羽根のない人

葛史エン

第1話:空を駆ける者たち

 空に、いくつもの光があった。


 色彩も濃淡も様々な柔らかな光の群れ。それは輩の証だ。


 魔力を吸収し、光として乱反射する特性をもつ呼応石はチーム内の意思疎通を図る道具として天駆たちになくてはならないものとなっている。


 呼応石の放つ光色はその形状によって異なり、寸分の狂いなく同じ多面形にカットされた呼応石同士は魔力を介して共鳴するのだ。


 天駆は皆、それぞれのチームカラーを放つ呼応石をペンダントにして首に提げている。同色の光が四つ五つと固まり、それが十数にもおよぶ群を成していた。


 綺麗だとエンナは思う。


 気付くと、自らの胸元の二つの呼応石を握りしめていた。その冷たい感触がエンナの波打った心を落ち着かせてくれる。


 魔力を込めると掌の中で光が満ちて溢れた。


 ゆっくりと握った掌を開くと、あらわになった二つの呼応石が同色の光を放つ。


 澄み渡る大空よりも蒼いアースブルー。その光は何処までも美しく、しかしそれゆえに寂しげだった。自分にはふさわしくない、どこまでもまっすぐな光だと思った。


(未練がましいったらないな……)


 仲間ができたときに渡しなさいと姉が手ずからつくってくれた二つの呼応石は、意匠を凝らした特注品だった。しかしこの呼応石が本来の使い方をされることは未来永劫ない気さえしてしまう。


 エンナだって一緒に戦う仲間が欲しかった。しかし誰かといることは自由を奪われることと同義だ。


 エンナは、自由に空を駆けていたいと思う。そう願うことをやめられない。


 ぐるるぅ、とアイオンが弱々しく唸りながらこちらを見上げている。狼獣特有のリーフグリーンの三日月の瞳が、今はその鋭さをひそめて気遣わしげな光を湛えている。


 なんだか気が抜けて、小さく吐息して笑んだ。


「俺は大丈夫だよ、アイオン」


 首元を撫でてやると、アイオンは気持ちよさそうに喉を鳴らす。エンナの掌に押しつけるように身を寄せるものだから、危うく体勢をくずしてその背から落ちてしまうところだった。


 エンナが落ちてしまわないようアイオンが器用に身じろぎすると、鞍に納めた数多の魔武器が揺れて当たり、金属質な音を立てた。その重量は相当なものになるはずだが、アイオンはそのことを苦にする様子もない。


 “羽根のない生き物”であるアイオンは今、大空に立っている。正確には魔力で形成した陣の上にその四足を置いていた。


 陣は本来、人が魔導具を使って空中に足場として創り出すものだ。人が大空の中に生きられるのは、この技術があってこそと言えた。


 アイオンは獣でありながら魔導具を扱うことのできる希有な存在だった。エンナにとっては幼い頃から共にあったかけがえのない兄妹でもある。


 アイオンの背に跨がったまま、再度、他の天駆たちを見遣った。暖かな日差しのなかにある呼応石の光を目を細めて眺める。


 皆、緊張の面持ちで何かを待っている。天駆を乗せた“羽根のある生き物”である天狼たちは、その美しい羽根を羽ばたかせて器用に滞空している。アイオンと同様、たくさんの魔武器を納めた鞍を身に纏っているのに、なんと大地から解放された身軽さだろうか。


 にわかに一帯に影が差した。


 天駆たちが一斉に上空を仰ぎ見る。アイオンが威嚇の唸りをあげた。


 果たして上空にそれはいた。


 羽根のある生き物〈天魔〉。


 天駆を乗せる天狼とは対を成す生き物だ。凶暴にして強大な力を持ち、空に生きる人の天敵である。


 天魔を討伐し、人々の生活を守ることこそ天駆に課された使命だった。


「こいつは大物だ」


 空を覆うほどに巨大な体躯は漆黒の鱗に守られ、畏怖すら感じさせる厳めしい羽根をはばたかせている。ダークレッドの瞳が、感情を窺わせない眼差しで天駆たちを見下ろしていた。


 身体中の血流が冷え切って、肌が粟立つ。一方で、口を突いて出た呟きは高揚の熱を帯びていた。


 敵を見据えた天駆たちが動く。


 先陣を切ったのはウォルス率いる国内最強のチームだった。ウォルス隊のカラーであるローズレッドの輝きが五つ、天魔に向かっていく。


 それを皮切りに他のチームも皆動いた。それぞれのチームカラーが一つの生き物のように統率の取れた臨戦態勢に移行していく。


 その様子をエンナはただ眺めている。彼らの姿が遠くに見えていた。


 チームごとに固まっていた呼応石の光が、ふいにばらけた。


 散り散りになった天駆たちはしかし、呼応石の魔力によって心を重ね、言葉で交わす以上に互いを共有している。


 シャインイエロー、スノーホワイト、クラウドグレイ、エメラルドグリーン、アクアブルー……。眩しい光たちが天魔とぶつかる。



 静まりかえっていた大空が、大気の震えとともに音を取り戻す。


 爆発音が響いた。剣戟の音がいんいんとして虚空に溶けていく。


 空中に一つの陣が展開された。


 光の円環とその中に展開される演算式が、天駆にとっての大地を空に形成する。あの美しいローズレッドの陣はウォルスのものに違いないだろう。


 その陣に、天狼の背から降り立つ影があった。ウォルスだ。


 自らつくった陣を踏み台にして天魔に向かって跳んだ。すれ違いざまに剣撃を浴びせたのが見えた。


 天魔が怒りの雄叫びを上げた。大気を震わせるその悪なる叫びに何人もの天駆が身を強張らせた。


 天魔が空中のウォルスに向かって強靱な爪を向ける。振りかぶった腕を鞭のようにしならせ、ウォルスを襲った。


 ウォルスはすぐさま足下に陣を張り、飛び退いて離脱する。その先にウォルスの相棒である天狼が示し合わせたかのように居て、ウォルスは難なくその背に回収された。


 天駆たちの攻撃が止むことはない。続々と陣が張られ、空はあっというまに呼応石と陣との光に埋め尽くされた。陣と陣とを天駆が飛び交い、そこに天狼が介入して天駆たちを補佐する。


 まさに死闘でありながら、光のなかで展開される戦闘はある種の美しさを感じさせた。


 心が疼いた。傍観に耐えない戦場が眼前にあることを、エンナは無意識のうちに喜んでいる。あれこそ自分の生きる場所だと悟っていた。


「さぁ、行くかアイオン」


 気付かぬうちに口の端をつり上げながら、戦場を見据えた。


 エンナの言葉に応えてアイオンが動く。獣の脚力を存分に使い、足場にしていた陣から大きく踏み出した。左前脚に装着した腕輪型の魔導具がアースブルーの光を放つ。その身体が大地に引き寄せられる前に、アイオンは次なる陣を展開する。形成した陣を踏み切り、さらにもう一歩。続々と陣をつくって空を駆ける。


 天駆たちと彼らの陣との隙間を力強くも器用に駆け抜けて、一瞬のうちに天魔のもとにたどり着いた。


 エンナはアイオンの鞍に提げられた剣の魔武器を一つ握り、魔力を込めた。魔力を使ったことで再びエンナの胸元で二つの呼応石がいっそうのアースブルーの輝きを放つ。戦いの始まりを告げる瞬きだった。


 エンナの魔力に反応して魔武器を納めていた鞘の安全装置が外される。落下防止に掛けられていた錠がカチ、という音と共に解放されたのを確認するまでもなく、エンナはアイオンの背を蹴って跳んでいた。その勢いで抜剣して大空に躍り出た。


 一瞬の浮遊感に身をまかせ、すぐさま落下が始まる。目標は天魔の背だ。


 風を感じながらの落下に心躍らせる。羽根を持たない人は飛べないが、それでも空を駆けることができる。空に落ちていくことができる。


 視界に広がる青空と白い雲。頬に感じる心地よい風。鼻を抜ける空の匂い。


 なんと素晴らしいことだろうと思った。


 見事に天魔の背に飛び乗った。着地の瞬間に膝を曲げ、全身をしならせることで勢いを殺している。


 漆黒の鱗がまるで金属のように硬いのを踏みつけた感触で知る。


(これはむやみに斬ってもしょうがねえなぁ……)


 戦闘の興奮を覚えながらも、エンナの思考は冷静にして沈着だった。


 視野を広げ観察し、状況を把握する。そのくせ基本的には恵まれた反射神経に飽かせた動きをするのがエンナの戦い方だ。冷めやった思考と、それと共存する戦いへの熱量こそエンナの強さの所以だった。


 一瞬にして斬撃の線を脳裏に浮かべ、視界にある天魔の身体にそれを重ねた。


 斬った。鱗の隙間を、刃が滑るように走った。たしかな手応えがあった。


 天魔が悲痛なる叫喚をあげる。耳をふさぎたくなるほどの大気の震えにエンナは顔をしかめるが、それどころではない。


「うおっ!?」


 急滑空。一瞬身体が浮き上がり、それに体勢を崩す。しかし無理に立て直すことはせずに、流れに身をまかせる。


 天魔の巨体と一緒にほとんど平行落下しながら、もはや黒い壁と化した躯の上を駆ける。そうしながら隙を見ては切り刻む。


 その体格差故に、大した傷を負わせることはできないが、確実に小さな傷を積んでいくのだ。


 視界の端に異物を捉えた。危険信号が全身を駆けて総毛立つ。反射的に天魔の躯を蹴り、迷うことなく大空に離脱した。


 数瞬前までエンナのいたところに天魔の尾が鞭のようにしなって通り過ぎていった。そのときにはエンナはすでに天魔の躯全体が視界に収まる位置まで離れてしまっている。


 空中に身を委ねたまま、左の掌を天魔に向けた。指輪型の魔導具が、人差し指でアースブルーの光を湛える。天駆が身につけるあらゆる装飾品は、呼応石を筆頭に、国を守護する者を彩るものでありながら、同時にそのほとんどが魔導具であった。


