業火

01/飛鳥澪

「――――ふびゃぁっ」


 間抜けな断末魔とともに、几帳面に撫で付けられていた金髪頭が弾け飛んだ。一瞬にして血と脳漿と、粉砕された骨片があたりにばら撒かれる。肩から上を失くした身体が酔っ払いのように数歩たたらを踏み、あっけなく地面に崩れる。


「ォォォオオ金カネかね金金カネェッ!」


 まるでこの世の全てを呪うように叫ぶのは二メートル近い異形。肥大化した筋繊維で岩山のように隆起した上腕と肩。皮膚は刺青の龍が判別できなくなるほどに黒ずみ、白濁した両目からは血の滂沱。がちがちと打ち鳴らされる黄ばんだ歯の隙間からはだらりと伸びた舌が垂れ、妙に粘つく涎が滴る。降り注ぐ返り血で全身を洗いながら、咆哮する姿は悪魔か何かか。

 繁栄と栄華を極め、医薬至上社会として生まれ変わった都市――《東都》に、厳然と存在する狂気。眩い光の傍らに落ちる影。――過剰摂取者アディクト

 その異形の纏う、凄まじいまでの暴力と狂気の濃密さに、飛鳥澪あすかみおは構えた拳銃を取り落とし、尻もちを突く。

 圧倒的な力の前で、澪が手にする拳銃など玩具も同然だった。いくら引き金を引こうとも、きっと目の前の異形を押し留めることなどできはしないと、考えるまでもなく分かる。


「おいっ女ぁっ! てめぇなにびびってんだクソがっ!」


 すぐに怒声が飛んでくる。まさに今、しかも目の前でパートナーを殺されたというのに、男がその死を悼む様子はない。それどころか、強大な獲物を前にして獰猛な笑みを浮かべてさえいる。


「小便臭え女はすっこんでろ。戦場ここは強え男だけが生き残る場所なんだよっ! 端っからてめぇの出る幕なんてぇねえんだよっ!」


 男――鈍谷ジュウザはまるで自らの性器を愛でるかのように、おかしな拳銃を見せつける。

 その銃は狙う者を覗きこむような漆黒の穴の代わりに、先端に鋭利な針を備えている。

 回転式拳銃型注射器ピュリフィケイター

 都市の狂気に真っ向から対峙する解薬士げやくしのみに所持が許された特殊武装。人智を越えた力の源たる色とりどりの特殊調合薬カクテルをその弾倉はらに抱えた、《東都》が研磨し続ける医薬技術の粋。

 鈍谷は回転式拳銃型注射器ピュリフィケイターの切っ先を、自らの右こめかみに埋め込まれた銀色の孔――医薬機孔メディホールへと突き刺し、引き金を引く。


「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」


 全身に隈なく漲っていく力を誇示するように鈍谷が吼える。鈍谷の肉体が隆起し、急速な肥大化で熱を持った筋肉がしゅうしゅうと湯気を立てた。


「いくぞオラァッ! 力比べだぁッ!」


 鈍谷が地面を蹴った。一瞬遅れて過剰摂取者アディクトも反応。互いが引き絞った拳がほとんど同時に放たれる。

 まさに重戦車同士の正面衝突。衝撃波が走り、老朽化の著しい廃区の家屋が震え、崩れる。

 だが体躯の大きさがそのまま力の差であると言わんばかり、一回り巨大な過剰摂取者アディクトが鈍谷を圧倒し始める。


「うぉおおううううらあああああっ!」

「カァね金カネ金ガァ、ッ、イルイるいるいルンダぁあああっ!」


 再び同時に繰り出された拳同士が打ち合う。激烈な戦闘に見合わない、間抜けな甲高い音がして、鈍谷の右腕が拉げる。鋭く折れた尺骨が皮膚を突き破り、肩は破裂したように血を噴いた。


