第40話 家族会

 ――“かぶらがわ”で家族会をやるんだ。家族会なんて名前だけで、ゆるい集まりだから、ぜひとも来てほしいな。鈴村さんに紹介したい人もいるし。



 青木先生に指定されたのは、山名やまなにある飲食店“かぶらがわ”。青木先生の弟の青木春也の店だ。

 青木先生は先に来ており、駐車場で一服していた。新色のラズベリーピンクのスクラブではなく、白地に“暑いぜ館林”と書かれたTシャツとインディゴのジーンズという出で立ちだ。ここ、館林たてばやしでなくて高崎なんですけど。良くも悪くも医者には見えない、と紗衣は思った。紗衣の隣で、涼太が「色々ツッコミしたい」と小声でこぼし、渋い顔をした。

「薫ちゃんも果歩ちゃんも、来てるよ。暑いから、中に入んな」

 先生こそお入りになって下さい、と紗衣は言おうとしたが、彼がさっさと店に向かってしまう。紗衣の手を握って。指を絡めて。

 「本日は貸し切りとなっております」と張り紙がされた扉を開けると、すでに10人ほどの客がいた。

「望月くん、は?」

 紗衣にも覚えのある声が耳に入った。声の主は、保坂事務長だ。

「外で煙草を吸っていました」

 彼はつないだ手を離し、何も気にならないかのように、さらりと答えた。

「お紗衣ちゃん! 涼ちゃん! こっち、こっち!」

 明るくはじける声は、カウンター席から聞こえた。果歩が大きく手を振っている。紗衣も涼太もカウンター席に座った。

「いらっしゃいませ!」

 カウンター越しに、春也が冷水のグラスとおしぼりをくれた。

「金は兄貴に払わせるから、好きなの食ってくんない!」

 春也のハスキーボイスに押されるように、紗衣は体が固まってしまった。

 メニューを出されても手が動かず受け取れず、気持ちばかりが急いてしまう。

 涼太とは自然に話せるようになったから男性への恐怖心は消えたとばかり思っていた。でも、駄目だ。まともにコミュニケーションを取ることができない。

 膝の上で固く握りしめた手に、大きな手が重ねられた。静かに、温かな熱がじんわり伝わってくる。隣に座る彼の熱だ。

「じゃあ、とりあえずウーロン茶をお願いします。紗衣は?」

 彼に訊かれると、紗衣は「同じものを」と答えることができた。

 彼は紗衣の代わりにメニューを受け取り、一緒に見よう、と広げてくれる。

 ラミネート加工されたメニューの隅の、“季節野菜のそぼろあんかけ”を、紗衣は見つけた。おいしそうな名前。鶏の照り焼きやサラダと一緒に、それを注文する。

 彼が隣にいるから大丈夫。そんな過信があった。

「ごめん、ごめん。遅くなった」

 青木先生が、電子タバコのフルーティーな残り香をつれてやってきた。

「こちら、妻と娘」

 青木先生の妻は、正統派美人といった雰囲気の人だった。

里恵りえと申します。夫と、……事務長さんがお世話になっています」

 里恵夫人は、育ちが良さそうに頭を下げる。

 いくちゃん、と涼太が呟いたのが、紗衣には聞こえた。保坂事務長の下の名前は、育美だ。

「いくちゃんと私、従姉妹なんです。歳はそんなに近くないけど、姉妹みたいに接してもらっています」

 医者の妻だから医療関係者かと思いきや、保育園の調理室で働いているらしい。

「それと、一人娘の“サエ”です」

 里恵夫人の陰からひょっこり出てきた女の子は、「青木冴です! 5歳です」と元気良く挨拶する。

 今度は、紗衣が驚く番だった。

 青木先生の一人娘が自分と同じ名前だったこと。その直後に「お待たせしました!」とテーブルに置かれた“季節野菜のそぼろあんかけ”は、里芋がメインだったこと。



「鈴村さんが面接に来たとき、俺、かなり驚いたんだよね。娘と同じ名前だったから。でも、採用理由はそれじゃないよ」

「採用したのは、雅哉くんじゃないでしょ。私だからね」

「“おばやん”を採用したのは俺だよ」

「はい、はい。感謝してますよ、“おっさん”」

「我ながら、人生最大のヘッドハンティングだったな」

 青木先生と保坂事務長は、職場と同じような会話を交わす。

「春也も嫁もらいなよ」

「なぜ俺に振る?」

 春也はオ-ドブルの皿を音を立ててテーブルに置く。

 酒が入った青木先生は、じゃあさ、と春也に食い下がる。

「春也のタイプは誰なの? ? 果歩ちゃん? 薫ちゃん?」

「薫ちゃんは、ないな」

 春也が言うと、薫が「え?」と、目を細めて小首を傾げる。春也は気づかない。

「紗衣ちゃんと果歩ちゃんの良いところを足した感じがタイプ」

「欲張りだな、お前」

「兄貴が訊いてきたんだろ」

「春也も嫁もらいなよ」

「結局そこに戻るんかい!」

 春也は厨房に戻るべく、きびすを返す。すかさず、薫が足を引っかけて止めた。

「あら、ごめんあそばせ」

 春也が戸惑ってフリ-ズしている間に、薫は椅子から立ち上がる。

「果歩に何かしたら、ただじゃおかないから」

 薫は、ぽん、と春也の肩を叩き、再び椅子に座る。それから、隣の果歩の頭を撫でた。優しく、愛おしむように。果歩は、くすぐったそうにそれを受け入れる。

「薫ちゃん、ずるいな。次、俺もやります」

 涼太が挙手して立ち上がろうとする。薫は目一杯腕を伸ばし、制止する。

「涼ちゃん、やめなさい。図体がたいのいいあんたがやると、が本気で怖がっちゃうから」

 そうか、と涼太は納得したようだ。

 仲の良い人達だな、と紗衣は思った。



 もしも。仮にだが。

 涼太が制止されずにあのくだりをやってくれたら。



 ――紗衣に何かしたら、ただじゃおかないから。



 そう言ってくれるのだろうか。

 しかし、淡い期待は抱かない。

 汗をかいたウーロン茶をちびちび飲みながら、紗衣は皆の話を楽しむに徹した。

 真夏の温い夜は、更けてゆく。

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