第16話 うらやましい

 紗衣の隣に移動するにあたり、彼はなぜかテーブルの下をくぐっていた。

 その理由を考え、出した推測は、“退路を断たないようにするため”。

 テーブルの一方は壁にくっついていた。その反対側は、のれんがあった。

 彼が普通にテーブルをまわって紗衣の隣に座る場合、紗衣は壁側に押しやられ、身動きが取れなくなってしまう。

 彼は無理矢理テーブルの下をくぐってでも、紗衣の退路を断たないようにしたのではないか。

 何のために。

 紗衣を過剰に褒め可愛がるくせに、いつでも逃げられるようにするなど、矛盾している。

 紗衣をペットにしたことに対して、後ろめたさを感じているのだろうか。



「お紗衣ちゃん?」

 名を呼ばれ、紗衣は我に返った。

「どうしたの? ぼーっとしてたよ」

「大丈夫。ごめんね、果歩ちゃん」

 一緒にいてくれる友人に詫び、紗衣はナイフとフォークを持ち直した。

 5月3日。大型連休後半に突入した日。

 紗衣は、果歩に誘われて前橋市のショッピングモールに来ている。映画を鑑賞後、モ-ル内のレストランで遅めの昼食の途中だ。

「果歩ちゃん、ありがとう」

 果歩は、きょとんとして、小首を傾げる。

「私なんかに声をかけてくれて」

「全然、大したことないよ。お紗衣ちゃんこそ、一緒に来てくれて、ありがとう」

 果歩は席を立ち、ドリンクバーに向かう。花柄のワンピースが、本人の可愛さを際立たせている。

 紗衣はコーデを考える余裕がなく、水色のブラウスとホワイトのロングスカートを合わせ、髪型はいつものようなお団子ヘアにしてしまった。

「お紗衣ちゃん、その後どう?」

 ドリンクバーから戻ってきた果歩に尋ねられる。

「気になる人と話せた?」

「気になる人って」

 果歩には話せていない。果歩だけではない。誰にも話していない。

 彼、望月涼太とのこと。彼のペットになって、可愛がってもらっていること。

「気持ちは伝えた」

 ここは正直に。

「おつき合いにはならないけど、一緒にいようということになりました」

 果歩が眉をひそめた。

 紗衣は慌てて、つけ加える。

「友人……ということで」

「なんだ、そうか」

 果歩はすぐに安堵したようだ。

 果歩ちゃん、ごめんなさい。

 紗衣は心の中で謝罪した。

「明日、一緒に出かけるの」

「おー、いいじゃん。どこ行くの?」

「藤岡市の道の駅。果歩ちゃん、知ってる?」

「観覧車があるところだ!」

 あるのか、観覧車。道の駅に。

「いいな、お紗衣ちゃん。観覧車デート」

「違うよ。植物園の中の喫茶店」

「花の展示をしてる場所のことかな。観覧車デートもしちゃいなよ」

「無理だよ!」

 否定してから、彼を思い浮かべて頬が熱くなってしまった。

 果歩なら簡単に会話が弾むのに、彼とはまともに言葉を交わすことができないのだ。

「果歩ちゃんは? 気になる人とはどうなったの?」

「私? 何もないよ!」

 果歩は急に慌てる。恋する女性なんだな、と紗衣は思った。

「だって、あの人とは窓口で会うだけだよ。介護保険の申請とか、認定調査の書類とか、提出に来るだけだよ。とっ捕まえてナンパなんて、できないよ!」

 果歩は元気に首を横に振るが、紗衣は、違うことが気になった。

「果歩ちゃんは、どこにお勤めなの?」

 申請や書類の内容が、市町村役場の介護課みたいなのだ。

「言ってなかった? 市役所だよ」

「果歩ちゃん、公務員!?」

 紗衣も一度は図書館司書に憧れて公務員試験を受けた。しかし試験に落ち、自分に公務員は向いていないと諦めて、今がある。

「大したことないよ。高卒で入職したんだもの」

 お紗衣ちゃんが、うらやましい。

 果歩は、そうこぼした。

「背が高くて、お洒落さんで、お料理が上手で、謙虚でしっかり者のお紗衣ちゃんが、うらやましい」

 私なんか、と紗衣は言いそうになり、ぐっとこらえる。

 うらやましい、なんて言われたことが、今まであっただろうか。

 自分に足りないものをうらやましいと思うのは、紗衣も同じだ。

 紗衣は、果歩がうらやましい。

 明るくて、美人で、気さくな優しい女性。こんな人こそ、好きな人と結ばれてほしい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます