第11話 月夜

 田舎あるある、その1。

 天体が綺麗に見える。

 理由は、明るい場所が少ないことと、建物が低いこと。

 イタリアンレストラン“meseメーゼ”の駐車場から見える月は、満月でないのに、満月のような輝きをたたえている。

 紗衣の胸に灯火をつけた、彼のように、静かに、美しく、心地良い輝き。

 ……という現実逃避をしなければ、冷静でいられない。

 紗衣は涼太に促されるまま、彼の車の助手席に乗ってしまった。

 そのまま、会話もなく“mese”に到着。

 紗衣が車を下りようとすると、彼がすぐに運転席から下り、反対側にまわって助手席のドアを開けた。

 手を差し伸べられ、紗衣は躊躇ためらいながら応じてしまう。

「鈴村さん」

 月明かりの下で、彼は紗衣に微笑みかける。

 紗衣は一瞬だけ見とれ、1秒後には条件反射のように目を伏せてしまう。

 そんな紗衣を、彼は「行きましょう」と促す。

 手をつないだまま。しっかりではなく、ソフトに。壊れ物を扱うように。

 私はそんな大切にされるものではない。紗衣は、息を吸って声を発した。

「あの」

 闇夜にとけてしまいそうなかすかな声は、彼の耳に届いたようだ。彼は紗衣を見てくれる。

 紗衣はやはり彼を直視できずに目を伏せた。

「やっぱり、悪いです」

「何がですか」

 彼は、ぽんと言葉を返してしまう。それに対して、紗衣はもたついてしまう。

「奥様とか」

「俺は独身です」

 彼は手をほどき、右手を見せ、間違ったと言いたげに左手も見せてくれた。指輪も指輪の跡もない。

「彼女さんとか」

「いませんよ」

「いないんですか?」

 紗衣の声帯は突然、裏返った声を発した。整った容姿と真面目な仕事ぶりの彼だから、当然プライベートも充実しているとばかり思っていた。

「鈴村さんが引け目を感じることはありません」

 彼の声は耳に心地良いが、心臓に悪い。

「俺からも告白したいので、待って頂けますか」

 少女漫画のような台詞が、紗衣に向けられる。

 嬉しい。でも、恥ずかしい。自分自身が痛々しい。

 紗衣は抹消の血液まで沸騰する気がして、肺静脈に流れているのは動脈血だったっけ、という現実逃避をしなければ冷静でいられなかった。



 告白したいと彼は言ったが、どういう意味なのだろうか。

 言葉通りに解釈して良いのか、行間を読むべきか。

「コースメニューで、パスタは“はまぐりと菜の花のスープパスタ”と“アラビアータ”。“熟成肉のローストビ-フ”をひとつだけ“国産ビーフハンバーグ”に変更。単品で、赤ワインのボトルと、ドルチェにパンナコッタをお願いします」

 紗衣がうじうじしている間に、彼は1番高価なコ-スメニュ-を注文してしまった。ボトルワインとドルチェも。

「やっぱり、悪いです」

「俺が支払いますから、気にしないで下さい」

 さらりと言葉を返され、紗衣はまた、まごついてしまう。

「それでは、私がお礼することになりません。私が支払います」

 店内のテーブルは全て埋まっており、案外会話は目立たない。彼と紗衣のテーブルはフロアの角にあり、椅子は対面ではなく90°の角度になるように設置されていた。そのお蔭で、紗衣は視線を気にせずにいられる。

