第二十二話【クシエル、再び】

 南部伯の城の屋上から、ネルガルは城下に集結した兵を見やった。

 皇帝から彼が今回の戦いのために預けられた兵力は、帝都の主力部隊一個、その戦力はおよそ三万七千に達する。

 辺境城に籠城する百人程度の敵勢力とは、比べるべくもない大兵力だ。


「よお、クシエル。この軍勢の指揮はお前に任せてやるぜ。どう動かしてもいいから、好きなようにやってみな」


 しかしネルガルは自身の背後で、共にこの戦列を見下ろしているクシエルを振り返ると、唐突にそう言ってのけたのだ。

 クシエルはこれは意外と言った顔で屈託なく笑うものの、二つ返事で承知した。


「ええ、それは構いませんが、将軍。それで貴方はどうされるのです?」


 クシエルにとって将軍からのこのような突飛な命令は、日常茶飯事だった。

 だから予想外ではあっても、すぐに受け入れることは出来たのだが、将軍はただの気まぐれで滅茶苦茶な命令をする男では決してない。

 大局を見据えて必ず意味のある行動を取り、正しい決断をする人物。

 それがクシエルの中での将軍の人物像だった。


「俺は他にやることがあるからよ。ちょっと脅かしをかける意味でも、誰かが行かなきゃならねぇんだが、かなり危険過ぎる仕事なんでな。ここは俺自らが行くのが確実だと判断した。だから後は頼んだぜ、クシエル」


 それだけ聞くと、クシエルはその意味を理解する。

 そして全身から炎を噴出させるように生じさせながら、ぶわりと空へと飛び立った将軍の後姿を見送ると、呟くように答えた。


「なるほど、そう言うことでしたなら。貴方もお気を付けて、将軍」


 クシエルは僅かの間に、かなりの速度で空の向こうに遠ざかっていった将軍に生真面目に一礼すると、踵を返して彼もまた城内へと姿を消していった。

 この大軍勢の指揮を任されたとはいえ、彼の中に慢心などは微塵もなく。

 兵力では敵に圧倒しているとはいえ、今回の戦いが舐めてはかかれないこと。

 自身の切り札を使うことになる可能性もあると、彼には確かな予感があったのだ。



 ◆◆



 僕が辺境城の付近を上空から見渡していると、次第にそれらが見えてきた。

 平原の向こうから、黒い点が。いや、黒い甲冑を着込んだ騎士達の大軍勢が。

 どうやらあれこそがウルリナから聞いていた、精鋭の選りすぐりである「黒魔甲冑騎士団」と言う、帝国主力部隊の一つだろう。


「帝国中央のエリート様達が、先陣を切って向かってくるなんてな。けど、人間の騎士達の中に大きいのも混じってやがるぞ。あれは……」


 その外見は僕には見覚えがあった。

 忘れもしない、呪の障壁でクシエルの命令で僕に襲い掛かってきた……。

 そう、僕と少しだけ交戦した後に僕を巻き込みながら自爆した、あの時のガイジュウとか言う大型の戦闘人形バトルドールだった。


「と言うことは、指揮官はクシエルの奴か。けど、不味いな。あの戦闘人形バトルドールは一種の攻城兵器みたいなもんだ。あんなのに、また自爆でもされたら……辺境城なんて一溜りもないぞ……。あいつらを城に近づけさせるのだけは、絶対に駄目だ」


