第十一話 児童の知らない先生の思い。その行く先とは?


 ……此処ここは前回と同じ、四年二組の教室。瑞希みずきの日記帳も同日。



 智美ともみ先生は、瑞希ちゃんの右の手首をつかんだまま離さず、そのまま浅倉あさくらさんと大西おおにしさんの方へ、その怖い顔を向ける。……篠原しのはらさんは、もうそこにいなかった。


 いつもそうだった。

 都合が悪くなると、この二人を置いて、その場からいなくなる。


 そのことに気付いてか、気付いてないか、


「あなたたちこそ床に落ちたゴミを拾って、さっさとゴミ捨てに行きなさい!」

 と、智美先生は怒鳴った。


「は、はい……」


 浅倉さんと大西さんは、チラッとお互いの顔を見て、怯えた子羊のように返事をした。


 その返事に対しては素通り。何の反応も示さないまま智美先生は、掴んだままの瑞希ちゃんの手首をグイッと引っ張り教室を出る。あたしもその後について行った。


 廊下を歩きながら、


「どこ行くの?」

 と、瑞希ちゃんは不安そうな声で訊くけれど、


「黙ってついてきなさい!」

 と、教えてくれない。


 智美先生は、かなり怒っているようだ。



 ――怒られているのは瑞希ちゃんのようで、あたしではない。ホッと胸を撫で下ろす感じに似たものを覚える。あとでいい。あとで彼女を慰めてあげればいいのだ。それでも彼女は、いつもと同じように、あたしとお友達として接してくれる。


 その思いを胸に、着いた場所は視聴覚室。


 石橋をたたかずのイメージで、渡り廊下を渡り切った新校舎。入ってすぐにある。その室内は当たり外れ関係なくだれもいなかった。三人だけの空間となる。


「二人とも、座りなさい」


 もちろん椅子に。

 智美先生の声がこだまする。視聴覚室だけに。


「でも……」

 と、入室してやっと、右の手首は解放されたものの、渋っているというニューアンスなのか、まごまごしている瑞希ちゃんに、


「いいから座りなさいっ!」

 と、智美先生は怒鳴った。


 これこそ怒りの目。……今度はあたしが瑞希ちゃんの手を引っ張った。


「座ろ」


「う、うん……」


 智美先生と向かい合わせに座る。机を挟む。あたしと瑞希ちゃんは横並び。規則正しく綺麗きれいなほど、この室内の中心だ。差し込む光は穏やかだけど、智美先生は怖かった。


 顔……いつもと違う表情。声も……声の感じも。



 胸を張ったらいい。

 怒られているのは、あたしではないから。


 ……でも、


「瑞希さん、うつむいてないで、ちゃんと先生の顔を見なさい」

 と、智美先生から言われ、そっと顔を上げる。


 震える唇。……涙が浮かんでいるようだった。


「瑞希さん、本当のこと言って……」

 と、表情が変わる。


 これがいつもの智美先生だと、瑞希ちゃんの表情が、そう物語っていた。

 しかしながら、ほんの一息だ。話は続く。


「先生はね、あなたたちに何かあったとしか思えないの。さっきもそうだけど、あの子たちに、いじめられてるんじゃないの?」


「そ、そんなこと……ないよ」

 と、ミュートには至らずに、それでも微かな音量で瑞希ちゃんは言った。


 すると、バンッ!

 という不愉快な音が、この室内にこだまする。


「そうじゃないでしょ、瑞希さん!」

 と、智美先生は怒鳴って、また机を叩いた。


「……グスッ」


 とうとう泣いちゃった。

 ポロポロと細めた目から涙が零れる。瑞希ちゃんは眉まで下がっていた。


「泣いたって駄目だからね」

 と、智美先生は言う。


「瑞希さんが本当のこと言ってくれるまで帰さないんだから」

 とまで、付け加える有様ありさま



 ――ハッとなった。


 怒られているのが、あたしではなくて良かった? ただの付き添いだから?

