第六十二話【苦渋の選択】

「くそっ……何だったんだよ、あいつ。あんな男が、僕らが接触しようとしていた東部領で内乱を起こしてる首謀者、グレセェンだって言うのか」


 グレセェンが立ち去るのを見送った僕は、吐き捨てるように言った。

 だが、しかしその感情に反して、体は嘘のように痛みが引いて軽くなっている。

 それはあの男が口移しで僕に飲ませた、あの究極の神水エリクサーの効果が偽りではなく本物だったことを意味していた。


「確かに出来れば、もう顔を合わせなくない男だ。しかし元々、信用は出来ない人物だとガナンから聞いていただろう、タミヤ。あの男がグレセェン前大将軍だと分かったからには、避けては通れない道だ」


「……ああ、分かってるよ。どんなにいけ好かない男でも、帝国中央と戦う戦力を獲得するためには、まずは同じテーブルに着かないといけないってことは」


 僕らはすでに姿が見えなくなったグレセェン達が去った方向から、視線を外す。

 そして重い気持ちを押して洞窟内に戻ると、出発の支度を整えた。

 着込むのは聖騎士の甲冑に決め、腰には村正を下げると、洞窟外に出た時には、僕らはもう気持ちを切り替えていた。

 子竜もそんな僕らの後をパタパタと両翼を羽ばたかせながらついて来ており、僕らの命がけの追跡劇は始まったのだ。


「なあ、気付いてたか? さっき会ったグレセェン達からは、新しい血の匂いがしてた。きっと誰かと交戦したんだろうな。もしかしたら、僕らは一歩間違えばその戦いに巻き込まれてたのかも……んっ!?」


 僕は不意に足を止める。彼らが通っていった向こうから、夥しい量の血の臭いが漂っているのに気付いたからだ。

 僕は匂いの正体を確認すべく走り出すと、ウルリナもすぐ後に続く。

 すると、そこに広がっていたのは……。


「お、おい…こいつらはっ! 何十体もの邪鬼の死体じゃないか! しかも……」


 そう、地面に無数に横たわっている邪鬼達は、顔面や腹部に途轍もなく大きな力で殴られた跡があり、その死に顔は苦痛に歪んでいる。

 彼らの死体を中心として鮮血が周囲に飛び散っており、それは一方的な戦いだったと一目で分かる有様だった。


「武器を使わず、素手で殴り殺したってことか。帝国の最新技術で作り出された強力な戦闘兵であるこいつらを、ここまで一方的に……」


「やったのはグレセェン本人で間違いないだろう。元々は大将軍まで務めた程の男だ。その強さも凄まじいが、それにも増して恐ろしいのは……。感じ取れるか、タミヤ。この場所に染み込むように残された、殺意の残滓が」


 僕やウルリナでなくとも、この場に訪れた誰もが気付いただろう。

 思わず後退りそうになる程に、不気味な殺意のオーラの残り香が漂ってるのが。

 ただの残り香でさえ、これだ。もしこれを面と向かって放たれたなら……。

 僕は考えただけでも、ぞっとする思いだった。


「僕らがさっき殺されなかったのは、運が良かったのかもな……」


「そのようだな。交渉の卓に着くのも、命がけになりそうだ。だが、東部領には今、何の目的か六鬼将のフィガロも来ているんだ。早々に自分達の立場がどちら側かを示さなければ、双方を敵に回すことになりかねない。腹を括れ。行くぞ、タミヤ」