「ぬぐぁぁああっ」


 鈍谷が苦鳴を上げる。間髪入れず、過剰摂取者アディクトの拳がその顔面へと叩きこまれる。

 まるで砲撃。鈍谷の巨躯は紙切れのように吹き飛び、一度地面で大きく跳ねて澪の遥か背後の建物に激突する。

 過剰摂取者アディクトが赤く染まったまなこで澪を見下ろす。澪は本能的にさっき取り落した拳銃を拾い上げ、ろくに狙いも定めずに引き金を引く。


「来るな、来るな、来るな来るな来るなああああああああああああああああっ!」


 絞り出した絶叫は、しかし蚊の羽音ほどの意味さえ持たず。銃はすぐに全弾撃ち尽くしてホールドアップ。カチカチと冴えない音が荒れ果てた廃墟に響いて消えた。

 こんなところで――

 まだやらなければならないことがある。やり残していることがある。

 何のために志願までして、平和と繁栄が築かれた《東都》にありながら異様な殉職率を記録し続ける特殊薬事案件/コードαの担当刑事になったのか。

 まだ、澪には果たさなければいけないことがある。

 ――死んでたまるか。

 澪の覚悟に呼び起こされるように、背後の瓦礫を押しのけて鈍谷が立ち上がる。二重で特殊調合薬カクテルを打ち込んだらしく、さっきよりも体躯はさらに肥大化している。


「うおおらああああっ! ぶち殺してやるっ!」


 血走った三白眼は怒気に満ち、握り込まれた左手は掴んだ瓦礫を粉々にして砂へ還す。

 やるしかない。

 澪は吹けば掻き消えてしまいそうな戦意を、そう言い聞かせて頑なに手繰る。


「鈍谷さん、考えがあ――」


 澪の声を掻き消して、突風が背後から突き抜ける。


「女は黙ってろぉっ!」


 鈍谷の突貫。だが振り被った左拳が過剰摂取者アディクトに届くことはなく、逆に過剰摂取者アディクトが打ち出した蹴りが鈍谷の胸を強かに穿つ。

 吹き飛んだ鈍谷のもとへ、澪は駆け寄る。どれだけ丈夫なのか、鈍谷は獣のように唸りながら身体を起こす。


「鈍谷さん、わたしに考えがあります」

「うるせえ、クソアマの言うことなんか聞けるか!」

「クソアマではありません! 飛鳥です」


 澪の鋭い声に鈍谷は一瞬だけ威勢を呑み込む。


「わたしは飛鳥。警視庁コードα担当刑事、飛鳥澪。生き残り、報酬金を手に入れたいなら大人しくわたしに従って!」

「……う、うるせえ黙ってろ、クソアマが!」


 鈍谷は苛立ちを露わに怒鳴り、逃げるように過剰摂取者アディクトへと向かっていく。

 澪は舌打ち。新たな弾倉を淀みない手つきで装填し、鈍谷の後を追って走り出す。

 鈍谷が拳を叩きつける。過剰摂取者アディクトはこれを身を翻して躱し、勢いそのままに回し蹴りを見舞う。直撃にたたらを踏む鈍谷に向けて、追撃の正拳が放たれる。

 さすがは地下闘技場の決闘者ファイター。たとえ薬によって理性が吹き飛んでも、骨の髄まで染みついた戦闘技術は陰りを知らない。むしろステロイド系の非認可薬物デザイナーズドラッグによってパワーアップしている分、以前よりもその打撃は凶悪さを増しているのかもしれない。

 さらなる追撃をかける過剰摂取者アディクトを、澪の拳銃が牽制。照準から本能で弾道を感じ取り、過剰摂取者アディクトが機敏な動作で後退する。


「おいこら、女が横槍入れてんじゃねえよっ!」


 鈍谷の怒声。ともすれば澪に攻撃してきそうな勢いだが、澪は構わず過剰摂取者アディクトに向けて引き金を引き続ける。動くとは言え的は大きいはずなのに、放つ銃弾は掠りもしない。

 護身用にと所持が義務付けられる拳銃ではあるが、コードαにおいて最前線に立つのは解薬士であり、刑事は現場指揮――つまり血気盛んな解薬士が法を犯さないかの見張りに他ならない。つまり実弾をこうもぶっ放すような経験はほとんどない。


「ンな豆鉄砲が効くわきゃねえだろうがっ! ど下手はすっこんでろっ!」

「知ってますよ! 黙っててください!」


 無論、鈍谷が黙ってくれるはずもなく、特殊調合薬カクテルで増した膂力で澪をあっという間に追い抜き、過剰摂取者アディクトとの間合いを詰める。乱暴に振るった左腕は過剰摂取者アディクトに絡め取られ、反転して地面に叩きつけられる。アスファルトが砕け散り、鈍谷の巨躯が地面に沈み込む。配水管が破裂したのか、街区の至るところから間欠泉のように水柱が立った。

