第7話:チーム

「俺が一番でイーファが二番。んでエンナが最下位、と。まあ順当だな」


 天狼たちが思い思いにくつろぐ草地を歩みながらアンガスが頷く。


「……どう考えても不公平だろう。お前らのが速いに決まってる」


「フライングして負けました……」


 最初から勝ち目などないことをわかっていたエンナは大して悔しいとも思わずいるが、アンガスに負けたイーファは悔しげにうなだれている。


「おまえもイーファもとろすぎ」


 アンガスは完全にからかう体勢に入っている。


「アンガスが速すぎるんです! それに手加減してるし……」


 エンナはイーファの言葉に驚き、アンガスを見た。


「お前、あれで手加減してたのか?」


「当たり前だろ。あれ以上ぶっちぎってどうするんだよ」


「でたらめな奴だな、ほんとに」


 もはや呆れるしかない。エンナも勝てないとは思いつつ本気で走ったのだ。魔力による肉体活性を駆使し、陣の発動も最速かつ最高のタイミングで行った。あれについてこられる者は天駆のなかでもウォルスくらいのものだろう。


 それですら置いてけぼりをくらい、アンガスはなおも本気でないという。彼の底力はどれほど強大だというのだろう。


「俺を倒す自信がなくなったか?」


「そもそもお前と戦うとは言ってない」


「なんだ、イーファに頼まれたんじゃないのか? 一緒に戦ってください、って」


 エンナはそのことを口にしてはいない。イーファを横目に見ると、イーファは慌ててぶんぶんと首を横に振っている。どうやら、イーファが言ったわけでもない様子だ。


 イーファが窺うようにアンガスを見上げると、アンガスはイーファの頭に乱雑に手を置く。


「何年一緒にいると思ってんだ。お前の考えそうなことなんてお見通しだよ」


「……別にアンガスにばれたって関係ありません」


 イーファはばつの悪そうに唇を尖らせている。どうやらばれるとは思っていなかったようだ。


「で? どうやってエンナを落としたんだ? 色仕掛けか? あいつは一筋縄じゃあいかないだろう?」


 エンナに聞こえないようイーファの耳元でアンガスが囁くと、イーファは一気に顔を紅潮させて声を上げた。


「そんなことしてませんっ!」


「はは、幸せそうで何よりだ妹よ」


 何の話をしているのかと首を傾げるエンナと、仲睦まじく喚く兄妹の姿を、天狼たちが何事かと見やっていた。


 しばらく歩くと、巨木の下で天狼たちが何頭か身体を丸めて眠っているのが見えてきた。木の葉の隙間からこぼれる陽が、編み目になって天狼の身体にゆらゆらと揺れていた。


 その中に、一頭だけ明らかに異なる種の獣があった。アイオンだ。翼を持たぬその姿は、天狼たちのなかにあるとどうにも浮いて見えるのだが、当人たちはそんなこと関係ないように身を寄せ合って穏やかに眠っている。


 微笑ましい気持ちにさせられる光景だった。ヒトもこんな風に在ることができたらとエンナは思う。


 エンナたちが近づくと、天狼たちの尖った耳がぴくりと動いた。しかし近づいてくるエンナたちに害意がないことを敏感に察すると、うっすらと開いた瞼を閉じて、再びまどろみの中へと沈んでいく。


