第23話 愛している、と言っていい?

 一線を越えられたら、どうしよう。

 無駄に大きな胸に不安が生じたが、紗衣を腕におさめたまま微睡まどろむ彼につれられ、紗衣も重くなるまぶたを閉じた。

 傾眠する脳を覚醒させたのは、スマートフォンの着信音だった。

 彼は眼鏡をかけてから、枕元のスマートフォンを手に取る。臥床したまま、スピーカーモードにして電話に応答する。紗衣だったら、プライベートであってもそのような電話応対は絶対にやらない。

『あ、涼ちゃん! お紗衣ちゃんもいるの?』

 はじけるような女性の明るい声が、紗衣の耳にも届いた。液晶ディスプレイに写るのは、果歩だ。

「テレビ電話か?」

 彼は画面のマークをタップして、普通の電話にならないか試す。

 その間にも、果歩は「フライングテレビ電話だよー。お紗衣ちゃんに電話しても出てくれないんだもの」と話を続ける。果歩の隣にひょこりと写り込むのは、薫だ。紗衣もこんな感じで、電話の向こうに写っているのだろう。

「薫ちゃん?」

『薫ちゃんも一緒だよ! パンケーキ屋さんに行ってきたの。数量限定の、5cmパンケーキを食べに』

 群馬県には1店舗しかないチェーン店の、大人気のパンケーキだ。1枚5cmほどのパンケーキを3枚重ねたそのメニューは、フリーペーパーで話題になっていた。

 果歩と薫は、いつの間にか遊びに行く仲になっている。

『お紗衣、あんた昼間から何をやらされているの』

 薫は眉をひそめる。

 紗衣は何もされていないが、言い逃れもできない。どこからどう見ても、ベッドを共にする男女だ。

『答えなくて、いいわ。あんた達、今日空いてる?』

『カラオケ行こうよ!』

「いいね」

 彼も同意する。

「紗衣の歌声を聴きたいと思っていたところだったんだ」

 歌わないよ、と紗衣がむくれても、話は淡々と進む。1時間後に高関町のカラオケボックスで、と話がまとまって、通話は終了した。

 スマートフォンの時計は、13時を示している。

「私達、1時間以上お昼寝していたんだね」

「まだ紗衣と一緒にごろごろしていたい」

「駄目だよ、起きなくちゃ」

「もうちょっとだけ」

 彼は離れてくれない。あと30分、と紗衣の耳元で甘えた声を転がす。

「紗衣、上手く話せるようになったよね」

「……そうかな?」

「うん。もっと嬉しい」

 会話は続かず、壁時計の秒針が、こちこちと時を刻む。

 嬉しい。紗衣も、心を寄せる彼と一緒にいられることが、嬉しい。

「紗衣」

 何度も、彼は名を呼んでくれる。紗衣はそのたびに、胸に灯火が点り、ほのかな熱にあてられる。

「愛している、と言っていい?」

 灯火は大きくなり、燃えるような熱が心臓を圧迫する。酸素の供給が足りなるように、苦しい。それなのに、このままでいたい。

 紗衣は、うん、と頷いた。

「私も、愛している。涼ちゃんのこと」

 心を寄せる彼と一緒にいられることが、嬉しい。たとえそれが、ペットというポジションであったとしても。

 額にキスを落とされ、紗衣は目を閉じた。



 ――ごめんね、わたる



 今日は26日。クリ-ムシチューの日と決めた日。もう会うことはかなわない、身近な人を悼むと決めた日。それなのに、自分だけ幸せを噛みしめてヒロイン気取りする。

 紗衣は醜い心に気づかないふりをして、体を求めない真面目な彼に、あと30分だけ身を預けた。



 【「第2章 彼は飼い主なのに」終】

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