04
銀はひどく凝った肩を解そうと腕を回す。だが一晩の尋問で凝り固まった筋肉や関節は募った疲労同様にすぐに消えてはくれなかった。
「クソが」
銀は人目もはばからずに吐き捨てる。すれ違う学生たちがぎょっとした目で銀を二度見してきたので猛烈に睨み返してやる。学生たちはこそこそと話しながら去っていく。
昨晩、銀は少女の遺体発見の旨を警察に通報した。数分経って駆けつけた警察は、あろうことか銀に疑いの目を向け、連行した。どれだけ無能なのかと怒鳴りつければ、それが気に入らない彼らの聴取はほとんど尋問へと化していき、それは夜が明けるまで延々と続いた。
手こそ出さずに堪えたものの、警察の無能さには辟易した。こんなところで無駄な聴取に時間を費やしているならば、他にもっとすることがある。足で情報を稼ぎ、一刻も早く事件の真相を明らかにすべきだ。既に人が死んでいるのだ。そして今も不条理な危険に晒される人々がいるのだ。
だが銀の怒りは刑事の仏頂面に届くはずもなく。
結局、決闘場でガンティエという
虫の居所はすこぶる悪い。嘆きを通り越して呆れるほどの無能さの露呈に加え、恫喝紛いの怒声。そこから一転、無罪放免だと言われたところで一度立った腹はなかなか横にはなってくれない。
気が立ってしまい家に帰って寝るにも寝付けず、何を思ったかこうして大学に顔を出すという奇行に走ることになった。
だが大した気分転換になりもしなかった。
久しぶりに訪れた大学は全く変わり映えせず、学生たちは飽きもせずに呑気だ。ふと脳裡に蘇る少女の凄惨な遺体と、目の前に広がる牧歌的な現実とのギャップには思わず吐き気を感じる。
彼らにとっては青血障害も廃区で起きる人の生き死にも、遠いどこかで起きた絵空事程度のものなのだろう。
惰性のように続いてきた当たり前の日常が唐突に終わる。震災でそういう経験をしてきたはずだ。だが人は忘れる。幸福はかけがえのない日々という感覚を鈍麻させていく。
本来は何もかもが不確かで、必死に紡がれている明日が、あるいはその不確かさに断ち切られた
銀は校門を潜ってたった数分で、ついさっきの自分の気まぐれに後悔を抱く。
「……帰るか」
舌打ちとともに呟き、踵を返す。
と、そこで後ろから大きな声に呼び止められた。
「あれ? 銀さん? うっわ、銀さんだ? あちゃー。こりゃ銀さんだよね? うわーうわー、生きてたんだぁ」
「あ?」
振り返る。鬱陶しいほどに剽軽な声から正体が顔なじみであることは分かっていたが、募った苛立ちが先んじてか、きっちりガンを飛ばした。
だが手を振りながら走ってくる女はへらへらと笑っていた。
丸眼鏡にベレー帽。Tシャツにデニムというラフな格好に、首から下げた一眼レフカメラ。肩掛けの鞄と両手には、配って歩いていたと思わしき手製の号外新聞が詰め込まれている。
「やっほー、銀さん。ひっさりぶりだね~、びっくりしちゃいましたよ。まさか生きてるなんて思ってもみなかったーっ!」
「うるせえ、うるせえ。寝不足なんだ。頭に響くだろ、特にお前の声は」
「ひっどいなぁ、銀さん。この感動を伝えたくて走ってきたっていうのに。こりゃ明日の一面は決まりだね。〝本学の生きた化石。その名も女部田銀! 一年に登校!〟」
「そうか、一年か――ってそうじゃねえ。生きた化石とか言うんじゃねえ。はったおすぞ」
真知は何がおかしいのか、けたけたと笑う。
「いやぁ、聞きましたよ? 銀さん、まぁた警察のお世話になってたんでしょ?」
「聞き捨てならねえな、またって何だ、またって。……ん? というか何で知ってる?」
「情報元は明かせませんて。これジャーナリストの鉄則」
ウインクして舌を出した真知を銀は無視する。苛立ちと眠気で参っていたはずの銀の思考は速やかに回転し、目の前でしたり顔を決めている真知を見て内心でほくそ笑む。
