第八話 進捗に問題なし。語り手は変わったが、日記帳は同じもの。


【今は遠い未来でも、これからお話する出来事は、日記帳に記されていること。少しの間だけ瑞希みずきから語り手が変わるけど、内容が変わるわけではないからご安心下さいね】



 一九九九年……よく考えたら世紀末。


 ノストラダムスの大予言の刻を過ぎても、何事もなく忘却の彼方かなたへ。尚且なおかつ、この時代を舞台にした某アニメのような核爆発もなく、世界中で何か起きるわけでもなくて、本当に小さな変化。ごく日常的なありふれたことだけれど、きっと大きな変化なの。


 日記帳のページを、ペラペラ……と、

 十一月十八日(木)。お友達になってから、ほぼ一か月ね。



 ――ほら、聞こえてくるの。


妙子たえこちゃん、おはよ!」

 と、元気な声が。振り返る。


「瑞希ちゃん、おはよ!」

 少し息が弾んでいるようで、


「走って来たの?」


「うん、寝坊しちゃった」

 と答えつつ、パッチリした目であたしを見る。


 それでいて、ごく自然な微笑ほほえみが丸い顔に浮かんで、少し……ぽっちゃりとしたフォルムが、ぬいぐるみのように柔らかな可愛かわいらしさを演出している。それが、いやされるようなマイナスイオンの効果を彷彿ほうふつさせているようで、いつの間にか、


「夜更かししたの?」

 と、気軽にお話ができるようになっていたの。



「うん、昨日のホラーアニメ見てたら眠れなくなっちゃって」


「ええっ、『十三番目の魔法学園』見てたの?」


 ――夜十一時から放送されているアニメ。一か月前だったかな? 瑞希ちゃんが言っていたホラー映画って、このアニメの第一話。ちょうどスペシャルだったの。


 あたしはホラー大好きで、毎週見ているけど、


「瑞希ちゃん、ホラー苦手じゃなかったの? それで、あたしがトイレで水浸しになった日、『この展開は駄目だって』って、思いっ切り泣いてたでしょ」


「……でも、同じだったんだ」


「何が?」


「原作者。十三番目の魔法学園って、『マジカルエンジェル・みずき』と同じ人だったんだよ。だからね、今日も妙子ちゃん家に行きたいの。原作本、……見せてほしいの」

 と、モジモジと。気のせいかな?


 何だか瑞希ちゃんの瞳がウルッとなってきて、


「じゃあ、今日も一緒に帰ろうね、瑞希ちゃん」


「うん!」


 今では、お友達というよりかは、まるで妹みたいな存在になっていた。



「な~んだ。普通にしゃべれるじゃないの」


 改めていうけど、ここは廊下。

 ゾクッと凍り付くような気配けはいと重なって、右耳の方から声が聞こえた。


 振り向くと、その気配がうそだったように思える容姿……ミディアム・ロングの少し茶色にした髪を、ブルーのリボンで飾っているお洋服までお洒落しゃれな女の子がいた。


「あ、浅倉あさくらさん……」


「あたしたちの時は、喋らないくせにね」


 その言葉の直後、一瞬のことだ。あたしは後ろから突き飛ばされた。そのまま瑞希ちゃんと正面の衝突! 地面に転んだ。瑞希ちゃんは、あたしの下敷きになった。


「ちょっと、危ないじゃないの!」

 と、叱咤しったする浅倉さんの声が、聞こえたような気がした。


 ……起き上がる。

 起き上がろうとしている。辛そうだ。


「瑞希ちゃん、怪我けがない?」


「……うん、大丈夫」


 でも、痛いのを我慢しているみたいだ。

 右膝を押さえ、座るのがやっとのようで、ちょっと泣きそうな顔をしていて……そんな中でも、あたしは立った。瑞希ちゃんを、守りたいから。


「なんだ? いたのか。全然わからなかったよ」


 そう言ったのは、目線を上げるほど背の高い、あたしを背後から突き飛ばしたボーイッシュな女の子。浅倉さんとは対照的な容姿。少し癖のある黒髪、それから釣り目、


 ……目が合った。


「なんだ? その目は。文句あるのか?」

 と一言。怒りの目。ボーイッシュな女の子が高く手をかざした。


「ひっ!」

 と、最短な悲鳴。歯を食い縛る。


 パチーン! という乾いた音。それが響くこの廊下を。



 ……痛くない?

