを見て驚くヒトも未だにいるくらいだからな」


 それくらい大地の獣が空にいることは珍しいことだった。そんなものが突然血まみれで現れたのだから、居合わせた者の驚きも並大抵ではなかったはずだ。


「それで、その背の籠に乗せられてたのが赤子の俺とアイオンだった。そこに何故か居合わせた姉さんが、恐れおののく者たちの脇を平然と抜けて、狼獣から俺たちを受け取ったらしい」


「平然とって、そのころのフィオナさんって……」


「十歳くらいだったらしい」


「……大したもんだ」


「子供の向こう見ずと言えばそれまでだが、今の姉さんを見るにそうじゃないだろうな。ほんとに凄いヒトだよ姉さんは」


 当時護衛に付いていた天駆も呆気にとられたらしいから、フィオナの資質はやはり常人のそれとは違うようだ。


「それで拾われたおまえとしては感謝の念が強すぎて後ろめたいってか。おまえは自分の出生をいつ知ったんだ?」


「よく覚えていないが、五つか六つくらいの頃だな」


「また随分と早くに聞かされたな。フィオナさんも思い切ったもんだ」


「いや、自分で気付いた。姉さんに詰め寄ったら、しぶしぶ話してくれたよ。あのときの姉さんのうろたえ様は今でも覚えてるよ。ガキだったとはいえ、姉さんには悪いことをした」


 しみじみと思い出に浸るエンナに、今度はアンガスが呆れた眼差しを向ける。


「やっぱりおまえも大概おかしいよな。普通、そんな年で感付かねぇよ」


「まあ、狼獣であるアイオンの存在もあったしな」


「それにしてもだよ。……でもそうか。おまえのそのうざったい性格にはそういう由来があるんだな」


「うるさい。余計なお世話だ」


 怒るエンナにも構わずアンガスが杯を突き出すものだから、エンナはしぶしぶ注いでやる。酒壺の中身はいつの間にか残り僅かになっている。話しているうちに随分と飲んでいたようだ。


「“エンナ“って名前は誰が?」


「籠の中に入っていた紙切れに書いてあったらしい」


「そっか。にしても、“エンナ”ってのは皮肉が効いてるな。“羽根のない者”が大地から空にやってきたわけだ」


「イーファは“羽根のある者”と言ってくれたぞ?」


 “幻想の羽根”を意味する“エンナ”を、兄は“羽根のない者”と呼び、妹は“羽根のある者”と呼んだ。果たしてどちらが正しいのかはエンナにも分からなかった。


「どっちも同じようなもんだ」


「全然違うだろう。真逆だ」


「おまえら天駆が空を走ることができるのは羽根がなかったからだろう? だから同じだよ」


 言い得て妙だったが、妙にしっくりくるものがあった。


「まあ、生まれがどうあれ、やることは変わりないさ。俺は天駆として国と、なにより姉さんを守るだけだ」


「そういう独りよがりなのがおまえの悪いところだと思うぜ? 律儀だかなんだか知らないが、誰にも甘えようとしないから、逆に周りの奴等に心配をかける」


「なんとかなるさ。俺も今のままでいいとは思っていない。なんとかしてみせる」


「だからそれが悪いって言ってんだよ。手始めに、イーファに甘えて見ろ。あいつはきっとおまえの隣にいてくれる」


 しかりつけるようにアンガスが言う。手酌し、それから空になったエンナの盃にも酌をする。最後の一滴を注ぎ終えると、酒壺を手荒に置いて、並々になった盃をずいとエンナに突きつけた。


「俺が死んだ後はおまえにイーファをまかせる」


 しみじみとそんなことを口にする。自らの死を当然のように語る口調にむっとするエンナに対し、本人はいったって満足げだった。だからエンナは盃を受け取らない。


 問いただすには今しかないと思った。


「……おまえさ、ほんとうは悪の生き物なんかじゃないだろ」


 確信的でありながら、それ故に口にできなかった言葉を、満を持して言い放った。言い切って、ちらりと隣を見やる。心臓の音がうるさく響いていた。


 なのに、


「ああ、その通りだ」


 アンガスはあろうことか、ふわりと笑んで見せた。


「おまえなぁ。よくもまあ、いけしゃあしゃあと……」


 その表情に一気に毒気を抜かれたエンナは、呆れるばかりだ。


「おまえは勘が良いからな。いつかは気付かれると思っていた」


「俺が気付くのも織り込み済みってことか」


「さあ? それはおまえがどこまで理解しているかによるな」


 見透かしたように、そして試すようにアンガスはエンナの返答を待っている。


 エンナは嘆息する。


「残念ながら、おそらく全部わかったよ」


「なら、俺の勝ちだ。俺の示す道が最善だと、おまえなら分かっちまうはずだからな」


 勝ち誇るアンガスに、エンナは思い通りにさせてたまるかという対抗意識を燃やす。エンナには珍しい傾向と言えた。


(こいつとイーファに出会ってから、自分が自分じゃないみたいだ)


 エンナは差し出されたままだった盃を受け取ると、改まったようにアンガスに向かい合った。そのあまりに真剣な顔にアンガスも居住まいを正す。


 エンナは自らの胸中を伝える言葉を探し、そんな言葉は無いのかも知れないと諦めた。それでも、ほんのわずかでもこの思いが伝わればと、意を決して思いつくままに口を開いた。


