第28話 かぶらがわにて

 彼以外の男の人は総じて怖いのに。

 それなのに、琢磨は平気だった。

 小さい頃の面影があるからだろうか。会うのは約7年ぶりなのに、お姉ちゃん、と無邪気に接してくれたからだろうか。

 琢磨が目を細めてあごを上げる様子は、父に似ていた。

 紗衣は絶対に似ることのない、父に。



 午後の業務の間、琢磨には相談室にいてもらった。

 琢磨の荷物は、リュックサックとボストンバッグ。多くても二泊分の量だ。

 最後の患者様がお会計を終えると、紗衣は玄関を施錠した。

「皆さん、今日は弟がご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした。おそらく、明日もつれてくることになると思いますが……」

 明日は仕事が休みではない。紗衣は、できれば琢磨には目の届くところにいてもらいたい。

 女性スタッフは、嫌な顔をしなかった。

「うん、大丈夫だよ。連れてきてよ。“おばやん”、お昼おごっちゃうよ」

「おい、“おばやん”。未成年に手は出すなよ」

 青木先生が話に割り込む。

 紗衣は思わず身構えてしまった。午前中に指示されたことができなかった申し訳なさは消えない。

「今夜、皆で飲みにいかないか? “おっさん”、おごりますよ」

「先生、ごめんなさい。息子の迎えが」

「うちも、娘を塾に連れて行かなくちゃ」

 スタッフは次々に、誘いを断って退勤する。

 断らなかったのは、紗衣と涼太だけだった。

 紗衣の場合は、断れなかったのだが。



「じゃあ、今日も一日おつかれさまでした! 乾杯!」

 青木先生の音頭に合わせて掲げられたグラスの数は、6つ。

 青木先生、涼太、紗衣、琢磨。それと、薫に果歩。涼太、紗衣、琢磨はソフトドリンクだ。

 「あのケアマネも呼んだら? 友達なんだよね?」と青木先生が言ってくれて、紗衣は薫に連絡した。薫は、星野ヤスエの救急搬送と入院の手続きで忙しかったはずなのに、「じゃあ、お呼ばれしちゃうわ」と来てくれた。果歩も同伴で。

 店は、山名八幡宮の近くにある“かぶらがわ”。青木先生の弟、青木春也の店だ。紗衣が入職してすぐに、出前に来たことがある。

「鶏の照り焼きと、冷や奴と、季節野菜のサラダ、お待ち!」

 春也は声を張って、紗衣の前に料理を置く。紗衣はお礼も言えず、身を強張らせた。

 そんな紗衣の肩を、涼太がそっと抱く。紗衣は、別の意味で緊張状態だった。ふたりきりなら、心臓がばくばく高鳴っても身を預けるが、他人の前では甘えられない。

「怖かったね。でも、大丈夫だよ」

 耳に心地良い声でささやかれ、紗衣は頷いて俯いた。赤くなった顔なんて、誰にも見せられない。

「お紗衣ちゃんと涼ちゃん、いいな。素敵なカップル」

 果歩はうらやましそうだ。

「果歩ちゃんと薫ちゃんだって、よく出かけているみたいじゃないか」

 紗衣と同じことを思って訊いてくれたのは、涼太だ。

 果歩は首を横に振る。

「私達は、友だちだから」

 紗衣は、ちらっと顔を上げ、果歩の表情を伺った。果歩は、困ったように笑っていた。

 市役所勤めの果歩は、介護関係の手続きに窓口に来る薫に、以前から惹かれていた。果歩は、薫が戸籍上男性で心は女性だと知っても、全く引かずに信頼関係を築いている。ただ、交際には至っていないようだ。

「もう! やってらんないわよ!」

 薫は早速酒がまわり、女性らしさ全開で愚痴をこぼす。

「テキトー過ぎる訪問看護ホウカンに、世間体第一の家族! ぼくがどれだけ苦労して入所に漕ぎ着けたかわかってないわよ!」

 話の主体は、星野ヤスエだ。

「それなのに、救急搬送で入院になっちゃうし、肺炎を起こしていたし、肺に水がたまっていたし、訪問看護も家族も、自分に責任がないような顔をするし」

「それは酷いな」

 青木先生が共感した。

「訪問看護、変えた方がいいぞ。あれでは、患者さんがかわいそうだ。家族も理解がなさそうだな」

「そうなのよ! 世間体ばかり気にして、何が何でも施設には入れないって、ずっと言い張っていて、やっと入所手続きに踏み切ったというのに」

「いるよね、そういう家族。『親を施設に入れた』と隣近所から悪口言われたくないという理由で、自宅で介護する人。ケアマネも大変だね。今日みたいな受診の付き添いは、ケアマネの仕事じゃないだろう」

「そうなんです!」

 個人情報、だだ漏れ。本人の名前を出さないが、家庭での状況が“外部”に漏れている。

 青木先生は、よしよし、と薫の頭を撫でた。そんな薫は、なぜか果歩に寄りかかる。

 口調は女性なのに一人称“ぼく”の薫を、琢磨は気にする様子がない。黙々と豚角煮をおかずに米飯を食べていた。

「琢磨、いっぱい食べてね」

 紗衣は、季節野菜のサラダを琢磨の前に置いた。琢磨は、無邪気に頷く。

「あのお父さんとお母さんのことだから、外食なんてほとんどしないでしょう」

「うん、全くしない。お父さん、忙しそう」

「お父様は、何をなさっている人?」

 薫をあやしながら、果歩が訊ねる。

 琢磨の箸が止まった。家出の原因は父にある、と紗衣はみた。

「中学校の教員。クラス担任にはならなかったけど、私は3年間父の授業を受けていたよ」

 今は違う中学校だよ、と琢磨は添えた。

 紗衣と琢磨の父は、国語の教員だ。紗衣は中学3年間、父とほとんど同じ場所にいたことになる。

 教育者として、毅然として立派な人だった、と紗衣は思う。生徒からは、冷たい人だと距離を置かれていたが、馬鹿にされるようなことはなく、成績の良い生徒からは相談されることもあった。

 父は岩手からほとんど出たことがないのに、ハンサムという言葉が一番似合うような洗練された雰囲気と所作を持ち合わせた男性だった。

 ただ、父親としては、立派だと言い難い。

 家庭では、亭主関白だった。紗衣の弟に手を焼き、縛りつけてしまえ、と紗衣に命じるような男だった。父と一緒に出かけた記憶など、紗衣にはない。紗衣の弟が事故に巻き込まれ、中学校の全校集会で説明を求められた際には、「予測不可能な不運なアクシデントであり、学校側には一切責任はありません」と毅然として言い切った。

 家族の命がかかった事故を、アクシデント、と言い切った父を、紗衣は許せない。

 もし今、父に会ったら、紗衣は壊れたように父を責めてしまうかもしれない。

 勇気を出して家出してきた琢磨を守らなくてはならない。

 素揚げしたじゃが芋に鰹節と醤油がかかった“季節野菜のサラダ”を頬張る琢磨に目を細め、紗衣は父が群馬まで来ないことを願った。

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