 澪はと言えば、拳銃を構えていた。戦闘の大音声が響くなか、自分だけは無関係だと切り離すように、大きく深呼吸を繰り返して。

 銃口が向かう先――過剰摂取者アディクトたちとは真逆、背の高い廃ビルへと突っ込んだ乗用車。

 廃区にはあまり車がない。都市の復興計画からは外れた廃区の住民たちは基本的に裕福とは言えなかったし、無尽蔵に増改築された廃区の路地は入り組んでいるし、道路自体も車が走るのに適するほど舗装されてなどいない。

 だから危険を冒しながら、上手いとは言い難い射撃の牽制でここまで誘導した。そして幸運なことに配水管まで破裂し、あたりは足首まで浸かるほどに水浸しだ。お膳立ては十分。想定以上に事はうまく運んでいる。あとは――。

 構える拳銃の残弾は一。

 ここでしくじるわけにはいかない。

 澪は息を吐き切り、引き金を引く。

 放たれた銃弾は吸い込まれるような軌道を描いて車の横っ腹を貫く。

 刹那、火の手が上がる。放射状に車が爆ぜ、爆風と爆炎が瞬く間に広がっていく。

 銃弾を確実に当てるため、近づき過ぎたのが仇となったか。澪は爆風に煽られて吹き飛ぶ。だがきりきりと回る視界に、夜空を背景にゆっくりと倒壊を始める建物を見る。


「――――いけ」


 澪は音の遠くなったスローな世界で、白い歯を剥いた。


   †


 廃区の地面は粗悪な粘土状の資材で亀裂を埋めるなど施されている場合が多い。

 水に浸された地面は本来の固さを失い、規格外の自重を誇る過剰摂取者アディクトの足を絡め取る程度の緩さを得ていた。

 よって倒れてくる廃ビルを避けることは叶わず、鉄筋とコンクリートの塊に圧し潰された。

 過剰摂取者アディクトと組み合っていたはずの鈍谷も当然、圧し潰されていておかしくなかったが、そこは腐っても歴戦の解薬士と言うべきか。紙一重のところで戦闘から離脱して難を逃れていた。

 一切の背負うものもなくただ狂的に戦う決闘者と、都市を守護するという名目の元で力を振るう解薬士との僅かだが、決定的な差がもたらした結末だった。

 無論、澪からすれば鈍谷ジュウザという解薬士が、立派な《東都》の守護者であるとは、到底思えないのだが。


「――このクソアマがっ! てめぇのせいで殺されかけたぞっ! くたばれ売女ばいため!」


 尼から風俗嬢へのジョブチェンジとは大胆なものだ。担架の上から聞こえてくる口汚い罵りに、澪はまだぼんやりとした頭でそんなことを考える。

 何はともあれコードαは無事に収束した。

 都市を脅かす存在だった過剰摂取者アディクトは適切に処理され、人的被害は最小限に食い止められた。戦場となった廃区はご覧の通りの酷い有様だが、都市部への被害が出なかったことは称賛に値するだろう。

 明日のネットニュースには〝解薬士・鈍谷ジュウザ〟の活躍が大々的に報じられ、彼の所属する解薬士事務所には事態の収束を依頼した警視庁と《東都》の統治者である《リンドウ・アークス》からは多額の報酬金が支払われる。

 澪の捨て身に等しい策が報じられることはない。澪自身もそんなことは望んでいなかったし、《東都》も一人の女刑事の出しゃばりなど歓迎しない。

 必要なのは解薬士という虚像えいゆうの活躍であり、都市に巣食ってしまった狂気を覆い隠すための市民の熱狂なのだ。


「……いたっ」


 澪は肩の火傷に塗りたくられた薬液に顔を歪める。澪の周囲では大き目の蜘蛛みたいなドローンが這いまわり、澪が負った負傷の応急処置を施している。


「また傷が増えたなぁ……」


 意味もなくそんなことを呟き、澪は星のない夜空を仰ぐ。

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