第7話 やってしまった

 4月19日。やってしまった。

 朝のミーティングの前に掃除をしていた紗衣は、水モップを自分の脚にぶつけてしまった。

 幸い、クローズトップのナースシューズには水がとばなかった。

 しかし、ミッドナイトブルーのアンクルパンツは、ハイターで漂白されて鉄さびのような色に変わってしまった。

 裾に少しだけはねたのなら、1回だけ折り上げれば問題ないが、両方の膝下が大胆に変色している。

「鈴村さん、ごめんなさい。同じサイズは置いてないの」

 紗衣と身長の近い保坂事務長も、余分は持っていなかった。

 パンツタイプでなければ、紗衣もロッカーに置いている。

 絶対に着たくないのだけれど。

 紗衣は恥を忍んで、試着以外に一度も着用したことのないタイプのユニフォームに袖を通した。



「鈴村さん、脚が綺麗! スッチーみたい!」

「今は“スチュワーデス”じゃなくて、“キャビンアテンダント”だよ。これだから“おばやん”は困る」

 保坂事務長ら女性陣が盛り上がる中、青木先生は冷静に突っ込みを入れる。

 紗衣はワンピースタイプのメディカルウエアを着用し、その上にいつものノンカラ-ジャケットに袖を通す。傍目からは、ズボンかスカートかの違いにしか見えない。

「鈴村さん、もうずっとそれでいて!」

「おい“おばやん”、それがセクハラなんだってば」

 4月も半ばを過ぎれば、寒さは緩んでくる。それどころか、暑い日もある。

 今日は晴れて暖かくなる旨が、スマートフォンの気象情報アプリに表示されていた。

 しかし紗衣は、下腿が寒々しくて仕方ない。

 ワンピースは膝丈だが、普段は膝下丈しか着用しないから、膝が露わになるだけで恥ずかしい。

 ミーティングの最中も、紗衣はスカート丈が気になって仕方がない。

 スタッフの輪の外に目をやると、望月涼太と目が合った。彼は紗衣に気づいたが、特段気にするようでもなくすぐに目をそらした。



 ――お紗衣には、心を寄せるお相手がいらっしゃるのかしら。



 薫の言葉が脳裏によみがえった。しかし、業務が始まればすぐに頭の片隅に転がってしまう。

 心を寄せる相手なんて、いるわけがない。

 紗衣は自分に言い聞かせている。



「代わろうか?」

 先輩事務スタッフに言われた。

 保険証と診察券をお客様に返却するのを、代わりにやってくれるという。紗衣がスカートを気にするのを、気遣ってくれている。

 しかし、紗衣は断った。紗衣は、まだ先輩の業務ができないから、仕事を代わるどころか負担をかけてしまう。

 紗衣は昼休みのうちに、通販サイトでアンクルパンツを注文した。予備も含めて2着。届くのは、1週間後。19時から20時の間に、自宅に。

 あと1週間我慢すれば、もとのユニフォームに戻ることができる。

 1週間は、4月26日。

 毎月26日は、シチューの日と決めている。それと、憂鬱になりやすい日。

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