真知はジャーナリストを自認するだけあって、様々な情報に敏感だ。アンテナの張り方もうまいのだろうが、張ったアンテナが捉えた情報を仕入れる速度も異常に速い。故に広く知られているはずのない昨晩の事情聴取の件も既に知っているのだ。
もしや真知ならば――。
銀は真知の肩に腕を回す。逃がすつもりはなかった。
「なあ、おい迫田。ちょっと話がある」
「きゃー、なにー、プロポーズゥ?」
真知の信じられないくらいの棒読みと突っ込みどころしかない冗談は、もはや銀の耳には聞こえていなかった。
二人が向かったのは大学構内の喫煙所。
以前より健康被害が懸念されていた喫煙は、《東都》成立以降、徹底的に撲滅された。とは言えところによっては喫煙所の類が残されており、この青田学院大も年配の教授たちへの配慮か、校舎の裏手の奥まった一角にのみ喫煙スペースが設けられている。
校舎の配置上、非常に行きづらい位置にある上に、喫煙そのものが敵視される時代である。設けられた喫煙所に寄りつく人はなく、よって誰に聞かれる心配もなくじっくりと話し込むことができる。
「ぎ、銀先輩。ぷ、プロポーズなんて、その、わたし、まだ学生だし……」
真知がしおらしく身体をくねらせる。銀は壁に背を預けて溜息を吐く。
「なあおい、まだその設定引き摺るのか?」
このまま続けていても銀が決して乗ってこないことを悟ったのだろう。真知は演技を止め、鞄から取り出した煙草を咥える。
元々、情報交換場所として喫煙所を使用していたのは真知である。喫煙所に入って煙草を吸っていなければそれはそれで目立つので、こういうために持ち歩いているのだろう。
真知はマッチで煙草に火を点け、銀にも一本差し出した。
「それで、話って何です?」
「お前、〈青の吸血鬼事件〉調べてるだろ?」
「へえ」
真知は紫煙を吐き出しながら、少しだけ驚いたように呟く。
銀の読みは当たっていた。
真知は膨大かつ綿密な情報網を持っている。それがどこへどう張り巡らされているかは銀の知るところではないが、真知が一切合切どんな情報でも集めているわけではないことくらいは想像がつく。つまり〈青の吸血鬼事件〉絡みで警察の世話になっていた銀の情報をいち早く知っていた真知は今、その方面に関して強くアンテナを張っているのだろうと読んだのだ。
そして真知の情報網とそこから得た情報は、間違いなく銀が欲するものと一致する。
「銀さんのそういう目ざといとこすごいなぁ、ほんと。勿体ないですね~。ぜひ私と一緒に真実を追い求めるハネムーンに行きません?」
「調べてるな?」
冗談を飛ばしていた真知は、銀の真剣な声音に言葉を呑みこんだ。銀はようやく貰った煙草に火を点け、紫煙を深く吸い込んだ。
「調べているって言っても、そんな大したことはしてないですよ。バイト先のネットジャーナルにコラム記事上げるだけですし」
真知は鞄からタブレット端末を取り出す。二三操作して、それを銀へと手渡す。
「まったく嫌な事件ですよねぇ。今や一部のローカルネットじゃ〈青の吸血鬼〉は正義の執行者扱いですよ。ただの連続殺人犯なのに」
「なんだこれ」
銀は眉を顰める。それは問いではなく、怒りだった。端末の液晶には〈青の吸血鬼〉の凶行に贈られる匿名の賛辞が並んでいた。
〝よくぞやってくれた〟
〝病原菌の排除! これでまた《東都》がキレイになるね!〟
〝青血とか気味悪すぎwww はよ駆逐くれwww〟
〝普通に考えて青い血出るとか怖すぎ((((;゚Д゚))))〟
〝
〝〈青の吸血鬼〉バンザイ!〟
――エトセトラ。おそらくはよくも考えずに放たれた言葉という凶器の羅列に、銀は奥歯をぎりと噛み締める。
「呆れちゃいますよね、ほぉんと。青血障害は輸血でもされない限りうつりませんし、なんなら震災期の感染症の弊害だから被害者だっていうのに」
