第3話:大空の国「キウォール」

 キウォールが見えてきた。


 空を悠然と進行する浮島は、いくつもの巨大な陣によって浮遊している。エンナの魔導具と同色のアースブルーの陣には複雑な演算式が展開され、それがたえず座標を変えながらキウォール国を支えているのだ。


 ウッドブラウンを基調とした、雑多に立ち並ぶ街並みが乱雑さゆえの美しさを見せ、その中心には国の象徴であるキウォール城がイノセントホワイトに一際輝いて見えた。


「綺麗な国ですねぇ」


 エンナの肩越しにのぞき込み、イーファが後ろから溜め息交じりに零した。


 首元に温かな吐息がかかり、エンナはぞくりとした。なんとも心臓に悪い。胴に回された白く華奢な手と、もどかしい距離で触れる柔らかなイーファの身体にエンナの鼓動は高鳴るばかりだった。


 そんなエンナの気持ちを知ってか知らずか、アイオンはお構いなしにキウォールに向かって空を駆け、きまぐれに身体を揺らすほどの大きな跳躍をしてみせる。そのたびにイーファがぎゅうと抱きついてくるのだ。仄かに香る甘い匂いに目眩すら感じていた。


「ああ。確かにこれは大したもんだ」


 アイオンの背に乗るエンナとイーファの横で、こちらは自らの力で浮遊しているアンガスが、本心かも分からぬような口調でイーファに賛同を示す。


 その横顔を見遣ると、意外なことに穏やかな表情を見せている。エンナがなんとなく拍子抜けしていると、視線に気付いたアンガスがふとこちらを向いた。


 エンナと目が合うや、アンガスの瞳にあの意地の悪そうな光が灯る。今度はなんだとエンナは思わず身構えた。


「それにしてもお前ら、随分と仲が良さそうだなぁ」


 にやにやとしながらそんなことを口にする。


 何か言い返さなければと思いながらも言葉の出ないエンナは羞恥からか、さらに顔が熱くなるのを感じた。そんな様子に一層笑みを深めるアンガスを睨み付けることしかできなかった。


「アンガスもどうですか? 自分以外の力を借りて飛ぶのもいいものですよ。アイオンの背中はゆりかごみたいです」


「そうか、じゃあ俺と交代してくれよイーファ。まさかエンナを降ろすわけにもいかないしなぁ」


 微妙にずれた発言をするイーファに、いかにも面白がっている様子のアンガスがあっけらかんと言う。


 どうする、という視線をアンガスに向けられたエンナは、付き合ってられるかとばかりに顔を背けてやった。アンガスとアイオンの背に二人乗りする自分を想像してしまい、怖気が走った。


「……もうすぐに着くからまた今度な」


 今にもアイオンの背から飛び降りようとしているイーファを声で制した。不満げな声を上げる少女をあえて無視する。


「はは、野郎と相乗りなんて嫌だとよ。まあ俺も遠慮願いたいところだが」


 アンガスが可笑しそうに笑った。


「もう! ふたりとも仲良くしてくださいよ? せっかくこうして出会えたのですから」


 イーファが拗ねたような声音で言うが、エンナとしては無理な相談だった。なぜだかアンガスが気にくわなかった。こちらの心の内を全て見透かした上で面白がっているような態度がそう思わせるのかもしれない。


 そうこうしているうちに、キウォールの外縁部にある天駆専用のターミナルが間近になっていて、アイオンは慣れた足取りでそこに向かって降りていく。


「あれ? 誰かいますよ」


 イーファの言うとおり、ターミナルには二人の人影があり、こちらを見上げていた。


 エンナにはその二人が誰なのか遠目にもすぐにわかった。後ろめたさから踵を返したい衝動に駆られるが、そういうわけにもいかずにアイオンの行くがままにまかせた。なんともばつの悪い心持ちだった。


