八月 第二週 上弦。宿題と新しい関係

  夏休みは早くも折り返しを変えて、後半へと突入していた。雪の積もる北の大地では夏休みはそれほど長くはない。そろそろ宿題の大半を終わらせていなければ、最後の1週間で苦しいラストスパートをかけることになるだろう。


 私は今日も机に向かって宿題に取り組んでいる。私の取り組み方は最初に一気に終わらせるタイプでもなければ、コツコツやるタイプでもない、そして最後の日まで泡を食ってやるタイプでもなかった。あえて言うなら中間である。楽なものはさっさと終わらせ、難しいものを最後の週に思い腰を上げて取り組むというタイプだ。

 しかし、今年は違った――


「始和、そこはこの公式を当てはめて解くといいわよ」

「ありがとうございます、深山先輩。私、数学苦手だからすごく助かります」

「良いのよ、始和。私も他の人と一緒に勉強できると効率が良いもの」

「そうですか?なら良いんですけど……」


 私は今、常任委員会室で深山先輩と宿題を片付けている。他にも陽子先輩や大山君、未海さんも来て皆、宿題に取り組んだり、読書をしたりと思い思いのことをしている。


「いいなぁ、桜は……。始和と勉強できて」

「ほら、陽子拗ねないでよ。あなた、市内コンクールに出す作文終わってないんでしょう?」

「そうだけど……」


 陽子先輩は少しむくれた顔をしながら400字詰めの原稿用紙と睨み合っている。なんでも常任委員長や各部の部長は夏休みに作文コンクールに出展しなければならないという伝統があるらしい。字数は2000字で私たちにとっては少ないと言える数字ではないだろう。


「和泉山先輩、なんか変わりました?」

「私も前より、柔らかくなった気がします」

「そそ、そうかな」

 

 陽子先輩と深山先輩が軽口をたたき合う様子を見て、大山君や未海さんも先輩の印象が以前とは大きく違うと思っているみたい。それは嬉しいし、良いことだと私は思う。けれど、真面目でクールな先輩に憧れた人にとっては受け入れがたいかもしれない。そう思うと悩ましい……。


「こらっ!」

「痛っ」


 考えが頭の中でループしていると深山先輩が頭を小突く。完全に手が止まってしまっていたようだ。


「陽子のことなら大丈夫よ」

「はい……」


 深山先輩は偶に心を読んだようなことを言ってくる。私のことも先輩のことも知っている。怖いというより信じていてくれる姿を見て、この人のようになれた私はもっと素晴らしい人でいられるのかもしれないと思いつつ、ノートと問題集に視線を戻す。

 委員会室はさっきとは打って変わって静粛に包まれる。偶に外から風に乗って野球部の掛け声が聞こえてくる程度だ。後は鉛筆とシャーペンの音、紙をめくる音だけがする。集中すれば消えてしまう程度の音の中、目の前のノートに書かれた数字に吸い込まれるような気分になりながらも数式を解きほぐしていく。もう隣に座っている姿も対面に座っている陽子先輩の姿も忘れるくらいに集中している。





「……わ、始和っ!」

「えっ」


 ふと、ノートの方を向いていた顔を陽子先輩の方に向けると先輩が心配するかのような顔をしていた。もしかして、寝てしまっていたのだろうか?


「先輩。私、もしかして寝てました?」

「ううん、そんなこと無いけど……。何度も声かけても返事が無かったから大丈夫かなって」

「先輩、ありがとうございます」

「どういたしまして」


 どうやら寝ていたわけではなく、声が聞こえなくなる程に集中していたみたいだ。それは確かに心配されるだろう、私自身も少し心配になる。声をかけてくれたことへの感謝を口にすると、ふと疑問が頭の中を漂い始めた。


「そういえば、どうして私を呼んでいたんですか?」

「えっ、いやちょうど正午を過ぎた所だったから、そろそろみんなでご飯でも食べようって話になって」

「そうだったんですね、深山先輩や大山君、未海さんは先に行ってるんですか?」

「うん、始和がみんなの声が聞こえないくらいに集中していたから、私以外は先に行ってる。ごめんね」

「ごめんなさい……、私のせいで待たせてしまって」

「気にしないで、始和が集中していたことは悪いことでも何でもないから」


 そう言って先輩は頭に優しく手をのせる、その手はゆっくりと髪を梳くように撫でていく。その言葉と手で少しずつ心が落ち着いていく。駄目だなあ、私は……。もっと慌てない人になりたいな。