 エンナの姿を認めたアイオンだけがのそりと起き上がり、他の天狼たちを起こさぬよう静かに木陰から出てきた。


「休んでるところ悪いな、アイオン」


 エンナが頭を撫でてやると、アイオンは嬉しげに喉を鳴らす。

 イーファも横から手を伸ばし、首元の真っ白な毛並みを優しげに撫でた。


「ごめんね? まだ休んでてもいいよ?」


 イーファが言うと、アイオンは心配無用とばかりにイーファに身を預けて頬を擦り寄せた。


「あはは、くすぐったいよ」


 嬉しそうに表情を和らげるイーファに、エンナも穏やかな気分にさせられる。そんな様子を見ていたアンガスが隣にやって来た。


 二人して、アイオンとじゃれ合うイーファを遠巻きに眺めた。

 しみじみとした様子でアンガスが口を開く。


「どうだ? 可愛いだろ、俺の妹は」


「惚気るなよ」


「事実だろ?」


「……否定はしないさ」


 反論する理由も術もなかった。


 アンガスはそんなエンナを面白がるような眼差しで見ると、小さく笑んだ。


「珍しく素直だな。素直ついでにもうちょっと頑張って口説いてみたらどうだ?」


 どことなく本気な様子のアンガスをエンナは意外に思う。妹に近づく男は許さないといった考えをしても良さそうなくらいアンガスはイーファを溺愛しているように見えた。


 同時に呆れてもいる。イーファ自身にも昨夜同じようなことを言われたばかりだ。兄妹揃って人をからかって何が面白いのだろうかと思う。


「俺にはもったいないな」


 謙遜ではない。受け流すようなふりをしながらも本心から出た言葉だった。


「そんなことねぇよ。おまえだったら、許すよ」


 アンガスは至って真面目にそんなことを言う。エンナとしてはわけがわからない。一体何を考えているのだろうか。


「大事な家族だろう。もっと真面目に考えてやれ」


「考えてるよ。……あいつの幸せは何にも代え難い」


 呟くように零れた言葉はアンガスの本音に違いなかった。不適なこの男の時折見せるこういう所は嫌いになれないエンナだ。知らず知らずにふっと微笑んでいる。


「そう思うなら、自分が死ぬことなんて考えるな。お前が生きていることがイーファにとって、なによりの幸福だよ」


「甘ちゃんな考えだなぁ。あれもこれもと、全部なんて手に入らないもんなんだよ。人生なんてそんなもんさ」


 人生などと大それたことを語るアンガスがこれまで何を見て、感じてきたのかをエンナは知らない。そしてヒトならざるこの男がこれまでにどれほどの時を生きてきたのだろうか想像がつかなかった。


「イーファにとってはお前の存在が全部だよ。それこそ何を投げ打ってでも守りたいだろうよ」


「今はそうかもな。……でもそれじゃあ駄目なんだよ」


 寂しげな眼差しを妹の背に向けるアンガスに、エンナはなんと応えて良いのか判らなかった。


 口をつぐみながらももう少しアンガスと話したいと思うエンナだが、背後に人の気配を感じてその機会は失われた。


「エンナか?」


 振り返るとウォルスがこちらに歩いてくるところだった。その背後には見知った顔がもう二人いた。男性の方がリオウ、女性の方がフィスという。二人とも二十代半ばとまだ若いが才気溢れる天駆であり、ウォルスの隊に所属している。


「先生、どうされたんですか?」


 今日、ウォルスの隊に任務の予定はなかったはずである。


「こいつらが訓練に付き合えとうるさくてな。仕方ないからこれから実戦訓練だ」


 親指で背後の二人を指しながら嘆息するウォルスだが、内心では部下に稽古をつけられることを喜んでいるだろう。その姿はどことなく嬉しげに見える。


 リオウとフィスに視線をやると、二人して微笑みかけてくれた。リオウは大人びた穏やかさで、フィスは無邪気に心から溢れるような笑みだった。これだけで二人の性格が知れるようだ。


「エンナ、この前の戦闘では大活躍だったね!」


 フィスが弾けるような陽気さでエンナを称える。突然エンナの頭を脇に抱えると、わしゃわしゃと撫でた。乱暴ながらも親しみのこもった振る舞いだった。


「やめてください、フィスさん!」


 気恥ずかしくなったエンナはなんとかフィスの拘束から抜け出そうとするか、なかなかの力で抱えられていて逃げることができない。


 見かねたウォルスが嘆息しながら助け船を出す。


「フィス、放してやれ。それからこの度の戦闘でエンナがした単独行動は褒められたものではない。安易なことを言って勘違いさせるな」


「えー、でも実際のところエンナの活躍がなければあの天魔を撃退できていなかったと思いますよ」


 渋々といった様子でエンナを解放したフィスは不満げだ。


「それとこれとは話が別だ」


 ウォルスは言い切る。


 エンナ自身も反省はしているのでなんとも居心地の悪い思いをしている。ただ、以前アンガスに言われたとおり、次に同じ状況になったときに行動を改める自信もないため、曖昧に笑んでいることしかできなかった。


