第17話 お出かけ

 お団子ヘアは、いつもより高い位置で遊び心を取り入れて。

 袖口にレースをあしらった白い半袖のトップスとサテン地の黒いジャンスカをあわせて。

 汚れませんように、と真新しい白いスニーカーに足を入れて。

 紗衣は玄関から一歩踏み出した。

 5月4日。快晴。

 赤城山の裾野が青く映え、ふもとにオレンジ色の群馬県庁がわずかに見える。



 11時にアパートの近くに行くよ。

 彼はそう言っていた。

 紗衣は10時半に外に出たのに、路肩にはもう彼の車が止まっていた。

「おはよう、紗衣」

 彼は颯爽と車から降りる。長身でスタイルの良い彼は、水色のシャツとオリーブ色のジーンズが似合う。

「おはよう、涼ちゃ……」

 涼ちゃん、と言い切らないうちに、紗衣は頬をくしゅくしゅと撫でられる。

「ん、可愛い。お洒落さんだね」

 彼は甘いマスクを綻ばせ、紗衣を抱きしめる。

「歩かせたくないな。白い靴が汚れちゃうよ」

 紗衣は、自分の体が浮くのを感じた。しかし、一瞬だけだ。抱き上げられても、すぐにアスファルトに下ろされる。

「助手席に、どうぞ」

 紗衣は促されるまま、車に乗った。

 車は発進し、近くの団地のけやき並木を抜ける。

 車はあまり揺れないのに、紗衣はシートベルトに食い込む胸が高鳴って仕方がない。

 外で抱きしめられたこと。駐車場でならあったが、公道は初めてだ。

 それに。スニーカーに気づいてくれた。

 心拍の落ち着かない胸部は、灯火のようなほのかな熱が生じていた。

「涼ちゃん」

 赤信号で停止したタイミングで、紗衣は運転席の彼を頑張って見つめる。

「ごめんね、上手く話ができなくて」

 彼は真表情で小首を傾げる。

 きちんと言葉にしないと、伝わらないようだ。

「会話が弾まなくて、ごめんなさい。でも、涼ちゃんの隣にいられるだけで嬉しいんだ。涼ちゃんは迷惑かもしれないけど……」

 だんだん声が小さくなってしまい、目も合わせられなくなってしまった。

 車は発進し、左折して国道に出る。

「俺も嬉しい」

 唐突に彼が口を開いた。

「大好きな紗衣と一緒にいられるだけで幸せだ」

 彼は運転中だから余所見ができない。

 前方を見つめる彼は、職場で見るような、冷たさをたたえた表情だ。

 心窩部が熱く冷くなり、心は掻き乱されそうになる。

 また赤信号で停止すれば、「可愛い」と頬を撫でられる。綻んだ顔を目の当たりにすると、灯火のようなほのかな熱が胸部に生じる。

 紗衣も、彼と一緒にいるだけで幸せだ。

 車は、高崎市と藤岡市の境の橋を渡る。

 彼はバックミラーを注視して、眉をひそめる。

「後ろの車、アパートから着いてきてる」

 紗衣もバックミラーに目を凝らし、目を疑った。

 ミラーに後続車の運転手が写る。運転手は、どう見ても果歩なのだ。車も、昨日紗衣が乗せてもらったものと同じだ。

 まさか、昨日の話を聞いて尾行しているのか。

「紗衣の知り合いか」

 狼狽を察知され、紗衣は一層慌てる。

「果歩ちゃん。同じアパートの人」

「だから、アパートから出てきたのか」

 彼は勝手に納得してくれた。



 橋を越え、藤岡市に入る。

 藤岡インターチェンジの近くに、道の駅はあった。

 周囲に高い建物がないので、柔らかな新緑に囲まれた小さな観覧車が目立つ。

 広い駐車場は、大変混雑していた。大型トラックも何台も駐車している。

 彼は、ちょうど良いスペースを探して車をうろうろさせる。しかし、このままでは、らちがあかないと判断したらしい。