 何てことを思っていたのだろう。


 どんな意地悪なことよりも、サーッと血の気が引く思いだ。


 ……もしかして、

 本当のことを言わないのではなくて、あたしのために言えなかったのでは?


 このままでは、あまりにも可哀想かわいそうだ。

 それが行動と、言葉になる。


「ごめんね、瑞希ちゃん」

 両手で涙を拭いている瑞希ちゃんが、あたしを見た。


「た、妙子たえこちゃん?」


「あたし、話すね」

 コクリと、瑞希ちゃんは頷いた。



 智美先生には、話さなきゃ。

 何故なぜそう思ったのかは、瑞希ちゃんの行動や表情、それらが物語っている。


 ……でも、いざ話すとなると、とっても勇気がいる。


「あ、あの、智美先生……」

 と、どのような声になったのかはわからないけど、絞り出した。最初の一声。


 瑞希ちゃんは硬直しているのか、涙を拭くのも忘れて、あたしをじっと見ている。今度はあたしが、この子を守ってあげたい。


「瑞希ちゃんはね、あたしのこと守ってくれてたの。それはね、あたしにお友達がいないから。瑞希ちゃんが初めて、あたしにできたお友達だったから……」


 きっと、精一杯の言葉。

 だけど、ああっ、何言っているのだろう?

 うまく言えないよ。どう言ったらいいの?



 ――すると、

 智美先生の表情に変化が。


「妙子さん、勇気を持って話してくれたのね」


 えっ?

 そして瑞希ちゃんの表情が物語る。智美先生の、いつもの表情を……。


「実は先生ね……」

 と、これがいつもの智美先生の声。まだ続く。


「あなたたちのことが気になったから、前から様子を見てたの」


「じゃあ、今日のことも?」


「ええ。気付くのが遅くて、ほんとごめんね。……辛かったでしょ?」


「うん……」


 とても温かかった。

 まるでダムが決壊するかのように、あたしは激しく泣き出していた。


 それを「うんうん」と、

 優しく包み込んでくれる、そんな先生だった。


 それから、瑞希ちゃんにも声をかけてくれた。


「瑞希さんにとっても、妙子さんは大切なお友達なのね」


「うん……」


 まだすすり泣きながらだけど、

 瑞希ちゃんは答えた。


「先生にとってもね、瑞希さんと妙子さんは大切な人なの。……もし妙子さんが、さっき瑞希さんがしたみたいに、本当のことを言ってくれなかったら、瑞希さんはどう思う?」


「……悲しいよ」


「そう。悲しかったの。だから瑞希さんのこと、怒ったの」


 ……で、

 また瑞希ちゃん、泣き出しちゃって、


「ごめんね、瑞希、間違ってたね……」


 智美先生は温かく迎えるように、

 瑞希ちゃんをも、優しい笑顔で包み込んだ。


「わかれば、いいのよ」

 と、智美先生の目にも、涙が浮かんでいた。



 ――いつの間にか、そっと夕陽が差す中を、あたしたちは歩いた。


 視聴覚室を出て、智美先生とも別れて、再び渡り廊下。

 そして教室。もちろん四年二組の、あたしたちの教室。

 もう、誰もいなかった。


 瑞希ちゃんの手を、そっと握った。瞬間びっくりする瑞希ちゃんだったけど、すぐニッコリ。自家製のマイナスイオンを感じさせながら、手を握り返してきた。


「ねえ、妙子ちゃん」

 と、少し潤んだ瞳にドキッとした。


「な、なあに?」


「瑞希が水疱瘡みずぼうそうで学校を休んでる間、代わりにゴミ捨てに行ってくれて、ありがとう」


「あっ、いいのよ。お互い様だから」



 それから、帰り道を歩いていたら、


「もう一番星……」

 瑞希ちゃんのロマンチックな一声を思いきや、声のトーンからすると、


「そうね、もう暗くなるし、今日はこのまま帰ろうね」


「う、うん……」

 少し残念そうな瑞希ちゃん。


 今日、あたしの家に遊びに行くって約束していただけに……。



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