「そんなこと言って。隊長が一番心配してたくせに……」


 フィスがぽつりとこぼすが、聞こえなかったのかあるいは照れ隠しなのか、ウォルスは何も応えなかった。


「でもエンナがひとりで戦場に出るのを許容されている現状にも問題があると思いますけどね、俺は」


 落ち着き払った口調のリオウの言には、エンナをはやくどこかの隊に入れるべきという考えが見て取れた。


「まあな……」


 思案するように手を顎に当てながらウォルスがエンナを一瞥する。


「そうだよ。やっぱりうちの隊に入りなよ、エンナ」


 フィスは名案とばかりに目を輝かせている。


「お気持ちは嬉しいですが、国内随一と名高い先生の隊に入るには、俺はまだまだ未熟ですよ」


「よく言うよー。私たちよりよっぽど才能あるよエンナは」


 フィスは呆れたように言うが、エンナは本心からウォルスの隊に入る資格は自分にはないと思っている。


 実力的には問題ないというのが正直なところだが、チームに必要なのは個人の能力だけではない。規律だとか仲間との連携だとか、そういうものが自身に圧倒的に足りていないことを自覚していた。


 ウォルスは以前、「そんなものは実戦で学べばいいから俺の隊に入れ」と言ってくれたが、エンナはそれを断っている。尊敬する師匠に迷惑を掛けたくないと思っていた。ウォルスもエンナの複雑な心境を汲んでくれたのか、それ以来そのことを口にしなかった。


 フィオナやウォルス、フィスにリオウも、皆がエンナを心配してくれている。それに応えることができない自分にエンナは嫌気が差していた。


 いつの間にか顔を伏せていた。優しい人たちの顔を見るのが怖くなっていた。


 そのときだ。


「——なら、おまえのチームをつくれよ」


 染み入るように耳に届いた声に、思わず顔を上げた。果たして、柔らかに笑むアンガスと目が合った。


「お前はお前の在りたいように在るべきだ。そのために、お前のチームをつくるんだ」


 呈するでも押しつけるでもなく、ただ当然の道理を示すような口調だった。


「なんて顔してんだよ」


 呆気にとられたエンナの頬をアンガスがつねり上げる。


「……いてぇよ」


「そうか、そいつは重畳だ」


 アンガスは満足げに頷いた。


「おい、イーファ」


 そのまま振り向くや、アイオンと戯れていたイーファを呼んだ。


「なんですか……って、エンナ?」


 小走りで駆け寄ってきたイーファは何故かそのままアンガスの脇を抜けると、エンナの前にやって来る。アンガスは寂しげながらも温かな眼差しでそれを見送った。


 イーファはそのままゆっくりと手を伸ばして、エンナの頬に触れた。


「どうした?」


 ひんやりとしたその感触と、気遣わしげに揺れる空色の瞳にエンナは戸惑う。


「大丈夫ですか?」


「なにがだ?」


「いえ、その……泣きそうな顔、しているから」


 ためらうように放たれた言葉に、エンナは目を瞠る。そんな顔をしている自覚はなかった。イーファの頭越しにアンガスを見た。


 アンガスはやれやれというように首を振る。


 途端に恥ずかしさが込み上げた。


「大丈夫だ。少し感傷的になっただけだ」


「なら、いいですけど……」


 なおも心配げに瞳を揺らすイーファの態度にいっそう顔に熱が集まる。知らずのうちに頬に添えられたイーファの手に、自らの手を重ねていた。


「……あんたは、隣にいてくれるか?」


 言葉にしてから、はっとなってイーファを見た。意図せず零れた胸中であり、そんなことを口にした自分自身に驚いていた。そもそも隣にいたいと言ってくれたイーファを昨夜拒んだのは自分だったはずだ。


 イーファの反応は見物だった。


 つぶらな瞳をこれでもかと見開いて驚いていた。そうしてしばらく呆けていたかと思うと、次の瞬間には力の抜けた温かな笑みを浮かべている。


「もちろんです」


 明快な応えが耳元に届き、そのたった一言に含まれた意志に心が震えた。状況も把握できないまま、おそらく直感だけで放たれた応えに違いなかった。そのことが一層嬉しかった。


