第百七十話 天音とアマネ、夢次とユメジ
混浴の露天風呂と聞いて少し警戒する気持ちはあったけど、やっぱり時間が時間だ。
実際に入ってみると私以外に誰もいない……というか温泉に人気自体が無かった。
まだ夢次君も来ていないし……早かったのかな? 予想では男性の彼の方が早いかと思っていたんだけど。
温泉は脱衣所が男女別で入り口から露天風呂で男女が合流する作りになっていて、合流地点に先に着いた私は一人で温泉に浸かっている。
湯着とは言え服を着たままお湯に浸かると言うのは違和感があるけど……彼と一緒にお風呂に入る為だし…………そう思うとお湯で上がった体温が更に上がっていく。
「まさか、いざ入るときに怖じ気付いたとか……?」
そんな事を呟いてはみるもの、そんな事は無いだろう事を私の唇は知っていた。
彼はやる時はやる……猛る情欲のままに私の事を女として貪欲に……。
不意に唇に手を当ててみれば、自然と口角が上がってほほ笑んでいる事に気が付く。
それが、無意識とは言え自分があの人に女として求められた事への喜びであると分かってしまい……突然恥ずかしくなってくる。
親友たちの見解への否定材料なんて欠片もない……自分は思いのほかはしたない女だったようだ。
「ふふ……イイ顔ね。男の愛を知り始めた初々しい女の顔ね」
「……は?」
その時、誰もいなかったハズの露天風呂にいつの間にか湯着を着た女性が入っていて、私に声を掛けて来た。
その女性はタオルで髪をまとめていて、更に湯着を着ていると言うのに驚くくらいにスタイルのいい、まるで“自分だったらこうなりたい”と思わせるような体であるのがハッキリと分かり、なんとも言えないような色気を纏っていて……私が会った事の無い女性である事だけは分かる。
なのに……なんだろう?
どこかで見た事のあるような……他人には思えない何かがあるような?
「……イイ顔って言われても」
でも目の前のこの人は自分とは決定的に違うと言うのは見ただけで分かった。
今の自分には明らかにない、いや足りないモノを持っているからこその自信に満ちた色気……それが何であるのか、答えを出すと自分が認めてしまったようで癪な気もするけど。
「あら? もしかして自信がないのかな? “昔の私”みたいに……」
「…………え?」
認めるのが癪……そう思っていた自身が無い“何か”。
それを目の前の女性は分かっている……分かった上で昔の自分には無かったと?
私はその言葉が“他人とは思えず”思わず聞き返していた。
「実は私の旦那様……幼馴染だったんだ。もうこんな小さい頃からの知り合い」
ドクン……
鼓動が早くなる……他人とは思えないどころじゃない。
「でもね? 思春期特有の気恥ずかしさのせいで一時期彼を避けちゃった事があったの。友達に“彼氏だ~”って囃し立てられて恥ずかしくなっちゃってね……」
「そ……そうですか……」
「そのあと疎遠になっちゃってから……心から後悔した。自分は何て事をしてしまったんだ……一番好きな男の子の隣にいたのに、何で自分で明け渡してしまったのか。もしもそこに知らない誰かが入り込んだらどうするつもりなんだ……って」
ドクン……ドクン……
自分の同類……そうとしか思えない……。
しかしこの時の私は女性が何者なのかと言うよりも、彼女が語る話の内容にしか興味を抱けなかった。
まるで“これから自分が歩む先にこの女性がいる”ように思えてしまって。
「どうでも良い男が寄ってきて彼氏面し始めた辺りで心底焦ったわ……彼が誤解したらどうしよう!? もしも彼の隣にもう誰かがいたとしたら、自分はどうなってしまうだろう?」
「う…………」
それは夢次君が『夢の本』を手に入れる前、彼と仲直りする直前に私が持っていた感情。
彼はまだ私の事を才色兼備、文武両道な清廉潔白な女だと思っている節があるけど……とんでもない。
私ほど『天地夢次』に対して貪欲で、独占欲を持った悪女はいないだろう。
もしも彼の隣に私以外の誰かがいたとしたら…………想像だけで暗い感情が湧き上がってくる。
「一度自分から離れたクセに離れたくない。彼の傍は自分じゃ無ければ嫌だ……どうしようもなく勝手な女でしょ? 私……」
「そう……ですね……」
私も含めて……心の中で言葉を付け足して思わず同調してしまう。
「とある事情で私は彼と同じ仕事に付く事になってね……その時は神様に感謝したくらいよ。そんな事を言っている場合じゃ無いくらいに過酷な状況だったのに」
「仕事……ですか?」
「そう……どうしても稼がなきゃ生きていけない状況で、強制的に一緒に仕事をする環境で疎遠とか言っていられなくなって……気が付いたら昔みたいに仲良く戻って、そして男女の仲にまでなっていた」
「…………」
この話……数か月前の私が聞いていたら心底羨ましがっただろう。
状況が二人を繋ぎ合わせてくれるとか……そんな奇跡的な出来事があったとしたら、私も神に感謝したかもしれない。
……この場合どこの神様かな? 稲荷神のサカキさん??