 最後の陣を踏み切ってアイオンが大きく跳んで着地する。その豪快さとは裏腹に、全身のバネを使うことで背のエンナとイーファには衝撃を与えない。


 ねぎらいの意を込めてアイオンの首元を撫でてやってから、エンナはその背から降りた。


 イーファの手を取り、降りるのを補佐し終えたその時だった。


「エンナ!」


 今にも泣き出しそうな切なる声音が聞こえたかと思うと、胸に飛び込んでくる人があった。突進さながらの抱擁をエンナは驚きながらも受け止める。


「よかった、無事だったのね!」


「姉さん……」


 胸元に顔を埋めている姉の表情は窺えないが、不器用にも手を回した姉の華奢な肩が震えているのには気付いていた。こんなにも心配をかけてしまったことに罪悪感を感じながらも、温かな気持ちにもさせられていた。


 ここにいても良いと思わせてくれる場所があることに安堵した。


「ごめん、姉さん」


 未だに顔を上げようとしない姉の頭に手を置いて言った。陽光を浴びたリリーブロンドの髪は驚くほど滑らかで、心地よかった。


 しばらくの間そうしていた後、姉が唐突に顔上げた。


 深い金色の瞳に涙を浮かべ、睨むような鋭さでエンナを見上げている。


「あなたはどうしていつも無茶するの! 心配ばかりかけて! みんなが……私がどれだけ心配したと思ってるの……っ!」


 感情にまかせて、まっすぐな思いをぶつけるように姉はエンナをまくしたてる。途中からは嗚咽混じりになりながらも、それでも溢れる言葉を収めようとはしない。


「あなたがひとりぼっちの気でいることは知ってるわ! ……でも、あなたを大切に思っている人もいるのよ」


 徐々に語気を和らげ、ふたたび抱きついてくる姉に、エンナはたじろぐしかなかった。

 

姉の言葉を嬉しく思いながらも申し訳なかった。姉やウォルスが自分のことを想ってくれているのはわかっているし、そこに居心地の良さを感じているのは確かだ。しかしエンナには時々、それがどうしても遠いところにあるように思われてしまうのだった。


 姉がこの思いを敏感に感じ取って心を痛めていることをエンナも知っていて、それはとても心苦しいことだった。


「エンナ」


 どうしたものかと困り果てていると、後ろで見守っていたウォルスが口を開いた。


「先生、俺は……」


 怒られると思った。


「よくもどった」


 しかしウォルスは憮然としてそう言ったきり黙ってしまう。


 エンナが反省しつつも、どうしようもなくて足掻いていることを察しているが故の態度だと知れた。込み上げるものがあった。尊敬する師に頭を下げる。今はそうする以外の方法を知らないでいた。


「エンナ? そちらのおふたりは……?」


 ようやく落ち着きを取り戻した姉が身を離して、エンナの背後で静観していたアンガスとイーファを見遣った。


「あぁ、このふたりは……」


 どう説明したものかと思考していると、イーファと目が合って微笑まれてしまった。


「はじめまして、わたしはイーファと言います。こっちは兄のアンガスです。ふたりで旅をしているんです」


 朗らかにイーファが言う。


 ふたりが兄妹と聞いて、エンナは少し驚きながらあらためて二人を見た。容姿もそうだが、奔放なアンガスと礼儀正しいイーファはあまり似ていないなと思った。


 イーファの隣で、今度はアンガスが口を開く。


「おたくの弟さんが死にかけてるところに偶然通りかかってね。暇つぶしついでに助けてやったんですよ」


「死にかけ……っ!?」


 アンガスの言い放った、死にかけていたという言葉に姉は驚き、目を瞠った。


 余計なことを言うなとエンナはアンガスを睨んでやったが、アンガスはわざとらしく、まずかったかとばかりに首を傾げて見せるだけだ。


 姉が見上げてきたが目を合わせられず、顔を背けてしまった。なおも姉の視線を感じながら、居心地の悪い時がしばらく続いた後、姉が小さく吐息したのが聞こえた。


「そうですか……。アンガスくん、イーファちゃん、エンナを助けてくれてほんとうにありがとう。感謝してもしきれないわ」


 姉が真摯な謝辞を述べる。そしてエンナから身を離し、打って変わった泰然たる佇まいで二人に向き合った。


「私はフィオナ・エル・ウェルノスです。エンナの姉で、この国の女王でもあります。」


 エンナの姉にしてキウォール国の主であるフィオナは、艶然とした笑みをふたりに浮かべた。


「ようこそキウォールへ。ふたりを歓迎するわ」

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