第七十一話 勇者が夢葬された夜
「く……」
アマネにとってその指輪は日本に帰還する際に一度は諦めざるを得なかった物。
すべてを召喚前に戻す時、残したい選択を『記憶』に定めた彼女にとっては喩え自分たちの『大切な一週間の証』だったとしても諦めるしか無かったのだ。
しかし……そんな大切な物がサキュバスによる自分たちへの意趣返しの結果自分の手元に戻って来たという事を考えると素直に感謝も出来ず、それでいて恨み言を吐く事も出来ず……何とも複雑な心境になるしかなく苦笑する事しかアマネには出来なかった。
「……やられたわ」
そして漏らしたたった一言の敗北の言葉。
それを聞いたサキュバスは満面の笑みを浮かべて高笑いを始めた。
『ふふ……あはははは! やった、やったのよ!! 私は世界を夢葬した勇者と魔導師を夢の力にて勝利したのよ!! 世界を意のままに操った連中全てを私が操り意のままに転がして!!』
どこまでも嬉しそうに笑うサキュバスだったが、やがてその虚像が点滅しぶれ始めて像を保つ事が出来なくなって行く。
しかし彼女は、『夢魔の女王』は笑うのを止めない。
『私たちサキュバスにとって恨むに恨めない苦笑いで“やられた”と言わせるのは最高の仕事の証明!! 夢の王の称号は今夜永遠に私の物となったのよおお!!』
「ちょ、ちょっと貴女……」
やがて虚像を作り出していたネックレスから“パキ”っと乾いた音がし始めて、光の虚像は消失……武骨なアクセサリーの全体に亀裂が入る。
……世界を渡る為肉体を、魔力を捨てた『夢魔の女王』。
『魔王』から膨大な魔力を借り受けて無理やり夢魔法を行使すれば肉体を持たない自分は崩壊する事は当然の結果。
それでも彼女は最後の最後まで高らかに笑い続ける。
夢魔の女王として、プライドを賭けた勝負……その勝利に酔いしれながら……。
『私は夢葬の勇者の2度目のプロポーズを夢葬してやった唯一の夢魔!! ざまあみろ~あははははは……』
そしてその声は、ネックレスが“パン”と砕け散った瞬間に聞こえなくなり……辺りは突然の暗闇と静寂に包まれる。
その場に残されてしまった者は敵味方問わず、完璧な“勝ち逃げ”をした『夢魔の女王』の最後に悲壮感を感じる事も出来ずに、ただただ苦笑するしか無かった。
自分の最後すら笑い飛ばす夢魔の矜持を貫いた見事な振舞に……。
「やられたなアマネ……その指輪はさしずめ“サキュバスの祝福”が掛けられたとでも言えるのかな?」
スズ姉の物言いにアマネは自分の頭をクシャリと掻いて、溜息を一つ漏らした。
「アイツの矜持に敬意を表して……ここは“サキュバスの呪い”と言っておくわ……」
サキュバスに対して呪いと称し敗北を認める事が指輪を“届けてくれた”敵に対する礼儀であるとアマネは勝手に思う事にした。
そして彼女は『魔王』へとジト目を向ける……“生徒として”一言いう為に。
「夢魔の女王……かつての仲間が生徒への実害が無い、むしろ助けになるから協力してやったと言う事のようですが……もしも私とユメジが『夢幻界牢』の影響で行くところまで行っていたらどうするつもりだったのですか? “先生”……」
「別に私は学生同士の恋愛に口をはさむつもりは無いのでね……まあ避妊は推奨するが」
「……先生としてその発言は問題ないんですか?」
そんな普段の彼であれば言わないような少々アレな発言を『魔王』は名倉先生の顔で言い放つ様に、アマネは溜息を漏らした。
この後色々緊迫して魔王と対峙していた頃、夢の中で楽しく遊んでいた事実を知ったアマネの八つ当たりを夢次が喰らう事になるのだが……それはまた別のお話である。
*
「終わったようですね魔王様」
アマネとスズ姉がいなくなった校舎に一人で立ち尽くす魔王に暗がりから現れた一人の女性が、むこうの世界での『秘書』のとして声を掛けて来た。
「ああ、ヤツは逝ったよ。魔王軍で唯一勇者に勝利した者としてな……見事な最後だった」
「そうですか……それは何よりです」
夢魔の女王、その名がサキュバスにとって誇りであると同時に足かせでもあった事は魔王にも秘書にも、そして本人ですら分かり切っていた事だった。
しかし“夢の力を使いこなし世界を救った者を夢の力で超える”その想いは元魔王軍だった者として誰も否定する事が出来なかった。
それはライバルを超えたい、師匠を超えたいなど各々が心に定めたケジメの為に最後の戦いを挑んだ同志として……。
かつて夢と魅了の力で人の生気を奪うのみの存在だった夢魔が『ヤツを超える為に殺しは無粋、遺恨を残すのは論外……夢葬には夢葬で返さないと意味がない』とまで言っていた事を考えると……夢魔の女王も既にあの勇者に毒されていたのだ。
だからこそ彼女は最終決戦前日に姿を消した……そう思うと『魔王』は何とも言えない気分になった。
「しかしご苦労様……『夢幻界牢』展開中にずっと夢次と天音を見張っているのは大変だったでしょう?」
魔王は今日まであの二人を監視していた秘書に労いの言葉を投げかけた。
無責任な事を口では言っていても、やはり彼も教師で学生のうちに一線を越えないように『秘書』に見張らせていたのだった。
「廃ビルに入った辺りは少々際どかったですが……その辺は『稲荷神』のお陰て事なきを得ましたからね……正直神楽さんが彼女の友人で助かりましたよ」
「彼らはこっちの世界でも仲間に恵まれているのですね……」
上空に浮かぶ月を眺めて魔王は復讐を遂げた仲間を想う。
「私たちは私たちの仲間の勝利を称えましょうか……」
「ええ……その通りですね……魔王様……」
「…………あの……ところで君は何故しんみりしようとしている私の首に手を回しているのでしょうか?」
少し顔をヒク付かせる『魔王』に対して、『秘書』は吉沢先生の顔に妖艶な笑みを浮かべて、体ごと抱き着いて首に手を回し……耳元で呟く。
「ですから彼女の勝利を称えるのでしょう? 『サキュバスの呪い』を受けてしまった私がするべきなのはただ一つです…………問答無用で貴方を押し倒さないと……」
「や、ちょっと待ちなさいって……だからここは学校であってね? せめて違う場所に行ってからじゃないと生徒に示しが……ムグ……」
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今年の新任として再会を果たした二人であったが……教師としてこの二人を校内で見る事が出来る期間は余り長くなかった。
数か月後、魔王が責任を取る事になるとは……呪いを掛けた『夢魔の女王』ですら知る由も無い未来であった。
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