第五十六話【逃避する人々】

 僕らは薄暗い森の中を歩き続けていた。周囲には枯死した無数の木々が並び、更には障気と腐臭が凄まじく、森全体に淡い靄がかかっている。

 特に腐臭がここまで鼻を衝く原因は腐れ果てた地面の上に、人の死体が疎らに転がっているためだ。

 僕らはそのあまりの凄惨な光景に、目を背けたい気持ちを抑えて先を急いだ。


「……酷いな。埋葬すらされてない死体が、こんなにあるなんて。鎧に描かれた紋章からして、ここで息絶えているのは帝国の騎士達みたいだけど」


「うむ、正確には東部領主であるグスタブルグ伯爵家が抱える騎士達だ、タミヤ殿。当主のグゥネス伯も二年前から続く東方騎馬民族らの内乱に武力で対抗しているそうだが、収まりはつかず。今も戦闘行為が続く状況で、遺体をすべて埋葬している余裕はないのだろう」


 ガナンが僕の横隣りを歩きながら、僕の疑問を補足してくれる。

 だが、眉を顰めながら横たわる死体達にこれまで目を向けてきたが、そのほとんどが帝国騎士達のものであり、東方騎馬民族と思われる死体は一切、見当たらず。

 それの意味する所は彼らの強さであり、どちらが優勢かを雄弁に物語っていた。

 聞き及んだ限り、恐ろしく洗練された馬上戦闘においてのその強さ。

 果たして僕らはこんな連中の協力を得られるのかと、次第に不安感がこみ上げながら先を急いでいた時のこと。ウルリナが何かを見つけたように、声を上げた。


「おいっ! ガナン、タミヤ、見えたか? 森の奥の方に光が見える。いよいよこの森の終点が見えてきたのかもしれんぞ!」


「っ!? 本当だっ……向こうから、日の光が差し込んできてるじゃないかっ! これでようやくこの陰気で薄気味悪い森とも、おさらば出来るって訳だな!」


 口には出さずとも、全員がこの森の凄惨な光景に精神をすり減らし、少しでも早く抜けたいと思っていたのだろう。

 僕らは自然と顔を見合わせて綻ばせると、駆け足気味に……しかし警戒を怠ることなく日の光に向かって走り始めた。

 そして目的地への近道だった森を抜けた先で、僕らを待っていたのは……。

 東部領の要地であり、無数の街道が交錯している中心にある、グゥネス伯の城と彼が治めるグスタブルグ城下街だった。


「うむ、間違いない。どうやらグゥネス伯が治める城下に到着したようだ。だが、驚いたな。あそこに見えるのは魔種ヴォルフベットではないのか? いや、よく見れば違う、あれは……」


「あれは邪鬼って連中だよ、ガナン。帝国の新技術で、魔種ヴォルフベットの力を人や動物に注入して生み出された戦闘兵器だ。大抵は暴走して見境なく暴れるけど、稀に力を己の物として安定する個体もいる。街を襲わない所を見ると、あいつらもきっとその成功例なんだと思う」


 僕は視界の先にいる化け物達を指差しながら、ガナンにそう答えた。

 実際、城下町の入り口や街を取り囲む壁外の至る所にいる、一見すると魔種ヴォルフベットと見間違う鬼のような容貌の巨人達は人を襲うことなく、防衛にあたっている。

 恐らく東部領の騎士達だけでは内乱を抑えきれないため、帝国中央から人ならざる戦闘兵が派兵されてきたと言った所だろう。


「東部領の人々の現状を知るためにも、実際にこの目で視察をしておきたい。私とタミヤとユンナで向かおう。ガナン、お前達はここで待機していてくれ。しばらく留守番は任せたぞ」


「うむ、承知した、お嬢。だが、グゥネス伯は敵対する者には、容赦がないと聞く。タミヤ殿とユンナ殿がいれば心配はないと思うが、くれぐれも気を付けて欲しい」


 僕らはその忠告を重く受け止めると、背後で手を振るガナン達に見送られ、姿を透明化させたまま、城下町へと近付いていった。

 だが、壁外で見張りにあたっている鬼の巨人達は、僕らに気付くことなく接近を許し、僕らは難なく城下街の入り口から内部への潜入に成功する。

 しかし街の中に入ってみて、僕らは予想と反するその活気にまず驚かされた。


「……っ。な、なあ……ウルリナ。ここでは本当に内乱が勃発しているんだよな? とてもそうは思えない程、あまりにも賑やか過ぎやしないか」


「ああ、人々の顔を見てみろ。不安げにしている者が誰もいない。身なりが良く、やせ細っている者も見当たらない。平和を謳歌している人々そのものだ。外では騎士達が大勢死んでいると言うのに……」


 市場は賑わいを見せ、人々は城下町の通りを笑顔で通り過ぎていく。

 街外と中のあまりのギャップに戸惑いを隠せない僕らだったが、やがて別の市場へと辿り着いた。そこで売られているのは物でなく、人。つまり奴隷売り場だった。

 しかも奴隷の顔立ちは帝国民の大部分とは異なり、オリエンタルな人種。

 恐らく奴隷として売られている彼らこそが、東方騎馬民族なのだと思われた。


「あいつらが東方騎馬民族なのか? けど、なるほどな……。手足を拘束されてる上、体中に鞭で打たれたような跡まであるのに、目は強い意思を宿したままだ。この期に及んであんな目が出来るなんて、恐ろしいまでの胆力だぞ」


「それじゃあ、もっと彼らに近づいて様子を窺ってみませんかー? 会話が出来るなら、何か有益な情報が聞き出せるかもしれませんし、ここは私に任せてください」


 そう言うと、ユンナは手慣れた動きで人ごみの間をすいすいと掻い潜って、広場の隅で売られる順番待ちをしている奴隷達の中に紛れ込む。

 そして彼らの耳元で何かを囁いたかと思うと、何か交渉を始めたようだった。

 そうしてかれこれ数十分は経過しただろうか。やがて手土産でも持ち帰ってきたかのように、満面の笑みの彼女が僕らの所に引き返してきた。


「タミヤ様、ウルリナ様、朗報ですよー! あくまで口約束ですけど、彼らとその仲間達を助け出すのと引き替えに、こちらの要求を一つだけ聞いてくれるって約束を取り付けられました。ですから、後は伸るか反るか、ですー」


「そうか、ご苦労だったな、ユンナ。これは彼らと接触したい私達にとって、チャンスと言えるだろうな。一旦、夜が更けるまで待ってから、行動に移るとしよう。だが、やはりこの街の人々は……」


 ウルリナは奴隷売り場で競り合いに熱中している人々を見て思う所があるのか、少しだけ無言のまま彼らを見つめた後、やがて背を向けて歩き出した。

 彼女は何も言わなかったが、僕にはその胸中が痛い程に伝わってきた。

 辺境領で自分達が苦しめられている最中も、呪の障壁に守られた北の向こうで平穏な日々を謳歌していた、帝国中央の連中と重なって見えたのだろう。


「これが現在の帝国……中央だけではなく、南部領と東部領でも、人々は戦乱の火種にどこまでも無関心で……いや、現実を見ないように逃避してるんだな」


 僕は誰に言うともなく呟くと、僕もまた踵を返してウルリナの後を追った。

 背後では今も尚、人々は熱狂に包まれ競りを行う声が飛び交っており、僕はただウルリナの胸中を思い、やるせない気持ちになった。

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