 そのはずなのだが、なぜか緊張してしまう。

「俺の我が儘につき合って頂けるだけで、充分なお礼です」

 彼は酒が入る前から、酔ったようなことを言う。普段は寡黙に看護業務をこなす人だということを、紗衣は忘れそうになっていた。

 思い返せば、ふたりきりのタイミングは2度あった。

 初めは、始業前にパンジーのプランターの前で。2度目は、相談室で。

 口数は少ないが、紗衣がする程度に甘い言動をしてくれる。

 本日の終業直後も3度目にカウントするならば、口説きまがいの文句で夕食に誘い、卑屈になる紗衣をなぐさめるかのように頬に触れた。頬だけでなく、唇にも、指先で。

 初対面では冷たさをたたえた人だと思っていたが、手は温かかった。

 先程のことを思い返していたら、恥ずかしさも思い出してしまい、紗衣はなかなか顔を上げられなかった。



 赤ワインで乾杯し、料理を楽しむはずだった。

 酒が入っても、紗衣は緊張状態が抜けない。料理の味がわからない。彼と上手く話せない。

 彼は、紗衣より2歳年上で、今年で27歳になる。

 実家は高知県馬路村。

 小学校から高校、社会人チ-ムで数年間、サッカーをやっていた。今はやっていない。

 1年前までは高崎市内の白鷺しらさぎ病院に勤めていた。

 そんなことを、彼は紗衣に話してくれた。

 聞くばかりでは悪いと思い、紗衣もつっかえながら話す。

 実家は岩手県花巻市。東京の女子大に進学し、4年間寮生活をしていた。群馬に来たのは、就職がきっかけ。昨年末まで、高崎市内の穂高病院でクラ-クとして勤めていた。

 でも、核心的なことは話せない。きっと、嫌われてしまうから。

 たまに紗衣が顔を上げると、彼は表情を綻ばせる。紗衣もつられて笑み、慌てて視線を逸らした。

 コースメニューのドルチェであったティラミスも、追加で注文したパンナコッタも、食後のコーヒーでは消せないくらい甘かった。



 夜遅くになっても、夜空に浮かぶ月は白く輝く。

 そんな感傷に浸る前に、紗衣は駐車場で謝罪した。

「支払って頂いて、本当に申し訳ありません」

 深々と、頭を下げる。

 ぎこちない会話しかできなかったが、それでも以前より話しやすくなった。

「あの、お帰りは大丈夫ですか?」

 紗衣が訊ねると、彼は「大丈夫です」と答える。

「先程、代行を頼みました。来るまで20分かかるそうです」

 彼は夜空を仰ぎ、また紗衣に微笑みかける。

「鈴村さんは、どうしますか。タクシーを呼びましょうか」

「いえ……自分でできますから」

 彼の笑顔はナチュラルなのに、何度か目の当たりにしても、紗衣の心臓はざわついてしまう。肺静脈には動脈血が流れているんだっけ。

「すみません。上手に話せなくて、会話を盛り上げるのが苦手なんです。でも」

 紗衣は唾液を飲み込み、長身の彼を見上げる。

 好きな気持ちは変わりません。

 そう伝えようとしたのだが。

 靴の先がぶつかり、目の前がかげる。

 紗衣は息を呑んだ。

 温かい手のひらが紗衣の頬に触れる。両手で、包み込むように。

「あなたは素敵な人です。俺は、あなたが可愛くて仕方ありません」

 一瞬、わずかに、彼の指先が震えた。

「ごめんなさい。俺は普通じゃないんです。俺は」

 ペットしか愛せないんです。

 確かに、紗衣にはそう聞こえた。

「飼いたいか、飼いたくないか、でしか人を見ることができません」

 黒い瞳が紗衣を見つめる。

 仕事中の真表情とも、先程までの綻ぶような微笑みとも異なる、思い詰めた表情だった。

「鈴村さんは、優しい性格で、几帳面で、女性としても素敵な人だと思います。それなのに、可愛くて仕方ありません」

 大きな手のひらに、頬を撫でられる。

「俺は、あなたを愛したい。いけないことだとわかっています。それでも」

 彼は目をそらさない。唇を噛みしめ、眉根を寄せる。

「あなたを飼いたくて仕方ない。そばに置いて愛したいです」

 まばたきをしない瞳から、涙がこぼれた。

「これが、俺の告白です」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます