九
「昔、ゴダードっていう学者が、一人の男性が二人のべつべつの女性との間に作ったそれぞれの子どもの子孫について調べてみたんだって」
それで……、夕子は記憶や得た知識を整理すように、視線をかすかにさ迷わせた。
「一人の女性は上流階級の知的なレディで、もう一人の女性は……、酒場で働いている身持ちの悪い女性で、知能にも問題があったみたい」
その二人の間に生まれたそれぞれの子どもたちの子孫を調べてみると、前者の女性の子孫は高学歴で知的な仕事に就く人間が多かったのに対して、後者の女性の子孫は犯罪者になる者や、生まれつき知能に問題がある者が多かったという。親の性質、知能、血が子孫に影響を与えたという例だ。
「つまり……、あたしたち全員、学院にとったらモルモットみたいなもんよ」
夕子は皮肉気に顔をゆがめて苦笑してみせた。美波以上に夕子はこの学院の本質を知っていたようだ。
「全員、実験結果を調べるために集められたようなものなんだって」
夕子の言葉に叫んだのはレイチェル裕佳子だ。
「ち、違うわ! シスターたちは、私たちを救済し、まっとうな道に戻そうとしているのよ」
裕佳子が吼えるように言い立てる。そうでも思わないことには自分の存在意義を失ってしまうのだろう。
「……パブロフの犬みたいなもんよ。ベルを慣らせば餌がもらえると思って尻尾を振ってるあんたを、思いどおりになったと喜んで、上から見下ろしているのよ」
実際にはパブロフの犬は唾液を流すようになったのだが、しかし、言われてみれば夕子の比喩は当たっている。
問題のある女性たちの子孫を集め、教育指導によって〝更生〟したものは誉め、特権を与えたりする。従わない者には罰をあたえ、貶める。ちなみに学院側にとっての更生とは、自分たちの言うことを素直に聞くということなのだろう。
張りつめた雰囲気が、突然開かれたドアによって破られた。顔を見せたのは、シスター・アグネスだ。
「皆さん、何をしているんですか? もう消灯時間は過ぎているでしょう?」
顔は笑っているが、その榛色の目はやはり凍りつくように冷たい。美波は彼女と目が合った瞬間、背に寒気を感じた。
「すいません。美香のことが気になって。あの、美香は大丈夫なんでしょうか?」
夕子が咄嗟にとりつくろうように言うが、半分は本心からだろう。
「ええ、大丈夫ですよ。杉さんも私もついていますからね。さ、早く寝なさい」
生徒たちはそれぞれのベッドに向かう。
だが、その夜は皆なかなか眠りに付けなかった。
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