 きっぱりと言い放つと、ウルリナは僕に先んじて歩き出す。

 僕はそんな彼女の背中を見たが、この有無を言わせぬ決断力が、またしても僕に勇気を与えてくれていた。

 僕が判断に迷った時、躊躇した時。最後に背中を押してくれる彼女のこの類まれな資質によって、どれだけ救われたか分からないのだ。


「ああ、いけ好かないけど、あのおっさんに取り入った方が、僕らが生き残っていける可能性は高くなるよな。待ってくれ、ウルリナっ」


 覚悟が決まった僕は、慌てて先を行くウルリナの後を、駆け足で追った。

 そうしてグレセェン達の足跡を追っていく内に、僕らはいつしか薄暗くて深い森の中に足を踏み入れていた。

 中々開けない森の中をそれでも突き進み、やがて枯死した木が多く目立ち始めた頃。僕らがようやく辿り着いたのは、森の中にひっそりと佇む古城だった。


「ずいぶん古びた城だ。けど、人の気配は……」


 気配は感じ取れる。中からも、そして外からもだ。

 実際、入口の大扉前には見張りをしているらしい、さっきの騎士達の姿がある。

 僕は少し迷ったが、交渉の席に着くためには堂々たる姿を見せる必要があるだろうと、彼らの前へと歩き出していった。

 勿論、先に決断を下したのはウルリナで、僕はその後を追う形になったのだが。


「失礼する。私はウルリナと言う者だ。グレセェン殿に折り入って話したいことがあり、ここまで訪ねて来た」


「話は聞いている。グレセェン殿からお前達が来たら通せと、すでに命令を受けている。ついて来るがいい」


 僕はその迅速な対応に面食らってしまうが、どうやら僕らが追ってきていたのは、すでにバレてしまっていたらしい。

 僕とウルリナは少し顔を見合わせた後に、重低音を響かせて開門された古城の大扉を潜ると、騎士の一人に城内を案内されていく。

 城の内部は所々痛んではいたが、掃除は行き届いており、快適な生活空間に整備されているようだった。

 内部にいる騎士達の好奇の視線に晒されながら、とある一室の前まで案内された僕らは、入るように促される。


「ずいぶん早い再会になったものだな。まあ、ともかく座るがいい。要件があると言うなら、聞いてやっても構わん」


 扉を開けた僕らを待っていたのは、部屋の中心に置かれた大きな丸テーブル前の椅子に腰かけた、あのグレセェンだった。

 身に纏っていた朱色の甲冑は脱いでおり、刀の鞘も腰に下げてはいない。

 だが、それでも隙は一切なく、たとえこの瞬間に斬りかかったとしても、躱される未来しか見えなかった。

 言われるがままに僕らは椅子に腰かけると、若い娘が紅茶を運んできた。


「そっちの女はウルリナ・アドラマリクだったな? 辺境伯の娘と同じ名だが、帝国中央から辺境領の焼き討ちを受けて生き延びていたとは、悪運は強いとみえるな」


「すでにお見通しと言うことか。では、単刀直入にいこう。私達、辺境領の残存兵力と貴方が従える東方騎馬民族とで共同戦線を張りたい。強大なる帝国に牙を剥くにはそちらとしても戦力は多いに越したことはないと思うが、如何か?」


 あくまでこちらを小馬鹿にした態度を見せるグレセェンに、物怖じすることなくウルリナは要求を言い放った。

 しばらく彼はこちらを値踏みするように見ていたが、紅茶に僅かに口につける。


「興味深い話ではある。だが、たかだか辺境領主の娘風情が私と対等に口を利こうと言うのか? どうやら立場が分かっていないようだな、小娘。私に要求を通したいなら、それなりの態度と言うものを見せてはどうだ?」


「失礼した、グレセェン殿。では、私は何を……」


 その時だった。グレセェンはウルリナの顔に、飲みかけの紅茶を浴びせかけた。

 僕は思わず立ち上がり、怒り心頭で目の前の男を睨み付けたが、無防備のままそれを浴びた当の彼女は、微動だにせず真っ直ぐに彼を見据えている。


「ふふん、瞬き一つしなかったとは。そして敵意を向けられても、どちらの立場が上かを弁えている、公人としてのその態度も大したものだ」


 ウルリナにも、僕にも、グレセェンはその愉悦を帯びた目を向けると、鼻でせせら笑いながら、外で待機していた騎士の一人を呼んだ。

 そして今にも怒りが爆発しそうな僕を余所に、彼は入ってきた騎士に指示を送る。


「客人方を歓迎してやれ。この二人は今日から共に戦う同志になる。まずは汚れた体を洗い流すため風呂に入って頂いて、その後は食事を振る舞って差し上げろ」


 その言葉を聞いて僕は交渉が成立したことを悟るが、それでも内心に燻る怒りは消えてなくならず、尚も殺気に満ちた視線を送っていた。

 しかしそんな一触即発な状態を制止したのは、ウルリナの一声だった。


「よせ、タミヤ。私のことなら、気にするな。それより早く行くぞ、何日かぶりの風呂に入れてくださるそうだからな」


「あ、ああ……けど、ウルリナ。こんな奴に……」


 だが、僕は言いかけた言葉を、その途中で飲み込む。

 これ以上は僕だけでなくウルリナの立場も悪くなるのが、分かったからだ。

 納得出来ない気持ちはあった。煮え滾る怒りが今にも爆発しそうだったが、どうにか抑え込みながら、僕らは騎士に案内されるがまま退室していく。


「……いつか殺してやるからな」


 それがグレセェンに届いたかは分からない。だが、退室する間際に僕はあの男への憎しみを込めて、その呪詛の言葉を呟いていた。

 たとえウルリナが止めても、彼女を侮辱したあの男に何もせずに引き下がるのは、僕のプライドが許せなかったのだ。

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