第3話 “おばやん”と“おっさん”と若い子

 午前の受付時間は、9時から12時半まで。

 スタッフの休憩時間は、基本的に13時から14時まで。

 13時を少々まわり、最後のお客様が会計を終えた。

「鈴村さんも、一緒にお昼食べよう」

 紗衣は声をかけられ、事務スペースの一角のテーブルに着かせてもらった。

「お弁当つくってくるんだ? 偉いね」

 早速、弁当箱を覗き込まれた。

「独り暮らし?」

「はい。そうです」

 隠すことではない。紗衣は正直に答える。

「実家、どこなの?」

「東北です」

「地震のとき、大変じゃなかった?」

「うちの辺りは平気でした」

「なんでまた、群馬なんかに?」

 ずきっ、と心窩部が痛んだ気がした。

「新卒で内定を頂いたのが、穂高ほだか病院だったので」

 紗衣の実家は、岩手県の花巻市だ。

 地元の高校を卒業し、東京の女子大に進学。公務員を目指して、高い受講料を支払って対策講座を受講したが、公務員試験に失敗した。日本文化科の児童文学専攻で、履歴書でアピールできる功績はなかった。

 司書資格は取得見込だったが、司書の求人は皆無。医療事務と介護職員初任者研修は取得していた。

 駄目もとで、病院の現場事務にあたる“クラ-ク”の求人に応募してみた。採用通知を受け取ったのは、3月の卒業式の前日だ。それからのアパート探しと引っ越しは慌ただしかった。

「穂高にいたんだ! あそこ、昔気質むかしかたぎでしょう? うちは全然そんなんじゃないから、無礼講にやってよ」

 ワインレッドのスクラブを着用した、いかにも“ママさん”に肩を軽く叩かれた。

 紗衣は控えめに頷いておいた。無礼講なんて、とてもとても、紗衣にはできない。

 紗衣は話を聞きながら弁当を食べ終え、保坂事務長からもらった勤務表を広げた。勤務はほぼ全員一緒なのだが、非常勤のスタッフもいる。週4日だったり、時短だったり、イレギュラーな勤務の人もいるのだ。

 スタッフは10人に満たない小さな職場だが、圧倒的に女性が多い。男性は院長の青木先生と、看護師の望月涼太という人だけだ。

 朝、駐車場で会った“望月くん”は、この望月涼太だ。

 もちづきりょうた、と紗衣は口の中で言葉を転がした。満月の夜のように静かで冷たさをたたえた名だ、と紗衣は思った。

 食後にスイ-ツなんか食べていないのに、口の中にほのかな甘さが広がる。

 その間にも、周りの会話は進む。

「鈴村さんみたいに奥ゆかしいお嬢さんなら、男の子が放っておかないよね!」

 ひとりが言い出し、「ね-」と周りが同調する。

「鈴村さん、彼氏いないの?」

 いないです、と紗衣は答えた。

「もったいないよ! 若いうちに遊んでおいた方がいいよ!」

 女性陣が盛り上がる中、モスグリーンの影がすっと横切った。

 紗衣は息を呑んだ。モスグリーンのスクラブ、青木先生だ。

「おばやん、やめろよ。それ、セクハラだよ」

「なによ、おっさん」

 そう言い返すのは、保坂事務長だ。青木先生も負けていない。

「おばやんばっかりで呆れられるよ?」

「どうせ私は47歳のおばやんですよ。今年の誕生日で干支が4週するんですからね、おっさん」

「はいはい、俺は38歳になるおっさんですよ」

 “おばやん”呼ばわりされた女性陣は笑っているが、紗衣は笑えない。

 保坂事務長は誕生日が来ると48歳なのか。美魔女だ。青木先生は、開業医にしては若かった。紗衣には、保坂事務長も青木先生も“おばやん”と“おっさん”に見えない。

「今週の土曜日、出前とるよ。皆、弁当は持ってこなくて大丈夫だからね」

「先生のおごりですか?」

 ひとりが横柄に訊ねる。

「俺のおごりだよ。新人の歓迎会の代わりにね。歓迎会できそうになくて、ごめん」

 いえ、歓迎して頂くような身分ではありません。

 紗衣は口には出さず、控えめに首を横に振った。

 出前の話はそこで終わった。

 青木先生はコーヒーメーカーの前に立つ。

「“だめおコーヒー”飲む人いる?」

 は-い、とほとんどの人が挙手した。

「鈴村さんは? 紅茶か緑茶がいいかな?」

 青木先生に訊かれ、紗衣は固まってしまった。医師という神様ポジションの人に名指しされてしまったおそれ多さと、男性への恐怖心で。

「鈴村さん?」

 保坂事務長の声で、紗衣は我に返った。

「すみません、コーヒーがいいです」

「お砂糖とミルクは?」

 また青木先生に訊かれる。

 紗衣は一呼吸おいて「ブラックで」と答えた。

 スタッフは誰も席を立たず、青木先生が自らコーヒーを淹れる。

 手伝わなくては、と紗衣は思ったが、しゃしゃり出るわけにもゆかず、周囲を見回した。

 皆から離れたところに、ミッドナイトブルーのスクラブを着用したあの彼がいた。椅子に腰かけ、長い脚を組み、目を閉じている。耳にはイヤホンをつけており、イヤホンはスマートフォンに接続されている。

 なんとも無防備な彼は、あの望月涼太だ。

 紗衣はブラックコーヒーの苦さで口腔を満たそうとしたが、味蕾が錯覚した甘さはなかなか消えてくれない。

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