(戻ってきたんだ! どうしょう?)

 あわててファイルを本棚にしまい、美波は逃げ場所をさがす。今廊下に出れば、シスターたちと鉢合わせになってしまうだろう。だが、その足音はこの部屋に向かってせまってくる。

「あら、ここ開けっぱなしにしていたわね」

 その声は杉のものだ。そんな声とともに彼女たちが入室してくるのと、美波が隣部屋となるシスター・グレイスの私室へと隠れたのはほとんど同時だったかもしれない。

 うち部屋に鍵がついてないのは幸運だった。美波は息を殺してシスター・グレイスのベッドの向こうで四つん這いになる。身体が震える。

「ねぇ、早く行きましょうよ。とっておきのワインがあるのよ」

「待って、すぐ行くわ」

 すぐ隣の部屋でシスター・マーガレットと杉は二言、三言話し、数秒後には明かりが消され、足音が遠のいていった。

(行った……)

 美波は安堵の息を吐いた。

 ところが、完全に音がしなくなってから美波が隣の部屋へと出、おそるおそる舎監室のドアに手をかけると、新たな恐怖に背が凍りついた。

(鍵がかかっている!)

 頭がパニックになった。

「落ち着いて、落ち着いて……」

 急いで窓から出ようとしたが、舎監室の窓はかなり高い。テーブルを壁に近づけても出れそうにない。

 呆然としてしまった美波だが、思いついてふたたびシスター・グレイスの部屋にもどる。

「あった」

 シスター・グレイスの部屋にも窓はある。小さいが、美波の身体なら抜け出せる。別館の厨房の窓と同じく日本の普通の窓で四角のサッシだ。美波はありがたさに涙が出そうになった。

 ちょうどベッドの向こうなので、ベッドに乗り、開けた窓から身を乗り出す。窓辺に置いてあった写真立てが邪魔なので、ばれないようにと祈りながら、そっとディスクの上に置く。一瞬、薄闇にその写真が見えて気を引かれたが、今はそんなことを気にかけている場合ではない。

 幸い、こちらの窓からだと地面もそう遠くない。美波は厨房の窓を抜けたときの要領で、どうにか外に出た。

「おっと……!」

 地面までの距離をすこし落ちる形になったが、たいした痛みもなく、すぐ立ち上がり、立ち上がった瞬間、とんでもない後悔に襲われた。

「そうだ……! 電話しないといけないんだった」

 舎監室の電話を使わなかったことに、自分の迂闊さに気が遠くなりかけた。

 いったいなんのためにこんなに苦労したのか。

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