 長く感じられた一瞬のこと。


 目を開けたら、瑞希ちゃんの後ろ姿があった。立っている。左のほおを押さえていた。


 たたかれたのは、瑞希ちゃんだった。


大西おおにしさん、駄目でしょ。そんなことしちゃ……」

 と、瑞希ちゃんの声が響いた。


 ……響いたはずだった。誰一人だれひとりと振り向かない。

 何人もの児童が通り過ぎるこの廊下、足を止める者はいなかった……。


 ずっと、そうだった。


 一か月前の女子トイレで、

 瑞希ちゃんだけが振り向いてくれたけど、結局は、何も変わらないの。


 この毎日が、繰り返されるだけ……。



「君たち、何してるの?」

 と突如、女の人の声が聞こえた。大人の。


「やばっ、逃げろ」

 と、大西さんは浅倉さんを連れて、その場から走り去った。


 二人の氏名は浅倉恵子けいこと大西雛子ひなこ。あともう一人いる。この二人のリーダー格のような存在が、その氏名は篠原しのはら祥子しょうこ。浅倉さんよりもはるかにお洒落だ。大富豪の娘または典型的な『お金持ちのお嬢様』なの。この三人組が何かにつけて、あたしのことを『いじめ』ている。クラス替えがあって、この四年二組に馴染なじめないままなのもあるかもしれないけれども、その上に内気な性格も手伝って、喋るにも、人の三倍は勇気がいる。


 ホラーよりも恐怖な空気・・。クラスの児童は見て見ぬふり。そうしなければ、自分が次なる『いじめの標的』になってしまう。それが恐怖でならないからだ。


 ……でも、瑞希ちゃんだけは違っていた。


 転校してきて二か月かな? クラスの事情を、何も知らない子だから、

 知らない者の強み。ある意味『KY空気読めない』かも?



「大丈夫? 妙子ちゃん」


 ハッとなった。

 瑞希ちゃんの左の頬は赤く腫れていた。それに、今でもこぼれそうなほど、目に涙がまっていた。それでも心に響くほどの、可愛らしい笑顔を浮かべていた。


 それさえも束の間、

 二分……いや、一分もたないうちに、さっきの声の人が駆け寄って来た。


智美ともみ先生……」

 瑞希ちゃんは、その人のことを、そう呼んでいた。



「二人とも大丈夫?」


「はい。大丈夫です」


 学園ものの定番のシーン。寄り添う先生の台詞せりふ。それに答える児童の台詞。ありふれた内容を感じさせつつ、智美先生は瑞希ちゃんへと視線を移した。


「瑞希さん、ほっぺたれてるけど、何かされてたの?」


 やっぱりそういうことになる。

 それが、あたしの背中やお腹に、あざが残っている理由。大西さんは怒りで、または瑞希ちゃんのマイナスイオンによりイライラで、そのことを忘れていたみたいだ。



 ――この時、瑞希ちゃんの、次の言葉が怖くなった。


「ううん、何でもないよ」

 と呆気あっけなく、頬が腫れているのも忘れるような笑顔だった。


 だからこそ、


『……えっ?

 どうしてなの?』


 という感じの心の叫びとなり、それにこたえるようにと、


「何でもないってことないでしょ?」

 と、智美先生は瑞希ちゃんを問い詰めようとする。……でも、でもね、



「瑞希が悪いの。妙子ちゃんとふざけてたから、お友達に怒られちゃったんだよ」


「そうなの?」


「うん。……だからこれからね、お友達に謝って来るよ」


 と言って、

 ダッと駆け出す。瑞希ちゃんはあたしの手を握り、グイッと引っ張って、その場から立ち去る。智美先生と別れた。……正直いうと、ホッとしていた。


『でも、

 こんなの瑞希ちゃんらしくない』


 その心の叫びの時は、渡り廊下。旧校舎と新校舎をつなぐ場所だ。もうすぐ教室だったのが、随分と離れている。『走る』から『早歩き』。そして『歩き』へと、三段変速を遂げた時には、もう人の姿はなく、誰も通りかからずに、二人の世界と化していた。


 思いは、言葉になる。


「瑞希ちゃん、どうして智美先生にあんなこと言ったの?」


 責めるつもりはなかった。

 怒っているわけではないけど、瑞希ちゃんの足が止まった。つまり、あたしの足も止まるという意味だ。だけど、瑞希ちゃんは背中を向けたままだった。


「……わからない」


「えっ?」


「妙子ちゃん、瑞希のお友達だから、ずっと一緒にいたいよお……」

 と言って、瑞希ちゃんは振り向いた。ぽろぽろと涙が零れていた。



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