 今度こそ本当に泣きそうになったが、込み上げる涙を必死にこらえた。


「それで、なんの話をしているのですか?」


 愛らしく小首を傾げるイーファの態度に、泣きそうになりながらも心底可笑しい気持ちにさせられた。


「わけもわからず返事したのかよ」


「だって、あんな言い方されたら、どう転んだって返事は一つですもん」


「さっきのは言葉の綾ってやつだ」


「嘘ですね。私にだってそれくらいはわかります」


 自信満々に豪語するイーファにエンナは苦笑で返し、イーファもまた笑った。


「はいはい。いちゃつくのは二人っきりのときにしな」


 アンガスが見かねたように割って入り、イーファは思い出したようにエンナの頬に添えていた手を引き、顔を真っ赤にして弁解を始めようとする。しかしアンガスがそれを遮った。


「イーファ。エンナがチームをつくるよ。お前が一人目のメンバーだ」


「エンナがチームを……?」


 一転して真面目な調子のアンガスに、イーファも感化されて姿勢を正している。人を食ったような態度を常としているくせに、大事なときにこそまっすぐに言葉を伝えられるのがこの男の不思議なところだとエンナは思った。


「おい、勝手に話を進めるなよ」


 戸惑いを隠せず焦るエンナ。その顔をのぞき込むようにしてイーファが顔を近づける。イーファの瞳は期待に満ちた輝きに溢れていた。


「一緒に頑張りましょうね!」


 いかにも嬉しげなイーファの様子に、エンナは出かけた苦言を飲み込むしかなかった。してやったりとばかりの表情を浮かべるアンガスがなんとも憎らしい。


「それはいい。エンナ、やってみろ」


 ウォルスにまでそんなことを言われてしまっては逃げ場はなかった。


 フィスとリオンも納得したようで、


「んー、私としては同じ隊になれなくて残念だけどなぁ」


「でもエンナのためには良いだろう」


 他に誰かエンナのチームに相応しい奴はいないかと、当人を置き去りにして二人して歓談している。


「俺の意見は聞いてもらえないんですね……」


「おまえ一人じゃ、ぐずぐずしたまま何も変わらないからな」


 なにがそんなにも楽しいのか、アンガスはいかにも上機嫌だ。


「ならアンガス、お前が二人目か?」


「あぁ? そんなわけないだろう。甘えるな。残りのメンバーは自分で探せよ」


 もうなるようになれという気で問うたエンナに、アンガスは素っ気ない応えを返す。


「俺にそんな器量はない」


「うるさい。そんなことをおまえが勝手に決めるな。とにかくあがけよ。もちろんイーファとふたりでな」


 アンガスがちらりとイーファを見やると、イーファは心得たとばかりにぐっと握り拳をつくる。


「そうですよ。ふたりでならきっと大丈夫です」


 根拠のない宣言に、言いようのない安堵と高揚を与えられるのは何故だろうか。ぼんやりとしか見えなかったエンナの望む未来に、わずかだが確かな標が示されていて、その兆しを感じているに他ならなかった。


「というわけでウォルスさん、今日はこいつらもあんたたちの訓練に参加させてやってくれよ」


 どういうわけか分からぬことをアンガスが突然言った。


「そうだな。チームを作るとなれば連携の訓練は必須だ」


「そういうこと。せっかくだからあんたのチームも見てみたいしな」


 挑むように言うアンガスに、ウォルスは苦笑を漏らす。困惑ではなく、喜びから露わになった表情だ。


「君は侮れないな」


「今更気付いたか」


 なにやら二人して合点している。この二人、正反対のような性格をしながら、どこか似たもの同士でもあった。


「……一つ条件がある」


「なんだい?」


「君も参加してくれ。三対三で対戦と行こう」


 アンガスは一瞬悩むような素振りを見せたが、すぐさま快諾する。


「了解だ。ま、あくまで俺はゲスト参加だがな」


 あれよという間に話は済み、結局エンナの意向は尋ねられることもなく合同訓練が行われる運びとなってしまった。


 もはやエンナも何も言わない。深い溜め息を零すだけだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る