「でも……それ以上の関係になった時、私はずっと怖かった。自分がそうしたように、いつか彼が私から離れる時が来るんじゃないか? 自分が彼の隣にいられなくなる時が来るんじゃないか?」
「…………」
思い出すように笑う女性だったが、私は一つも笑えなかった。
一度自分は彼から離れた事のある前科がある……そんな私が傍にいる事を許されなくなる時が来るかもしれない。
突然全身がガタガタ震えだす……温泉だと言うのに底知れぬ恐怖が全身を包み込む。
「今から考えると……あの人じゃなかったら相当ヤバイ事をしてたと思うわ。彼の想いが自分だけに向くように、彼が私しか見ないように、彼の感情の全てを自分のモノに出来るように心も体も全てを捧げて……完全な地雷女の所業でしか無かったよ」
「……う」
またもや呻いてしまう。
完全に私は恐怖に駆られて“今彼女が口にした事”が脳裏をよぎっていた。
自分が出来うる全てを駆使してでも……彼が自分だけを見てくれるなら何でも……『本当に彼は私の事を好きなのか?』そんな不吉な予感を否定したくて、これから自分がこれからどうやって“縛り付けようと”考えていたのかを自覚してしまう。
親友たちが笑い話にしてくれてはいたが、本当は笑えないレベルで考えていたのだ。
少なくとも明晰夢という反則技で、彼が自分の事を性的な目で見ている事を理解した上で、彼の性格を熟知した上で肉体的にも精神的にも自分から逃れられないように画策していたのだ……と。
しかしそんな薄汚れた本性が浮き彫りになり苦悩する私に、目の前の女性はクスリと笑って見せた。
「自分の薄暗さに葛藤するとか……その辺は私が失った初々しさなのかもね」
「初々しい? 私はそんな可愛らしいモノじゃない。こんな醜い嫉妬心と独占欲の女……打算で彼の心を縛り付けようとする重たい女なんて……」
「う~~ん、その辺がまだまだねぇ~」
自身の醜さが露呈して落ち込む私に彼女は静かに近寄ると、耳元で囁いた。
「その程度であの人が嫌うと思う?」
「……え?」
「自分を縛ろうとする独占欲も、自分以外の女性がそばに寄るのを認めない嫉妬心も……彼にとっては貴女の愛を深めてしまう材料にしかならない。あの人は貴女が思っているよりもずっと……貴女にしか興味のない危ない男よ?」
何故そんな事が分かる? この時はそんな当たり前の事が浮かばなかった。
ただ彼女が口にした彼に関する分析が的確に思えて……自分の醜さに落ち込みかけた心に再び熱いモノがこみあげて来る。
そう……私が落ち込みかけた本当のところは……。
「醜い本音を見せたら彼に嫌われるかも……その事しか気にしていない貴女も十分危ない女だからね……怖いくらいお似合いだね」
「…………ありがとうございます」
クスクスと笑う女性は、本当に他人とは思えない。
昔あった事があるような? いや一緒にいた事があった??
