第13話 彼はといえば

 ランチタイムの開始時間ぴったりに、その若者はやってきた。

「いらっしゃい」

 青木春也は、いつものハスキーボイスで彼を迎える。

「空いてるよ。どうぞ」

 彼は、春也に促されるままカウンター席に腰を下ろした。

 鶏の照り焼きのセットを下さい、と彼は耳に優しい声で注文した。

 まだ昼前だというのに、若い彼はテーブルに肘をついて頭を抱える。

 春也が経営するこの店、“かぶらがわ”は、居酒屋だが土日限定でランチもしている。兄の我が儘で出前をさせられることもある。

 今来た彼は、春也の兄、雅哉のクリニックに勤務する看護師だ。初めて来たのは、ちょうど1年前だった。

 春也と違って容姿も声も美しい彼だが、店に来るときは決まって影を引きずるように落ち込んでいる。

 春也は、むやみやたらに訊ねない。

 話したことがあれば、彼の方から口を開くから。

 彼の自宅は高崎市内の倉賀野くらがのであると聞いたことがある。山名八幡宮に近いこの店まで距離がある。それなのに、わざわざここまで来るとは、相当の理由があるはずだ。

 音楽を流さない店内に、沈黙が訪れる。

 鶏の照り焼きにポテトサラダのランチセットをテーブルに置くと、彼は顔を上げた。この美青年には許される翳りと気だるさは、見る者を引きつける。そのことに、彼は気づいていない。

「女の子を、飼ってしまいました」

 彼は重そうに口を開いた。

「お花の世話をしている様子に惹かれました。お花とお喋りするみたいで、俺まで癒されてしまうんです」

 店内に他のお客様はいない。

 春也はカウンター越しに耳を傾ける。

「こんな俺のことを好きだと言ってくれました。俺はペットしか愛せないと暴露しても、逃げずに怖がらずにそばにいてくれました」

 彼は一度言葉を切り、再び口を開く。

「俺がつくった朝食を、安心した顔で食べてくれました。もう、可愛くて可愛くて、仕方ありません」

 水の入ったグラスの中で、氷が溶けて大きく動いた。

「ペットにしてもよいか、と訊ねたら、よろしくお願いします、と言われました」

 彼は、手をこぶしにして、握りしめる。その手は震えている。

「俺は普通じゃないです。いけないことをしていると自覚しています。でも、もっともっと、彼女を愛したいんです。でも、自分勝手な男だと思われたかもしれません。体目当てで近づいたと思われたかもしれません。嫌われたかもしれません。先程、彼女をアパートまで送り届けましたが、ほとんど喋ってくれませんでした」

 普段は口数の少ない彼が、珍しくまくし立てた。

 春也は、彼に傾聴するつもりで訊ねる。

「きみは、その女の子にどうしたいの? 首輪をつけるとか?」

「そんなこと、できません」

 彼はすぐに答える。

「一緒にいたいです。彼女の生活もありますから、無理に同居させることはしません。暇な日に家でのんびり過ごしたり、たまには出かけたり、良い子だね、可愛いね、と心の底から褒めたいです。家族になる子ですから、大切にしたいです」

 春也はわずかに首を傾げた。

 好きな女の子に可愛いさを感じ、一緒にいたいと思うことは、彼にとっては“飼いたい”とか“ペットにする”ということで、その子を大切にすることは、“ペットしか愛せない”ことなのか?

 春也は以前からこの彼の生い立ちと悩みを聞き、はっきりわかった。彼の“ペットしか愛せない”は、思い込みだ。多感期に周囲から言われ続けて、刷り込むように思い込まされたのだ。

 春也は思ったことを口に出さず、肯定も否定もしない。

 お客様が数人、やってきた。

 彼は口を閉ざし、箸を手にする。

 春也はただ、彼を見守る。ペットしか愛せないと思い込んでいるだけなのではないかと、彼自身が自問するまで。



 【「第1章 男の人は怖いのに」終】

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