09/双龍

「澪ちゃん、って言うのね。こいつと二人っきりでクソみてえな一日かと思ったが、澪ちゃんみたいな美人に出会えて、俺は幸せだわ」

「まさか警視庁の人間だったとは。一応、非礼を詫びておく。そしてこいつに謝るだけの知能がないことも重ねて詫びさせてもらおう」


 公龍とアルビスは二人掛けのソファの最大限端っこに腰を下ろし、横目で互いを睨みつけ合う。澪は険悪な空気に内心で溜息を吐きながら、絢と出会ってからここまでの経緯とここに訪れた目的をかいつまんで説明していく。

 澪がウロボロス解薬士事務所――公龍とアルビスの問題児バディを協力者に選んだのにはいくつかの理由がある。

 まず警視庁傘下の解薬士であること。敵の全貌が不明な現状で、あまり手のうちを広げていくわけにはいかない。そのためには《組合サークル》や無所属ではなく、警視庁傘下であることが好ましい。

 加えて彼らは問題児として名を馳せている。解薬士の界隈から半ば爪弾きになっている彼らの動きは、無暗に外部へと広まりにくい。

 そして彼らを選んだ最たる理由は、金や名誉では決して動かないということだった。

 残念ながら澪の給与では一流どころの解薬士を引き込むだけの額が足りない。それはほぼ無一文の絢も同様だ。それに依頼自体も、コードαどころか正式な事件でもない。むしろ本来重んじるべき法や倫理からは大きく逸脱してさえいる。言ってしまえば、違法捜査で浮かび上がった怪しげな人間の元へ踏み込み、恫喝紛いの尋問で知っていることを吐かせる仕事なのだ。

 名誉どころか不名誉で、支払われる報酬も微々たるもの。

 そんな仕事を受ける解薬士は、《東都》中を探し回ってもそう見つかりはしない。

 だが澪には確信がある。彼らは間違いなく、澪の申し出を受諾する。

 他にありつく仕事がないからではない。公龍とアルビスという二匹の龍には、があるのだ。

 それこそ、彼らが問題児として睨まれる最大の理由。

 二人の背景バックグラウンドなど、澪には知る由もない。だが彼らは飢えたように闘争を求め、自らよりも遥かに強大な相手に食い下がることを恐れない。むしろ安全と高を括った喉元に、爪牙を突き立てることにこそ自らの価値を見い出しているような噂さえある。

 だから彼らは喰いつくと踏んだ。

 そして澪の想像を裏付けるように、アルビス・アーベントの冷たい鉄面皮が奥底で滾る熱を滲ませて澪を見据え、九重公龍の獣じみた獰猛な犬歯が歪められた唇から綻ぶ。


「いいだろう。ミス・アスカ。貴方の申し出を受けよう」

「まあ悪かねえよな。俺もちょうど憂さ晴らししてえ頃合いだったし、派手に暴れてやるよ」


 交渉、というほどのものでもない。だが二人が申し出を快諾してくれたことに、澪はほっと胸を撫で下ろす。そして何をすべきかがより明確かつ具体的になったからこそ、もう一度気を引き締める。


「ありがとうございます、お二人とも」


 凛とした声が、雑然とした事務所に響く。


        †


「――ご武運を」


 翌日の夜二二時。

 絢が特定したそれぞれのIPアドレスの使用者を追って《東都》各所に散った四人は、耳朶を打つ通信越しの澪の合図で一斉に状況を開始する。



「あんたが黄沢領平おうさわりょうへいだな?」

「はい? 何なんですか?」


 背後から掛けられた声に、腕時計型端末コミュレットを眺めながら歩いていた黄沢が振り返るや、その黄沢の肩を掴んで建物の隙間の隘路へと引き摺り込む。完全な不意打ちにされるがまま、黄沢は壁に叩きつけられてえづく。恐怖に滲んだその顔を、感情の乏しい薄青の瞳が覗きこむ。


「〝正アポロンの会〟。よく知っているな?」

「――――っ」


 遍くを冷徹に見通すその瞳は、黄沢の表情がほんの一瞬、焦燥を露わにしたのを見逃さない。


「知らねえな……なんだよその、小児向けアニメの敵組織みてえな名前の会は」

「白を切っても苦しいだけだぞ?」


 アルビスは黄沢を引き倒し、無防備に晒された背に腰を下ろして腕を捻り上げる。押し倒された襲撃で折れた前歯が黄沢の苦鳴とともに地面を転がった。


「指は四肢全て合わせて、二〇本ある。それが終われば次は歯だな。三二……いや、今折れたから三一か。幸い時間はある。ゆっくり話しでもしよう」

「な、何なんだよ、あんた! 何考えてんだよ、やめてくれ!」


 地団駄を踏んで叫ぶ黄沢の顔を、アルビスは地面に擦りつけるように抑えつける。絢という女の解薬士から、多少手荒な手段を踏んでも構わないとの指示を受けている。昨日出会った女刑事は反対しそうだが、幸い完全な別行動なのでバレることはない。


「私は本気だ。……〝正アポロンの会〟、よく知っているんだろう?」

「離せよ! こんなことして許されると――――うぎゃぁぁああああっ」


 アルビスは容赦なく黄沢の右人差し指を圧し折る。血塗れの顔で泣き叫ぶ黄沢の後頭部を鷲掴みにし、声を上げられないように地面で抑えつける。


「音楽をやっていただけあってしなやかな指だ。たしか楽器はホルンだったか? だが、これじゃあしばらく指は使い物にならないな」


 アルビスの下で黄沢は暴れる。しかし元々の体格差に加え、関節をどう固定すれば効率的に相手の動きを封じることができるのかを経験としても理論としても熟知しきったアルビスの前に、素人のいかなる抵抗も無意味だ。


「いじらしいな。有名音大を卒業後、昼間は小さな工場で働き、夜はジャズバーを回って演奏。しかし製品製造過程の全自動化フルオートメーションの流れには逆らえずにリストラ。以降はアルバイトで食いつなぎながら――」

「黙れ! お前に僕の何が分かるって言うんだ!」

「何も分からない。嫉妬に狂い、成功者を貶めるような行為に及ぶ貴様のことなど、何もな」

「うるさいうるさいうるさいっ!」

「うるさいのは貴様だ」

「あがががああああああああっ」


 パキン、という小気味のいい音ととともに黄沢の右中指が手の甲にべったりとくっつく。黄沢は激痛に白目を向きながら、意味不明な言葉を叫んでいる。アルビスは間髪入れずに右薬指を握る。黄沢の全身が激痛への恐怖で針金のように強張った。


「そろそろ話す気になったか?」


 すすり泣く黄沢を、アルビスの冷徹な双眸が見下ろす。


        †


 都市部の隅に佇んでいる築三五年のボロアパート。公龍は二階建てのそれを見上げながら、この頼りない外観であの震災を潜り抜けた奇跡に感慨を覚える。

 二二時ちょうど。澪の合図と同時に階段を上がり、一番手前の部屋の扉を躊躇なく蹴破る。響く大音声など構わなかった。


「おいこらぁっ! 紀成遊貴矢きなりゆきやぁ! 隠れてねえで出てこいやっ!」


 公龍は土足で踏み込み。壁を殴りつけ、棚を引っくり返して奥へと進む。一瞬で竜巻に蹂躙されたようになる室内。だが肝心の人の気配がない。


「くそっ、引き籠りってぇ話じゃねえのかよ」


 てっきり暴れ回るつもりで踏み込んだ公龍は空回りして行き場のなくなった血の気を持て余すように頭を掻く。どうしたものかと思案したが、いない以上仕方がない。

 その、一瞬の気の緩み。

 ユニットバスの扉が勢いよく開け放たれ、公龍の肩を打つ。よろめく公龍が体勢を整えるよりも先に、人影が飛び出して公龍を突き飛ばす。


「なっ――、いやがったな!」

「ひっ、ひぃぃっ」


 公龍二人分はあろうかという肥満体型の男――紀成は一目散に走り、部屋の奥の窓から身を投げる。アスファルトの上を寝間着のまま転がり、体型の割りには機敏な動きで再び走り出す。


「はっ! 面白れぇ! 鬼ごっこ、付き合ってやるよ」


 公龍は腰に回した右手に回転式拳銃型注射器ピュリフィケイターを、左手にはハンティングベストの胸から取り出した特殊調合薬カクテルを握り、無邪気な笑みを浮かべる。

 素早い手つきで特殊調合薬カクテルを装填。首筋の医薬機孔メディホールへと回転式拳銃型注射器ピュリフィケイターの切っ先を挿入して引き金を引く。

 打ち込んだのは鈍色ガンメタルのアンプル。ステロイド系薬物の極致であるこの特殊調合薬カクテルは二~四秒という信じがたい即効性で、全身の筋肉量を増大させる。


「行くぞ、豚野郎っ!」


 駆け出した公龍は、紀成の後を追って窓から跳躍。着地と同時、最高速度で地面を蹴る。

 入り組んだ路地も味方して紀成の姿は既に見えなくなっていたが問題ない。公龍は疾走しながら山吹色ブラッドオレンジのアンプルを服用。研ぎ澄まされた嗅覚が、紀成の通った道を一条の帯として脳にビジョンを作り出す。

 時間にして四八秒。公龍の虚を突き、出し抜いたと思われた紀成の逃亡劇はあっけなく幕を閉じた。


「こ、殺さないで……」


 滅茶苦茶に砕かれたアスファルトの上で、失禁した紀成が地面に額を擦りつけて涙する。公龍は五指の先に湛える、唐紅色カメリヤのアンプルによる血の弾丸を弄びながら、紀成の目の前にしゃがみ込む。


「おうよ。殺さねえ代わりに知ってること全部吐け。嘘だと思ったら殺すから、よく言葉を選んで話せよ?」


 紀成はぶるぶる震えながら顔を上げ、公龍が浮かべる悪魔のような嗜虐的な笑みに縮み上がる。


「せ、せ、せせ〝正アポロ、ロンの会〟には、使徒が、い、いるんですぅっ! あ、あ、アポロンの使徒っ! み、みんながそう呼んでる!」


        †


「――アポロンの使徒はねぇ、この国の芸術を正しく保ってくれるのよっ!」


 澪はバックステップで身を引き、突き出されたナイフの刺突を躱す。身を斜めに切って踏み込み、伸び切った相手の腕目がけてコンパクトな手刀を叩きこむ。ナイフを取り落した隙を突き、腕を取って懐に潜り込む。


「――せいっ!」


 浮き上がった相手の身体は見事に一回転。凄まじい勢いで床へと叩きつけられる。

 澪は床のナイフを蹴り飛ばし、掴んだままの腕を脚で挟み込み、自らも寝転びながら自重で締め上げた。


「あがっ、あぁっ」

「アポロンの使徒……。炎上沙汰を起こしたアーティストに裁きを下す存在のことですね」


 澪は質問しながら腕を締め上げる。相手の女――松園早波まつぞのさなみは苦鳴に喘ぎながらも頷く。


「つまりはあなた方がアーティストを殺すよう依頼し、アポロンの使徒がそれを実行したと?」


 松園は首を横に振る。


「ち、違うっ。い、依頼、な、か、してないっ。使徒が、か、勝手に、裁きを、与えたのよっ」


 澪は松園の肩が外れても尚、徹底的に締め上げた。しかしそれ以上の情報が松園の口から吐かれることはなかった。

 失神した松園の肩を嵌め込みながら、澪は腕時計型端末コミュレットを確認する。既に澪同様、制圧と尋問を終えた他の三人からの通信が入っている。

 澪は通信を繋ぎ、盤面に浮かぶ立体映像のなかで三人からの報告を聞いた。


「なるほど……。誰も、〝アポロンの使徒〟とやらの正体は知らないと」

『それどころか、使徒を超常的な力か何かだと本気で思ってやがるみてえだ』


 絢が不愉快そうに下唇を突き出す。確固たる唯一神への信仰を持つ絢には、降って湧いたような在野の超常性を信じる彼らが到底理解できないようだった。


『こちらも同様だ。被害者は皆、使徒の裁きによって自殺に導かれたと繰り返し言っていた』

『ったくくだらねえぜ。何がアポロンの使徒だよ。ヤクの決めすぎで頭でもイッちまったとしか思えねえよ』

『信仰をないがしろにするな。それはときに人が生きる上での拠り所となるんだ』

『わっかんねえ。困ったときの神頼みなんてクソくらえだ』


 通信越しでさえも公龍とアルビスの空気がヒリついていくのが感じられ、澪は慌てて間に入る。


「何にせよ、アポロンの使徒という実在が掴めただけでも収穫はありました。九重さん、ミスター・アーベント、ご協力感謝します」

『兄ちゃんたち、助かったぜ。ありがとな』

『構わない。内密とは言え、引き受けた仕事だ』


 礼を言う澪に、アルビスは無機質な動作で手を掲げた。


『だけどよ、いいのか? 今回は空振りだったが、まだ続けるんだろ? 澪ちゃん可愛いし、俺は全然手伝っちゃうよ?』


 公龍たちの手を借りるのは四人の制圧のみと、澪と絢は決めていた。だがアポロンの使徒の存在が確定的となった今、これ以上の独自捜査はさらに危険を増していくだろう。だが公龍の善意の言葉に澪は首を横に振る。


「ありがとうございます。ですが、これ以上は報酬が支払えません。わたしとあなた方が刑事と解薬士である以上、その関係性は有耶無耶にはできませんから。それに――」


 澪は立体映像のなかの絢を見る。絢もまた澪を見ていて、二人は無言のうちに胸に抱く思いが同じであることを確かめ合う。


「それに、これはわたしたちが二人で始めたことなので。二人で、決着ケリをつけたいと思っています」


 決然と言いつつ、二人には無謀だと止められるかと思ったが、二人は澪の言葉に感心したかのように頷いていた。


『澪ちゃん可愛いだけじゃなくてカッコイイのな。俺、惚れたわ』

『健闘を祈る、ミス・アスカ。そしてまた戦いの場で見えよう。次は正式に刑事と解薬士として、共に戦えるのを楽しみにしている』


 軽薄に冗談めかす公龍と、妙に堅苦しいアルビスの言葉をしかと受け取り、澪は通信を終えた。


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