第五十話【聖騎士と白髪鬼と】

「タミヤ、ここか?」


「ああ、このすぐ先だ。気を付けて降りろよ」


 地下監獄の小階段を下りた先に、目的としていた場所はあった。

 ウルリナと同じく捕らえられて幽閉中の身である、ユンナがいる監房だ。

 そして他の辺境騎士達も同階に幽閉されているが、僕とウルリナはまず彼女を救い出すべく、その扉を開けた。


 ――のだが、その扉にはなぜか鍵がかかってはいなかったのだ。


「っ? おかしい、鍵がかかってない? どうして……」


 僕は不信感を感じながらも、開けた扉から顔だけを入れて中を覗いてみたのだが、……いないのだ、いるはずの人物が、そこには影も形もなかった。

 僕の様子がおかしいことに気付いたウルリナは、後ろから心配そうに声をかけてくる。僕は彼女に事実をそのまま告げると、念のため中に入ってみようと促した。


「本当にいないみたいだ。どこへ行ったんだ、ユンナは」


 監房内に揃って立ち入った僕らは部屋内を見回すが、隠れるスペースもなく本当に誰もいないことを確認し終える。

 となると、当然の疑問はここにいたはずのユンナはどこに行ったか、だ。


「脱獄したのが明らかになれば騒ぎになっているはずだ。しかしそうなっていないと言うことは、まだバレてはいないか、それともどこかに幽閉場所を移されたか」


 顎に手を当てて考え込むウルリナだったが、僕の鼻がピクピクと動き出す。

 僕の嗅覚が反応し、実は部屋内には誰もいない訳ではなく、何者かがいることを嗅ぎ取ったのだ。

 僕はそこに視線を向けたが、見た限りではただの壁があるだけだった。

 だが、僕はある確信を持ってそこへ近づいていくと、屈んで手を伸ばしてみる。

 そうすると、思った通り何かに触れたのだ。


「これは……やはりそうか。ウルリナ、どうやらユンナの奴は一足先に脱獄したらしいぞ。触ってみてくれ、ここには人間が倒れている。それも透明化した状態でな」


 僕の言葉にウルリナも腰を屈めると、枷がはめられた手で、透明になって倒れている誰かが、確かにここにいる証拠を確認する。

 その感触に彼女は驚いたようだったが、すぐに立ち上がって僕を向いて言った。

 

「なるほど、状況が飲み込めてきたな。つまりあいつの天の才器、透明になれる能力で脱獄したのか。恐らくここで気絶して倒れているのは、ユンナを監房の外で見張っていた看守と言った所だろう」


「ああ、となると行き先を確かめなきゃな。あいつは自分一人だけで逃げ出すような奴じゃない。きっと僕らや、他の辺境騎士達も助け出そうと試みているはずだ」


 ウルリナは肯定の返事を返すと、ここを出て他の監房内も確認してみるべきだと提案。僕はそれに従い、監房を出た。

 そしてさっそく一部屋一部屋確認していったが、看守はおろか幽閉されていたはずの辺境騎士達の姿も誰一人として確認出来なかったのだ。

 少なくとも目で確認した限りでは、の話だが。


「もぬけの空だ。ここにやって来た時、通路に看守達の姿が誰も見当たらないのは変だと思っていたけど、少なくともこの場にいた看守連中は皆、透明にされた状態で逆に監房内に押し込められてるらしいな。すると、ユンナ達は今頃……」


 僕は匂いを辿るために鼻を嗅ぎながら、監獄の通路をゆっくりと移動していく。

 すると、しばらくして僕の嗅覚はユンナの匂いの残り香を嗅ぎ取った。

 その匂いはこの通路の奥へと向かって続いているのだが、人数は一人ではない。


「思った通りだ。ユンナの奴、僕らが来るより一足早く辺境騎士達を助け出して、脱獄の真っ最中みたいだぞ。只者じゃないと思ってたけど、ここまでやるなんてな」


「それはずいぶん行動的なことだ。私達は、いらぬ心配だったようだな」


 ユンナが荒業で絶賛脱獄中なのを想像したのか、ウルリナが僕の隣で思わず笑みを溢した。いや、もしくはあいつならやりかねないと、そう思ったのかもしれない。

 少しだけ緊迫感が和らいた僕らは、そのままユンナ達の追跡を続けていった。


「あまりうろうろしてたら、看守達から怪しまれるかもしれない。匂いは監獄の外に続いているから、僕らもこのまま外に出よう」


「ああ、しかし出入り口には看守達が大勢いるだろう。人目に触れる程、私達の脱獄がバレる危険は増す。くれぐれも用心してな、タミヤ」


 僕はウルリナの顔を見て、こくりと頷くと、通路を進んでいく。

 そうしてようやく監獄の出入り口の前まで辿り着いた僕らは、看守達から形式的なボディチェックを受けることになった。

 そういえばこの異世界に来て間もない頃、呪の障壁に入る際に中央騎士達から同じようにボディチェックをされたことがあったことを、ふと思い出す。

 同時にクシエルと初めて会ったのはあの時だったか、と。


 ――胸がズキリと疼いた。


 まだ自分の中にはあいつに仕掛けられた術の残滓があって、再び僕を支配しようと燻っているのを感じる。

 今は鳴りを潜めているが、もしあの男の前に立ったその時、僕はどうなってしまうのかは、それは僕自身でも分からないことだった。


(タミヤ……? どうした?)


