第20話 ソフトクリームにラスクを添えて

 “花の交流館”を出ると、目がくらむような日差しと、子ども達のはしゃぐ声が待ち構えていた。

 彼は目を細め、遠くを見やる。その先にあるのは、敷地内の小さな観覧車だ。

「紗衣は、観覧車は好き?」

 訊ねられ、紗衣は返答に困った。しかし、素直に答える。

「ごめんなさい。乗ったことがないの」

 彼は無言で目を丸くし、紗衣を見つめる。

「乗ってみようか」

 手を差し出され、紗衣はそれに応じる。

 短期間で、何度か手をつないだ。まるで、カップルみたいに。そのたびに、紗衣は嬉しいけれど落ち着かない。

 しかし、紗衣は彼のペット。それ以外の何物でもない。紗衣は自分に言い聞かせる。

 カップルみたいにして向かった観覧車は、故障中のため休業していた。

 彼は真表情で固まってしまった。

 下手に励ましたら、一層落ち込んでしまうかもしれない。

 紗衣は目を泳がせてしまう。

 この一角は、遊園地みたいなエリアだ。観覧車意外にも、子ども向けの電車やゲームが設営されている。

 紗衣は観覧車に乗ったことがない。

 遊園地にも行ったことがない。

 観覧車や遊園地の楽しさを知らない。

 こんな自分が安易に彼を励まして良いのだろうか。

 悩む紗衣の肩に、温かい手が乗せられる。

「違うところに行こうか」



 観覧車の代わりに入ったのは、洋菓子の販売店だった。

 ラスクで有名になったこの製菓会社は、群馬県内に本社と工場を構え、県内外に多数の販売店がある。

 この道の駅の店舗は唯一、カフェスペースを併設していた。

 紗衣も彼も、ラスクを買ってから、カフェでソフトクリームを注文した。

 紗衣は、カップの底にコーヒーゼリーが敷き詰められたソフトクリームを。

 彼はラスクが添えられたソフトクリ-ムを。

 満席だったので、車に持ち込んで頂く。

 昼食にハンバーグを食べたばかりなのに、なんという贅沢だろう。

「どうぞ」

 彼にラスクを差し出される。たっぷりとソフトクリ-ムを乗せて。

「まだ口をつけていないから」

「平気だよ。涼ちゃんの分だから、涼ちゃんが食べ……」

 ソフトクリームが、紗衣の唇に触れる。

 なめらかで、おいしそうで、つい舌を伸ばしてしまう。

 隙をつかれた口腔は、ラスクの硬い生地とソフトクリームに侵入された。

 なめらかなミルクの風味が口の中に広がり、紗衣は心がほどけてゆく感覚をおぼえた。

 ソフトクリームのミルクとラスクのバターがなめらかで、砂糖が甘々で、スイーツの誘惑に抗うことができない。

 不本意ながらラスクを歯で割り、口腔内の食物は咀嚼嚥下をする。

「おいしい?」

 彼に訊かれ、紗衣は頷いた。

「あげる」

 紗衣がかじったラスクは、紗衣のソフトクリ-ムに乗せられた。

「でも、それは涼ちゃんの」

 涼ちゃんの分なのに。

 そうに言いたいが、上唇を指で撫でられて言えなかった。指でぬぐったソフトクリ-ムを舌に乗せられる。

 とろとろに溶けたクリームをこぼしたくないので、口腔に侵入する指に吸いついた。

 ひくん、と反応したのは、紗衣か、彼か。

 ふたり同時に言葉がこぼれた。

 ごめんね、と。

 それに続く言葉はなく、紗衣は片手でリュックサックを探り、アルコールのウェットティッシュで彼の指を清拭する。

 それから、ふたりは、カップから垂れ始めたソフトクリ-ムを黙々と咀嚼嚥下する。

 紗衣は、自分の唇が発した生々しいリップ音が、鼓膜に貼りついて離れない。

 ソフトクリ-ムの舌のコーヒーゼリーにスプーンが到達しても、ラスクの甘さが消えなかった。



 農産物直売所で買い物をして、じゃあ帰ろうか、ということになった。

 紗衣は、生野菜や肉、古代米など幅広く買ったが、彼はカット野菜やレトルト食品が中心だった。

 車に乗り、国道の赤信号で停止したタイミングで、彼に訊かれる。

「紗衣はお友達と会ったりしないのか、薫ちゃんと果歩ちゃん以外に」

 先程のカップルみたいなやりとりが恥ずかしくて、紗衣は彼を見ることができない。自分の膝頭に視線を落として答える。

「明日、大学時代の友人に会う予定なんだ。多分、ランチしたり、カラオケしたり」

「紗衣、歌うの?」

 彼は前を向いてはいるが、意外だ、と言うように語尾が跳ねた。

「私は、あんまり歌わないよ」

「聴きたい」

「歌いません!」

 信号が青に変わり、車は発進する。

「涼ちゃんは……地元が遠いけど、お友達とか」

「看護学校が群馬こっちだから、仲が良かった人はいるよ。この連休は皆の予定が合わないから、飲み会とかはやらないけど」

「群馬だったんだ」

 彼の実家は高知県だから、学校も西日本だとばかり思っていた。

 紗衣は、彼が群馬に来る前の話を詳しく聞いたことがない。

 走行中だから、あまり話しかけない方が無難かもしれない。

 ちらっと横顔に目をやったが、彼の整った顔が美しくて、紗衣は目をそらした。胸の中は、熱くも冷たい不思議な感覚が生じる。

 自分なんか、彼とは釣り合わない。自分は彼のペットだから、一緒にいさせてもらっているだけ。

 半分空いた窓から、近くのパン工場の甘い匂いが入ってきた。

 まっすぐに伸びる道路の向こうに、21階建ての高崎市役所が、さらに奥には、形の綺麗な浅間山がおかしこまりしている。

 大きな交差点で、車は右折した。



 アパートの前で、車は停まる。

 紗衣がシートベルトを外そうとしたとき、その手を重ねられた。

「紗衣、ごめん」

 彼は逆手で自分のシートベルトを外し、紗衣の手を両手で包み込む。

「馬鹿にしていない。はずかしめたいとも思わない」

 身を乗り出され、紗衣は息を呑んだ。

「でも、最初の約束をやぶって、恥ずかしい思いをさせてしまったね。申し訳ない」

 シートベルト着用の警告音が車内に響く。

 紗衣は、無駄に大きな胸がざわつくのを悟られないように、自分に言い聞かせる。

「全然、嫌じゃなかったよ。私の話も聞いてくれて、ありがとうございました」

 額にキスをされたのも、後ろから抱きしめられたのも、食事介助みたいに口腔を露わにさせられたのも、彼だから嫌だとは感じなかった。カップルみたいだと錯覚した瞬間が、嬉しかった。そのようなことは、口が裂けても言えないけれど。

「よかったら、紗衣にも持っていてほしい」

 彼に渡されたのは、犬のキーホルダーのついた鍵だ。

「紗衣は俺の家族だ。紗衣の好きなときに、帰ってきてほしい」

 無理にとは言わないけど。

 彼は珍しく、目を伏せて口ごもる。頬が赤みを帯びている。

 彼もこんな表情をするのだ。

「涼ちゃん、ありがとう」

 紗衣は鍵を受け取った。



 アパートに入り、購入した食料品をしまおうと冷蔵庫を空けると、冷気に頬を撫でられた。

 男の人は怖いはずだった。彼は違う理由で怖いはずだった。それなのに、いつの間にか彼と打ち解ける自分がいる。

 手をつないで、額にキスをされて、抱きしめられて、無防備に口腔を露わにして、合鍵を渡されて、心がふわふわする。

 冷静にならなくては。

 紗衣は彼のペットでしかないのだから。

 いつしかの缶コーヒーが冷蔵庫に残っていた。

 すぐに開栓し、口をつける。

 無糖コーヒーを食道に流しているはずなのに、ふわふわと嬉しさと甘々の錯覚は抜けなかった。

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