める場所を探すから、先に降りて待ってて」

 エスコートしたがる彼も、さすがに今は車から降りられない。紗衣は車を降りて、近くの軒下に入った。

「お紗衣ちゃん」

 不意に声をかけられる。

 いつの間にか、隣に果歩がいた。さっさと車を駐めて来たようだ。

 果歩は、申し訳なさそうに眉をハの字にする。

「来ちゃった」

 うん、知ってる。

 紗衣はすぐにそう返そうとしたけれど、別方向から「紗衣」と呼ばれてしまう。

「お待たせ」

 彼の優しい声が、弾む。紗衣も自然と「うん」と頷いた。

「そちらは、果歩ちゃん、だっけ。紗衣と同じアパートで、先程まで車で後ろを走っていた」

 彼は指を差しそうになり、引っ込めた。

 果歩は驚いて目を丸くするが、ぺこりとお辞儀をした。

「岸果歩です。お紗衣ちゃんには大変お世話になっています」

「望月涼太です。紗衣とは、職場の同僚です」

 彼も頭を下げる。最低限の挨拶はするが、素っ気ない。そういえば最初はこんな感じだった、と紗衣は思い出した。

「紗衣、行こうか」

 彼は紗衣の肩に、そっと触れる。

 果歩ちゃんは放置するの、と訊ねようとしたら、今度は「お紗衣?」と声をかけられた。

「薫ちゃん!」

 今月はまだ会っていなかった友人、有坂薫だ。珍しく、Tシャツを着ている。ネイビーとホワイトのボーダーだ。ファンデーションはしていないが、眉は描いている。

「涼ちゃん、この前話した、薫ちゃん」

「初めまして。有坂薫です」

 薫は、おたまじゃくしのような目を細めて微笑む。

 それに対して、涼太は眉根を寄せた。

「素敵な“ぼくっ”だと聞きました」

「あら、嬉しい」

 素のままの薫ちゃんでいくんだ、と紗衣は思った。

 涼太は何か引っかかるように、話し続ける。

「身だしなみに気を遣って、お化粧も綺麗で、優しくてお姉さんみたいな人だとも聞きました」

「お紗衣ったら、ぼくのこと、そんなに過大評価してくれたの。嬉しいわ。でも、ごめん、そろそろ行くわ」

 薫は、手にした菓子折の紙袋を軽く上げる。

「実家に顔を出したついでに、職場の差し入れを買いに来たの。これから残務整理をしに行かなくちゃだから」

 では、と薫はきびすを返す。

 その背中に「あの!」と裏返った声をぶつける人がいた。しばらく黙っていた、果歩だった。

「有坂さん、あの」

 薫は振り返り、小首を傾げる。

「市役所の、岸さんだっけ?」

「はい! 岸果歩です!」

 果歩は頬を赤らめ、大きく息を吸う。

「お友達からなんて、駄目ですか?」

「いいわよ」

 薫はあっさり了承し、果歩と連絡先を交換した。

 薫が駐車場の方へ向かい、姿が見えなくなると、果歩は緊張の糸が切れたように息を吐いた。

 涼太は未だに、眉をひそめたまま。

 紗衣は、果歩に訊ねる。

「果歩ちゃんの気になる人って、薫ちゃんだったの?」

 こくん、と果歩は頷く。

「だって、素敵な人だもの。優しいし、お仕事も完璧で、女子力が高そうで」

 果歩の言うことは、最もだ。

 薫は、身だしなみに気を遣って、お化粧も綺麗で、優しくてお姉さんみたいな人。自分のことを“ぼく”と言う、“ぼくっ”。

 戸籍上は男性で、本人も中性的な容姿とファッションというだけだ。

 紗衣が薫を姉のように慕うのも、涼太がいぶかしがるのも、果歩が心を寄せるのも、あり得ないことではない。

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