 僕は空からの見張りを終えると、城のバルコニーに降り立つ。

 そして空から見た様子を、そこからも確認していたウルリナに報告する。

 彼女は少し考え込んでいたが、すぐに対処方法を指示してくれた。


「タミヤ、待たせてしまったな。いよいよ、お前の出番が来たようだ。そして私も一緒に出撃するぞ。空からその戦闘人形バトルドール達を一方的に攻撃し、破壊する」


「ああ、空から攻めるのはいいが、具体的にはどうする?」


 だが、ウルリナは説明は後でするから、まずは行動に移ってくれと言う。

 ならば僕はそれに従うまでだと、僕の胴体に手を回して掴まっている彼女を連れて、高速で城から離陸すると、天を駆けた。

 そして瞬く間に黒魔甲冑騎士団が進軍してきている上空に到達すると、彼女は僕に掴まったまま、両手の人差指と中指を絡ませた状態で念を込める。


「では、実戦では初試みとなるが……いくぞ! これが私の切り札、『設置結界・流動重壁』だっ!」


 ウルリナが作り出した結界壁は……いや、それは今まで通りに壁ではなかった。

 まるで鉄の大きな塊のような大重量のそれは、眼下にいる黒魔甲冑騎士達やガイジュウ型の戦闘人形バトルドールに向けて落下していったのだ。

 そしてその地面を陥没させる程の破壊力を持った重弾とも形容すべき塊は、轟音と共に地響きを起こしながら、敵達を踏み潰して絶命させた。


「どうやら効果は覿面のようだな。これだけの大軍勢なら正確に狙わなくとも、落としさえすれば、どこかしらが被害を受けるのは確実だ。では、続けていくぞ!」


 ウルリナは再び先ほど同様に、両手の指を絡ませて念を込める。

 恐らく結界壁を形状だけではなく、重量までも自在に変化させられるのだろう。

 それを防御でなく攻撃に使うと言う彼女の発想が生んだ、見事な必殺技だった。


 ――のだが、どうも僕は違和感を感じていた。


 なぜなら、地上を進軍する奴らに混乱している様子は見られない。

 確かにウルリナの切り札は黒魔甲冑騎士達を、戦闘人形バトルドール達を押し潰して、損害を与えていってはいるのだが……。

 まるで自軍の指揮官に絶対の信頼を置いているような……。

 この状況をも必ず打開してくれると、安心しているかのような……。

 地上の連中はまさにそんな感じだった。


「ウルリナ、気を付けろ。あいつら何か妙だ……きっと何かを仕掛けてくるぞ」


「……ああ、分かっている。今、目の前で命の危機が迫っているのに、彼らは動揺も恐怖心も見せてない。あれは……勝利を確信している目だ」


 上空で旋回しつつ、僕らは真下の様子を用心深く観察する。

 それでも得体のしれない危機感に襲われていた僕らだったが、その時のこと。

 きらりと白光りする細長い線のような物が僕らの周囲を取り囲むように走った。


「これはっ……オーラ状の糸!? まさか……っ!?」


 僕がそれを視認した時には、すでに僕らの退路は無数の糸で塞がれていた。

 そして僕の視線の先には、いつの間にか空中で浮かぶクシエルの姿があった。

 その光景を見て僕は一瞬、自分の目を疑う。しかしよく目を凝らして見ると、どうやら浮かんでいるのではなく、張り巡らせた糸の上に立っているようだった。


「またお会い出来て光栄ですよ、タミヤ殿」


「クシエルっ、また来やがったのか。前にぶちのめしてやったのに、また性懲りもなく現れたと言うことは、無策でやって来たって訳じゃないんだろ?」


 鋭い殺意の視線を飛ばす僕をクシエルは気にした様子もなく、むしろそれを軽く受け流してしまうと、大仰に一礼した。

 そして頭を上げると、またいつもの艶めかしい笑みを浮かべながら、心底楽しんでいるような目で僕を見つめ、言ってのける。


「ええ、当然です。私の天の才器は集団戦でこそ、真価を発揮しますのでね。それをお見せするためにも、貴方達にはまず地上に降りて頂かねば。丁重に、お持て成しを致しますよ。今度こそ、貴方を私の妻にお迎えするために、タミヤ殿」


「つ、妻ぁ……? お前、言ってることがどんどん……っ」


 僕が言いかけた途中で、クシエルは両手を下へと振り下ろす。

 すると、頭上から背中にかけて糸による衝撃が、僕とウルリナを襲い掛かった。

 僕らはそれに抗うことは出来ず、村正から振り落とされて地上へと真っ逆さまに落下していき、地面に勢いよく激突した。


「つっ……! 大丈夫か、ウルリナ?」


「あ、ああ……何とか。それよりクシエルから目を離すな。これから私達に対して、何かを仕掛けてくるはずだ!」


 僕はウルリナの指示に、こくりと頷く。そして僕と彼女が揃って上空を見上げると、糸の上に立っていたクシエルは今度は右掌を開いて地上に向けている。

 何かの前動作に思えたが、その掌から束ねられた大量の糸を飛ばし始めた。

 すると、次の瞬間には風を受けた糸に引かれて、あの男の体はあっという間に地上へと移動し、僕らから十メートル程度、離れた地点へと降り立ったのだ。


「これは主に蜘蛛が使う、バルーニングと呼ばれる技術なのですがね。まあ、余談になりますが。では、次はこういうのをお見せしましょうか、タミヤ殿」


 クシエルは今度は両掌を天に翳すと、上空に向かって無数の細かい糸を飛ばす。

 そしてそれらを一斉に、戦場全体に降り注がせた。


 ――狂化糸っ!


 クシエルが技の名を叫ぶと、その糸を身に受けた黒魔甲冑騎士達は目の色を狂気に染めて、目に見えて動きの機敏さが、身体能力が強化されていったのが分かった。

 今の技によって、明らかに戦場の空気が一変したのである。

 そして自信を覗かせたクシエルは笑顔のまま腕を組むと、僕を見据えて言った。


「如何ですか、タミヤ殿。これにて戦場を私の支配下に置きました。さあ、皆さん。私の未来の伴侶となる彼女を取り押さえなさい。帝都へとお連れして、すぐにでも式を挙げることにしますのでね」


「ふざけるなっ! 誰がお前みたいな色情野郎なんかとっ!」


 僕は僕への言動がますますエスカレートしていく、クシエルに対し咆哮する。

 すかさず地面に落ちた村正を拾い、ウルリナもフレイムタンを抜剣して構えた。

 だが、四方を取り囲まれており、これまでで何回目かすらも忘れてしまった程、死闘となる戦いが、またもや幕を上げたのだ。

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