年齢は多分私よりも4~5歳は上……スズ姉と同年代くらいに見えるけど……。
でも私は“何故か”深く考える事もなく……自分にとって先輩と思える女性にいつの間にか色々な事を聞いていた。
そうするのが絶対的に正しい……そんな思いで。
「あの……私はこれから彼とどう付き合っていくのが良いと思います?」
「う~~~ん、そうね……私たちの時は経験できなかったけど……結構ベタな事をしたがる傾向があるね。リア充爆発しろとか言いつつ、自分も腕組んで歩いたり、彼女にお弁当作って貰ったり……」
「へ……へえ~~~でも分かるかも……」
何故彼の、夢次君の事を知っているのか?
他人が彼の事を語っていたら絶対に穏やかではいられないハズな自分が何故素直に聞いているのか……そんな事は欠片も思わず。
*
混浴と銘打ってはいるものの、脱衣所はやっぱり男女別で作りもごく一般的な物でしかない。
脱衣用の籠が並んでいるけど、やはり時間も時間だから他の人の服は一つも無い……という事はカップル限定の温泉だけど俺達しかいないという事に……。
「つーか……今更だけど俺、天音を混浴に誘っちゃったんだよな……」
考えるだに“何やってんだ自分!?”と思う反面“よくやった自分!!”と思ってしまう自分もいる。
そもそも一緒に風呂とか、思春期前の伝説的な出来事……あれからどれくらいたったとか考えるのも何だけど、当時とは意味が全く変ってくる。
この年になって男女で同伴できるというのはある特定の関係しかありえないワケで……。
恋人同士とか以前に防御力が限りなくゼロに近い状態で異性と触れ合う事を容認するという事は、それ以上の事すら容認するという事にもなり……。
「くふ……」
自分でも分かるくらいに気持ち悪い笑いが漏れ出す……実感と共に。
ヤっちゃったんだよな~俺……天音に告白を、そして熱い熱いディープなヤツを……。
この記憶は間違いなく一生涯消える事の無い想い出、五感全てで味わった天音の初めての記憶は歴史上最も偉大な事実であったのは過言では無い!!(個人の主観)
……いかん、思い出しただけでもニヤけるのを止められない。
混浴でこんな顔をしていたら別の疑いを掛けられるかもしれないじゃないか!?
「ご機嫌だな兄ちゃん。ここに来たって事はちゃんとお相手がいるって事だろうけど……混浴でテンション上げ過ぎない方がいいぞ?」
「え?」
そんなどう考えても怪しい顔をする俺に、まさに今警戒していた誤解を言い当てる“どこかで聞いた事のある声”に驚いた。
しかし振り向いた先にいたのは……見覚えがあるようで、でも会った事は無いのは間違いない筋骨隆々な見た目で強そうと思える男性であった。
腰にタオルを巻いただけだから、細くても絞り込まれた筋肉がハッキリと分かり、魅せる為じゃない使う為の鍛えこまれた体は消防やレスキューの連中を彷彿され、思わず圧倒されてしまう。
「高校生くらい……だろ? ここで違う女を見てたりしたら後が怖いぞ~」
「そんなの! 俺はあいつ以外に興味は…………あ!?」
しかしそんな強そうな男でも、揶揄いを含んだその言葉に俺は思わずムッとして反論してしまう。
逆に言えばエロい目線で彼女を連れてきましたって言う恥ずかしい宣言付きで。
それを聞いた男性は何故か“満足そうな”笑みを浮かべて見せた。
「そうだな……それでこそ、だ! お前さんはそうでなきゃ!!」
「え? は、はあ……」
そう言いつつ気安く俺の肩を叩く男性に、俺は不思議な事に違和感を感じなかった。
それどころか“この人はだれだろう”とか根本的な事は考えず、初対面なのにまるで昔から知っているかのような妙な感覚に陥っていた。
だから……彼が語り出した話を何の違和感もなく聞いていた。
「俺のお相手も同い年の娘……いわゆる幼馴染ってヤツなんだよ」
「え……そうなんですか? 実は俺達も……」
「お!? それは奇遇だな! お互い幼馴染同士のパートナーじゃないか。こんな時間にこんなバカップルしか来ない『相愛の湯』に来るくらいだ。もう……やっちゃった?」
「い、いや……それが良い所で邪魔が入っちゃって……」
「ありゃ~~それは惜しい! ま、そこまでイケたんなら後は流れ次第だろ? 頑張れ青少年」
