第33話 アイス大福

「琢磨!」

 職場に着いた途端、黄色い声が琢磨を歓迎した。

「琢磨、甘いもの好き? アイス大福買ったから、お昼に食べよう?」

「おせんべいもあるよ?」

「かりんとうまんじゅうも」

 琢磨を囲む女性スタッフを横目に、青木先生は「“おばやん”が発情している」と眉をひそめる。

「おい、“おばやん”。未成年に手を出すんじゃねぇぞ」

 出しません、とブーイングが生じたタイミングで、朝のミーティングが始まった。業務内容なので、琢磨には外れてもらう。昨日と同じように、相談室にいてもらうことにした。

「また弟がご厄介になりますが、申し訳ありません。よろしくお願いします」

 紗衣が頭を下げると、厄介なんかじゃないよ、とフォローの言葉をかけられた。

 仕事中は特に、余計なことを考えないようにした。

 琢磨のこと、父のこと、彼のこと、少しでも考え始めてしまったら、仕事が手に着かなくなりそうだから。

 明日は木曜日。クリニックの休診に合わせて、仕事は休みになる。ふわふわした気持ちを、ポジティブだと信じ込み、紗衣は午前中の業務を進めた。



「休憩にしましょうか」

 13時。事務長の保坂育美の一声で、スタッフは事務スペースのテーブルに集まる。

 紗衣は琢磨を呼ぶべく、相談室のドアをノックする。返事はない。静かに入室すると、琢磨がいるのは確認できた。

 ピンク色の封筒。その中身と思しき書類を、琢磨は見つめる。しかし、すぐに紗衣に気づいた。

「お姉ちゃん、何?」

 琢磨は、何事もなかったかのように書類を封筒にしまう。封筒も、リュックサックに隠してしまった。

 その封筒は何?

 何かあったの?

 訊きたいけれど、問いただしたいところだけど。

 そんなことをしたら、父と同じようになってしまう。

「琢磨」

 紗衣は琢磨と目を合わせ、なるべく優しく微笑むように努める。

「なぜ家出なんかしたのか、無理には訊かないけど」

 琢磨が、びくりと動揺した。

 紗衣は琢磨の反応を気にしながら、一言ずつ発する。

「お姉ちゃんは、琢磨の役に立ちたい。私なんかでは力不足だけど、涼ちゃんも、院長先生も、事務長も、看護師さん達も、色々な経験をした大人だよ。臆さずに頼ってほしいな」

 琢磨の顔が、くしゃっと歪んだ。父に似たイケメン予備軍の瞳は、小さな珠のような涙が浮かぶ。

「皆、休憩にするって。琢磨もおいでよ。待っているから」

 待っている。

 紗衣にできることは、それだけだ。



 琢磨はすぐに来た。昨日のようにテーブルを囲むが、紗衣は涼太の隣に椅子を並べられ、“おばやん”にちやほやされる琢磨を見守る。

「紗衣の、ほとんど茹で卵じゃん」

 彼に手元をのぞき込まれ、紗衣は、違うよ、と否定した。

 味付き茹で卵に、鶏そぼろご飯のおにぎり。米飯は目見当で80g。1日の炭水化物摂取量は250g以下と決めているから、もうすでにオーバーしている。琢磨が選んでくれたサンドイッチは食べられそうにない、と思ったら、アイス大福がまわってきた。すぐに溶けてしまいそうだから、要りませんとは言えない。包みをはがして、ぎゅうひをわずかに噛むと、ミルク味のアイスクリームがとろりと舌に乗った。、テロだ。ぺろりと1個食べられる。

 “おばやん”スタッフがお喋りしている隙に、青木先生が手を伸ばしてアイス大福をもう1個取っていった様子が、紗衣にはしっかり見えた。近くの人は気づいていない。

 彼は気づいたかな。

 紗衣は、隣に座る彼を盗み見る。盗み見たつもりだったが、目が合ってしまった。

 彼は顔を綻ばせ、紗衣の頬をくしゅくしゅと撫でる。

「涼ちゃん、ちょっと」

 涼ちゃん、今、職場だよ。

「望月さん」

「はい、すみません」

 仕事用に言い換えると、彼はいたずらを止めた。

 おそらく今日も、紗衣は琢磨と一緒に、彼の家に泊まることになる。いたずらの続きがありませんように、と祈るばかりだ。嫌なのではない。彼に愛されていることも体感している。ただし、ペットとして愛されているのだ。それを忘れないようにしたいのだ。



 昼休み終了間近、紗衣は琢磨に「お姉ちゃん」と消えそうな声で話しかけられる。

「お姉ちゃんの携帯電話、貸して下さい」

 琢磨は、長いTシャツの裾をぎゅっと握った。

「お父さんに電話したい」

 琢磨の目には涙が浮かんでいる。

 紗衣は自分のスマートフォンを琢磨に渡したが、琢磨は使い方がわからないらしく、紗衣が操作して父に発信した。

 コールの途中で相談室に移動したが、父からの応答は、なかった。

「お父さん、大丈夫かな」

 琢磨が呟いた。

「メールしようか?」

「お願いします」

 琢磨が考えた文章を、紗衣はメール画面に入力し、送信した。



 ――琢磨です。お姉ちゃんの携帯電話を借りてメールしました。

 勝手に家出なんかして、ごめんなさい。

 お父さんは元気ですか?

 ご飯は食べていますか?

 今夜、電話をしてもいいですか?

 お父さんとちゃんと話がしたいです。

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