「…………」
真知は溜息混じりに肩を竦める。銀の手は白くなるほど強くタブレットを握りしめていた。力を込めることで、煮え滾る怒りをなんとか抑え込んでいた。
「ま、私のコラムは青血障害とか〈青の吸血鬼〉どうこうって言うより、それを発端にネットにおける情報リテラシーについて切り込もうって感じですね。まあ使い古しのネタですけど、情報の真実性って常に問い続けていく必要あるじゃないですか?」
「それはいい」
銀の声は思わず鋭さを帯びる。真知は口を半開きにしたまま固まる。
「それはいい。迫田、お前が知ってることを全部話せ」
「全部って……横暴だなぁ、相変わらず。ってか銀さん、またなんかやばいことに首突っ込もうとしてますよね?」
真知は怪訝な眼差しを向けた。だが銀はそこに好奇心が見え隠れするのを見逃さない。
「俺が警察の世話になる羽目になったのは、死体を見つけたからだ。〈青の吸血鬼〉に殺された死体をな」
銀の一言に、真知の目が見開かれる。ジャーナリストの矜持か、すぐ表情を元に戻すが遅い。
「警察にムカついてるからってわけじゃねえ。知ってんだろ。巧の妹のこと」
「青血障害でしたよね……?」
「ああ。俺が所詮はただの学生だってことは分かってる。だけど、もしいざという時、俺は花ちゃんを守れる男でなきゃならねえ。それがクラスメイトのくだらねえいじめでも、ふざけた正義気取りの殺人鬼でも、俺のやることは変わらねえ」
張り詰めた沈黙が降りた。やがて、堪忍したように真知が長く息を吐いた。
「全く、銀さんってそういう不思議なとこで男気みたいなの見せてきますよねぇ。……分かりました。出血大サービスですからね。でも別に犯人を追っかけていたわけじゃないので、大した情報はないです。それと、お礼にご飯奢ってもらいますよ。あ、あと、何か分かったなら逐一教えてください。でっかいネタになりそうなので」
真知が白い歯を見せて笑う。
「ちゃっかりしてやがるな」
「当然ですよ。情報はジャーナリストの生命線です」
真知は銀からタブレット端末を受け取り、別のファイルを開いて再度渡した。銀は簡潔にまとめられた取材資料に目を通しながら、真知の話に耳を傾ける。
「私が思う犯人像はまず二点。医療従事者であること。これはメディアでも言われてたりしますけど、血を抜くなんて面倒な殺し方は誰にでもできる殺人方法ではありませんから。もちろん医療従事者だって別の殺し方ができると思うので、思想犯的な側面もあるでしょうね」
「穢れた血を浄化してやろうってか?」
「はい。さっきのネットじゃないですけど」
「ふざけた野郎だ」
「それと、地下迷路街に精通している人間ってことですね。遺体発見現場の子細な座標を調べてみても一貫性は見当たりません。ただ地下街のマップを重ねると…………ね?」
遺体発見現場をマーカーした《東都》の地図と、震災を機に放棄されて久しい地下の迷路街の地図を突き合わせる。ぴたりと一致するわけではなかったが、地下迷路街を通じて被害者の遺体が運ばれたと考えるのは不自然ではないように思えた。
「となると、医者。しかもアングラか」
「うーむ、そこまでは何とも」
「このファイル、あとで俺に送っといてくれ」
「え? あ、はい。ちょっと銀さん?」
銀は真知にタブレットを突き返す。短くなった煙草を灰皿に揉み消して喫煙所を飛び出す。
居ても立っても居られなかった。エンジンだけを猛烈に噴かしていたところに、ようやく道が現れたのだ。後はどんな障害も蹴散らして目的地に走るだけだ。
「銀さんっ! あんま突っ走っちゃだめですよ! 慎重に!」
叫ぶ真知の声は、あっという間に聞こえなくなった。
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