好奇心とスケベ心満載な笑顔でそんな下世話な事を言われても、何故か不快にも思わずに返してしまう……本当に不思議な気分だった。
だから、妙に自分の本音が口から漏れ出る……まるで“夢の中のように”飾らない自分が勝手に出て来るかのように。
「でも……そんな風に簡単に行くものですか? 確かに俺は彼女に告白して、彼女も受け入れてくれたけど……本当にこのまま進んでしまって良いのか……本当にあの娘がこうなる事を望んでいたのか……」
インターバルを置いてしまうと自信の無い自分が再び顔を出してくる。
俺の幼馴染は優しい……もしかして俺を傷つけないように、俺の告白を受けてくれたんじゃ? 一人になるとそんな益体も無い不安な気持ちが湧き上がってくる。
男として情けない考えであるとは……分かっているのだが。
そんな情けない事を言う俺を否定するでも叱責するでもなく……男は静かに口を開いた。
「俺は……自分の女が何よりも大事で大切、死ぬほど愛しているし愛されている自信もある。それは揺るぎない気持ちだ」
さらりと言われた言葉に俺は素直に“凄い”と思った。
偉く自己陶酔な臭いセリフだけど、それは愛されている自信が無くては絶対に口に出来ない言葉……それが言えるだけで俺とは格が違う。
しかし落ち込みかける俺に男はニヤリと笑った。
「……今、お前思ったろ? 向こうが俺と同じように愛している自信は無い。自分のストーカー紛いの底なしのしつこい愛憎を相手に押し付けてはいけない……求めてはいけないってな」
「う……」
何で……何で分かるんだ?
幼少から彼女だけを想い続けた、疎遠になっても高校生になっても、そして念願の恋人同士になっても収まらず猛り続けるどうしようもない天音への独占欲……。
疎遠時代に一度は封じたつもりの気持ち……そんなものが彼女にバレたら確実に気味悪がられる、嫌われると思った感情。
こんな醜く自己本位、独りよがりな愛情と同等のモノを天音に押し付けてはならない!
だがそんな俺の葛藤を男は笑い飛ばす……まるで“知っている”かのように。
「心配ねーさ。そんな自信はこれから培っていくもんだし、そもそも女の情念……甘く見ない方が良いぞ~。女は男には想像も付かない程強かで計算高く、敵わない存在なんだからな」
「……え?」
「俺の初めては恐怖心からだった。その事を俺は未だに後悔しているんだよ……」
初体験自慢……にも聞こえなくも無い語り出しだったが、その声色に誇らしげな雰囲気はない。
どちらかと言えば懺悔のようにも聞こえた。
「とある“仕事”で俺たちの共通の、大事な人を亡くす事があってな……俺は昨日まで普通にいた人が突然いなくなる恐怖に囚われちまった。明日はどうなる? もしも明日一番大事な女がこの世からいなくなったとしたら……そんな感情に囚われて、俺は恐怖心から彼女を、幼馴染の恋人を抱いたんだよ……三日三晩」
「み、みっかみばん!?」
「大げさに捉えるなよ? 彼女が視界からいなくなったら、彼女が横にいなければ、彼女が腕の中にいなければ、触れていなければ……そんな恐怖心を紛らわす目的で何度も何度もしつこく……」
「う……」
思わず吹き出してしまったが、男の経験談は他人事のようには思えなかった。
もしも明日天音がいなくなったら……想像だけで背筋が凍る。
「そこからはもうズブズブ……俺はあの娘に、あの娘は俺に依存し合う関係になっちまった。それが間違いだったという気は最早無いけどな……」
「…………」
「だからまあ……お前さんは要らん事考えなくて良い。恐怖とか自信が無いとか別の事を考えないで、ただ彼女への想いだけを乗せて……純粋なスケベ心だけを胸にその娘の全てをモノにしてしまえ」
「な、なんつーアドバイスですか!?」
「先に言っておくけど、あの娘の想いは半端じゃないぞ~。自分の方が変人とか考えるのが無駄なくらいにな~」
「…………え? それってどういう」
何やら気になる事を言いつつ、男は先に温泉へと向かっていった。
もう振り返る事も無く、『今の自分』には無い自信を背中に滾らせて……。
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