「俺は……おまえを助けるとイーファと約束した。だから、おまえの思惑通りにはさせない」


 言い切って一息に盃を傾けた。


 アンガスは不適に笑んで、同じように盃を空にする。


「受けて立つよ。やって見ろってんだ」


 火照った肌に夜風が心地よかった。二人して言いたいことを口にして、それぞれの決意を新たにしていた。


「悔いのないように最善を尽くそうぜ」


「ああ」


 進む道は違っていても、目指しているところはきっと同じと信じた。この道の先にはきっと幸福な未来が広がっていると願ってやまない。


 †


 アンガスと分かれて自室に戻ろうと城内を歩いていると、フィオナと出くわした。きっと偶然ではない。エンナを心配して様子見に来てくれたのだろう。


「アンガスくんとはちゃんと話せたかしら?」


 まったりとした口調でフィオナは訊ねる。


「いろいろ話したよ。俺や姉さんのこと、もちろんイーファのことも」


「そう。よかった。……あら?」


 突然フィオナがエンナの頬に手を伸ばして触れ、さらに顔を近づけてくる。


「な、なに?」


「お酒の匂いがするわ」


 すんすんと鼻を鳴らし、顔を近づけたままエンナの瞳ををのぞき込むようにして見た。


「アンガスくんと飲んでたの?」


「少しだけ、ね」


 別に後ろめたいことがあるわけではないのに、なんだか気恥ずかしくなってエンナはフィオナの視線から逃れた。そんな様子が可笑しかったのかフィオナはくすくすと笑う。


「今まで全然飲もうとしなかったのに、友人の力は偉大ね。なんだか妬けちゃうわ」


「やめてくれよ。別にあいつにほだされたわけじゃない」


「相変わらず素直じゃないのね。でもよかったわ。憑き物の落ちた顔してる」


「あいつと話してたら、うじうじ考えるのが馬鹿らしくなったんだ。……そういう意味では少しは感謝しないとだな」


「ふふ、そうね」


 自分のことのように嬉しげにする姉の様子に、エンナも一層幸せな気持ちにさせられていた。


「じゃあまた明日。おやすみ」


「ええ、おやすみなさい。今度は私ともお酒を飲みましょうね」


「気が向いたらね」


 照れてしまってつれない返答になってしまったが、そんなことはお見通しとばかりにフィオナはエンナの頭に手を置いて撫でた。


「楽しみにしてるわ」


 ひとしきり撫でられた後、フィオナと別れて自室に戻ると、今度はイーファと会った。部屋の前で壁を背に佇むイーファは、落ち着かない様子でそわそわとしている。


「イーファ?」


 エンナが声をかけるとイーファはびくりと肩を跳ねさせた。エンナの姿を認めるや、向かい会うように駆け寄り、視線を泳がせた後にしっかりとエンナと視線を合わせた。


「あの……ごめんなさい!」


 張り上げるような声で言うや、深々と頭を下げた。髪がさらさらと肩を滑り落ちていくが、イーファは頭を下げたきり上げようとしない。


「エンナが悪いわけじゃないのは分かっているのですが、なんだか私、エンナには自分を押しつけてしまうようで……! せっかく力になって貰っているのに、勝手ばかり言ってほんとうにすみません!」


「わかったから顔を上げてくれ! あんたが謝ることじゃないから」


 イーファのあまりに剣幕に、エンナの方がうろたえてしまった。


「でも……!」


 顔を上げたイーファの瞳にはなんと涙がに滲んでいる。


「な、なんで泣くんだよ! 俺が悪かった! 次からちゃんとするから泣くな!」


 どうしていいか分からず焦るエンナだが、それを見ていたイーファが小さく吹き出して笑い始めた。


「ふふ、ごめんなさい。エンナってすごく冷静沈着な印象だったから、そういう姿は新鮮ですね。可愛いです」


「可愛いと言われるのは複雑だな……」


「褒めてるんですよ? 私、まだまだエンナの知らない所たくさんありますから、もっとあなたを知りたいです」


「俺ももっとイーファのことを知りたい」


 少し飲み過ぎたのかも知れない。恥ずかしい言葉がすらすらと出てきていた。でもだからこそ本心でもあった。


「イーファ」


「なんですか?」


「前の賭けで、俺の言うこと何でもひとつ言うことを聞くって約束したのを覚えているか?」


「も、もちろんです! なんでも言ってくれて構いませんよ!」


 イーファが身構えるように姿勢を正す。声が少し上擦っていた。まだ無茶な要求をされると思い込んでいるようだった。


(信用されてるのかされていないのか、微妙なところだよな)


 そんなことを思いながら、エンナは首に提げたふたつの呼応石の片方をおもむろに外した。


 きょとんとするイーファに歩み寄り、呼応石を首にかけてやった。そのときに香ったイーファの甘い匂いに目眩がしたのはなんとか隠すことができた。


「エンナ? これって……」


「あんたに持っていて欲しい。これが俺からのお願いだ」


 言い終わらないうちに、またイーファの目に涙が浮かんだ。


 ぎゅうと呼応石を握りしめた後、


「エンナっ!」


「なっ……!」


 跳びつくようにエンナに抱きついた。


 とっさに受け止めたエンナだったが、空の手をイーファの背に回して良いものか逡巡してバンザイするという情けない格好になってしまった。


 そんなことはおかまいなしにイーファは抱きつく力を強める。


「ありがとうございますっ! 私、頑張ります!」


 感極まったように感謝の言葉を口にするイーファの頭に、エンナはぎこちなく手を置いた。もう片方の手はぶらりと降ろしたまま、ついにイーファを抱きしめ返すことはできなかった。


「ふたりで頑張ろう。ーーアンガスを助けるぞ」


 確固たる決意を込めて言うと、イーファは抱きついたまま顔を上げ、まっすぐにエンナを見つめてしっかりと頷いたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る