 僕が深刻な顔をしているのを見て、隣のウルリナが小声で声をかけてきた。

 顔に出ていたか、と自分の迂闊さを反省すると、彼女を安心させるように「いや、何でもない」とだけ答えた。

 そんな間にも看守達のボディチェックは終わり、監獄を出る許可が下りる。


「ウルリナ、行くぞ。ユンナの匂いはこの先へと続いている。このままあいつの行方を追跡していこう」


「ああ、お前頼みになるがな」


 監獄の唯一の出入り口である鋼鉄製の大扉が開いて、上に続く道が見えてくる。

 ここは帝都でも外周部に近い所にある場所で、僕らは階段を上がっていくとやがて地上の景色が見えてきた。

 そして地面の上に天井部が突き出た監獄の付近を警備する看守達に見送られながら、僕らは人通りが疎らな帝都の街並みに出ることに成功する。


「……肝が冷えたが、上手くいったようだな。しかし、タミヤ。さっきから聞きそびれていたが、お前はいつの間に、そんなに嗅覚が鋭くなったんだ? 特定の人物の匂いから後を追跡できるとは、まるで猟犬並だぞ」


「ああ、それはだな。実は……」


 ウルリナからの疑問に答えようと、隣にいる彼女の方を向いたその時だった。

 突然、僕の後頭部に強い衝撃が走り、堪らず地面に膝を突き崩れ落ちた。

 頭痛ががんがんするのを耐え、背後を振り返るがそこには誰もいない。


「タ、タミヤっ! どうした、急に倒れて!」


「ウルリナ様から、離れるんですよー! この色情女がーっ!」


 聞き覚えのある、高い声。

 それが耳に届いたのと同時、鈍い痛みが僕の背中に一気に圧し掛かった。

 感触から踏み付けられたのだと理解し、僕は攻撃した主の名を咄嗟に口走る。


「ユンナっ! お前だな!?」


「ええ、そうですよーっ! ウルリナ様を何度も何度も虐めて……いくら操られてるからと言ったって、もうお前には我慢の限界ですよー!」


 ユンナは執拗に地面に蹲る僕の背面に、蹴りを入れ続ける。

 だが、この距離まで近づけていたのに、匂いで気配を察知できなかった。

 そういえば妙な匂いが僅かに背後のこいつから漂ってきており、それは僕も嗅いだことのある匂いであるのを思い出す。


「なるほど、炭酸水素ナトリウムで自分の匂いを消した訳か、ユンナ!」


 僕は素早く立ち上がり、ユンナから距離を取ると透明化した彼女と対峙する。

 すると、ユンナは凄まじい殺気を僕へと放ちながら、透明化を解いて姿を現す。

 だが、その形相は温和でおっとりした彼女らしかぬ怒気を帯びていた。


「タミヤっ、もうお前を仲間とは思いませんからー。ボコボコにぶちのめして、今までのウルリナ様への非道な行いの報いを受けやがってください!」


「……どうやら言葉で何を言っても無駄なようだな。分かったよ、ユンナ。じゃあ、お前のその挑戦を真っ向から受けて立ってやる。その口を閉じさせてもらうぞ」


 ユンナが先に短剣を抜き、その目を見れば最初から手加減など考えない、本気モードなのは明らかだった。

 対する僕も、彼女に続いて腰に差した鞘からセイブザクイーンを抜く。

 互いに放つ殺気に視線が火花を散らし、僕とユンナが激突の時を迎えていた。


「タミヤっ……ユンナ! 何をやっているんだ! 今すぐ剣を収めろ、二人共!」


 狼狽えるウルリナは、必死に間に入って僕らを止めようとするが、僕はともかくユンナは今まで見たこともない程に、怒り狂っている。

 一度、思う存分にぶつかり合わなければ気が済まないだろうし、止められはしないだろう。


「下がっててくれ、ウルリナ。側にいたら巻き添えを喰うぞ。……安心しろ、こいつを殺したりはしないから」


「ずいぶん舐められたものですねー。後で吠え面をかいても知りませんよ、タミヤっ!」


 僕らがその会話を交わした後、ウルリナは心配そうな顔で後ずさっていく。

 そしてその流れから続く、僕らの戦いの開幕は意外と静かに行われた。

 ゆらりと動いたユンナは急速に突進し、僕も下段の構えから剣の切っ先を前方に向けて疾走し、大地を走る空圧さえ生み出していく。

 それらが互いの中間点で激突し、僕らの一騎打ちの始まりとなった。

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