 今エンナが発動する魔導具は陣を形成するためのものだ。陣の持続時間こそ短いものの、形成までの距離、そして面積の大きさが極めて優秀な逸品だ。


 天魔の進行方向に巨大な陣が現れて壁となる。アースブルーの演算式に天魔は激しくぶつかり、その身をひしゃげさせる。


 この機を逃す手はない。


 アイオンが駆けてくる。その背に着地する。天魔に向かう。

 距離が縮まったところでもう一度、陣を展開しにかかる。今度は右手の薬指の魔導具を発動させる。先ほどのものより発動距離が短く、面積も小さいが、発動数と持続時間に優れた魔導具だった。


 見る間に小さな陣たちが天魔の身体を捕らえるように取り囲む。それら一つ一つが楔だった。


 座標を固定された陣にその身を捕らえられ、動けなくなった天魔が咆哮する。


「そう吼えんなよ。今すぐ、叩き斬ってやる」


 そこに突撃しようと、アイオンの鞍から大剣を引き抜こうとしたときだ。


「待てエンナ!」


 良く通るウォルスの声が聞こえた。


 エンナが指示するまでもなくアイオンが急停止する。エンナは掴んでいた大剣の柄を放し、代わりに銃を抜いた。威力重視の武骨なその銃を、捕縛した天魔に差し向け、魔力を込めた。


「まったく……」


 ウォルスに向けてごちた。好き勝手できないことへの苛立ちと、まだほんの少しだけ残ったチームプレイへの羨望が腹の中で渦巻いていた。


 エンナの悪態をかき消すように、魔力が弾けて爆音が響いた。


 銃声は一つではない。


 四方八方から様々な色が瞬き、銃声が重なっている。天駆たちによる一斉の長距離砲撃だった。


 天魔が一瞬にして爆煙に包まれ、誰もがその成果を見守った。


 真っ先に異変を感じたのは、陣で天魔を縛っていたエンナだった。硝子の割れるような乾いた破砕音が響いた。陣が破壊されたのを指輪の魔導具を介して感じる。


「来るぞ!」


 叫んだ瞬間だった。煙を突き破って、凄まじい勢いで天魔がその姿を現した。


 不意を突かれた天駆が何人か体当たりを受けて、天狼の背から落とされた。


 先ほどまでの動きとは桁違いの敏捷と力強さで天魔が飛ぶ。それを再度捕らえようと、色とりどりの陣が天駆達によって展開されるが、黒い巨体の軌跡に尾を引くのみで捕らえることができない。


 嵐のごとき羽ばたきに巻き込まれ、すれ違いざまに身体をぶつけられ、あるいは悪なる爪と牙に引き裂かれて天駆たちが続々とやられていく。


 一瞬にして戦場が混乱に陥った。


 それでも逃げ出す者が現れなかったのは、流石に精鋭たるチームを集めただけはあった。しかし、もはや有効な攻撃を行うには至らない。自力で劣る人が連携を失って勝てるはずもなかった。


 ここまでかと誰もが思ったとき、天災さながらに暴れ回っていた天魔が突如として戦場から離脱するように上空へ飛んだ。その目はすでに天駆たちを見てはおらず、こちらへの興味を失ったかのように見えた。


 エンナが、それを追うという選択をするのに迷いはなかった。そうすることが必然と思われていた。その意志を代行するように、アイオンが吼えた。上空に向けて足場となる陣を展開するや、凄まじい勢いで駆けだした。


 その背に掴まって風を感じながら、エンナは天魔の後ろ姿を睨み付けている。逃がす気は毛頭なかった。


「エンナっ!!」


 悲痛なウォルスの叫びに、迷いが生じかけたがすぐさま捨て去った。ここで止まることはできない。立ち止まることはなにより怖いことだ。


 人や狼獣のように、本来大地に生きるべき“羽根のない生き物”は、空では魔力の扱いが極めて困難になる。それは高度を上げるほど顕著に現れる。対して、“羽根のある生き物”である天魔や天狼は高度が上がるほどに強くなるのだった。


 エンナたちのいる今の高度が、天駆たちが陣を使ってまともに戦うことのできる境界だった。だから、これ以上の高みにまで天魔を追う者は、エンナを除いて他になかった。


 光の群れを成す天駆の一団から、アースブルーの光がひとつ飛び出して遙かなる空へ向かう。それは行き場のない迷子のようでありながら、どこまでも愚直な感情ゆえの高進だった。


 雲海に飛び込んだ天魔に続き、迷わずアイオンも後を追った。


 一気に視界がなくなる。嫌な湿気が頬と髪を湿らせる。失った視界に代わって聴覚が冴え渡り、いつもより耳に障る風切り音が行く手を阻まんとした。それでも止まれない。右も左もわからないまま、ただただ進むだけだった。

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