「先輩、ありがとう……ございます」

「いいの、お互い様。私もみっともない所はあるから」


 優しく微笑んだ先輩は優しくそう言いながら、手を伸ばす。私は魅力的な笑顔に改めて、好きになって良かったとそう思った。立ち上がると僅かにフラッと立ち眩む。


「大丈夫?」

「ちょっと集中し過ぎただけですよ、気にしなくていいですよ」

「もう少し、自分に優しくね……」


 先輩は心配そうにため息を吐く。私から見ると先輩の方がそういうことは多い、そんな気がする。


「じゃあ、これ以上待たせたら悪いから行こう?」

「そうですね」


 私たちは委員会室の扉を開けて、鍵を閉めて後にする。室内と違って暖かい空気が肌に直接触れていく。湿度は周りの空気に熱を纏わせた夏の空が続いている。その中を私と先輩は手を繋ぎながら進んでいく。暑いし、恥ずかしい。繋ぐ理由など無いようにも思えるけれど何故か離す気にはなれなかった。手の平の間には暖かい大気が生れては流れていく。それでもお互いに強く握りしめる。そうしながら歩いていく。





 校門を出て5分程の住宅街の一角に喫茶店が見えてくる。今日のお昼はここにしたようだ。ランチやモーニング、ディナーとコーヒーや紅茶以外にも食べ物も多くあるということで学生が放課後や夏休みに来店することが少なくないという変わったお店だ。客単価的にはこちらが心配してしまいそうではあるが……。


「マスター、お邪魔します」

「お、お邪魔します」

「おや、和泉山くん。いらっしゃい」

「桜の居るテーブルの所で良いですか?」

「ああ、話は聞いてあるから大丈夫だ」

「ありがとうございます」


 陽子先輩はレジの前で店主と少し会話をすると、そのまま店の奥の方へと足を進めていく。奥まで進んでいくと壁側の大きなテーブルの所に深山先輩達が会話をしながら待っていた。


「陽子、遅いわよ。私達もう頼んじゃったからね」

「ごめんって桜、ちょっと余月さんと話したいことがあってね」

「そういうこと、なら仕方ないわね」


 深山先輩は見透かしたような言い方をしたけれど、遅れたことに不満を持っている訳ではないと思う。多分、先輩との張り合いが足りなくなるからポーズを取っているだけだろう。中学の2年間の間は私とそうしていた記憶がある。私も先輩もそうだが、この人も大抵不器用だなと思いながら、先輩同士の軽口の叩き合いをメニューの間から覗く。


「ねぇ、始和っち。先輩って本当に仲いいよね」

「うん、あそこまで軽口言い合えるのは珍しいと思う」

「僕達もそうなるのかな?」

「うーん、どうだろ。意外と私達バラバラだしね」

「それも、そうだね」


 先輩たちの掛け合いを大山君と未海さん、私で微笑ましく眺めながら話をする。何度かこの3人で話すことはあったけど、こんなにワイワイと盛り上がったのは初めてな気もする。大山君も未海さんもそして私も3人とも考え方、性格はバラバラだ。そんなことを言えば、先輩達も方向性は異なっている。でも私達とは違って一体感がある。これが友情の深さというものなのだろうか。私達もいつかこうなれるのだろうか。


「桜ぁ……」

「まあ、こういう所見せたらそうなるってわかってたでしょう?」

「そうだけど」

「陽子、あなた自分の外面に自分も騙される必要は無いのよ」


 やはり陽子先輩にとっては今の光景を見られるのは恥ずかしかったらしい。前に自信を無くした時もそうだったけど先輩は脆い、そんな印象を受ける。こういう時こそ、自分も何か言うべきだろう。励ましてくれた先輩に。


「先輩。私は、私達は……気にしないです。だから大丈夫ですよ」

「完璧じゃなくても良いんです!」


 つい勢いで私達と言ってしまったけれど大丈夫だろうか、一緒にされて――


「そうですよ、和泉山先輩」

「始和っちが言うようにそれですごい先輩だって言うのが変わったりしませんから」

「ほら、大丈夫よ陽子。もっと頼っていいの」

「みんな……」


 大山君も未海さんも私に続けて声をかけてくれた。深山先輩はその言葉を引き継いで先輩を落ち着かせると同時にこちらに一瞬視線を向ける。そのまなざしは優しく認めてくれているそんな暖かさがあった。


「じゃあ、もう遠慮はしないからね」

「ちょっと、振り回すかもしれないけど、よろしく」


 先輩は吹っ切れたような笑顔でそう口にした。その後は学年も趣味も性別も関係なく雑談に興じた。もちろん宿題もやったけれど、どちらかと言えば話している時間の方が多かった、そんな気がする。喫茶店の時計が17時を知らせる。タイミングよく、会話の区切りが見てきた私たちは深山先輩の一言でこの喫茶店を出て帰ることにした。


「陽子先輩、深山先輩。今日はありがとうございました」

「ううん始和。こっちこそありがとう」

「ええ、こんなに打ち解けられるとは思っていなかったから、これは余月さんのお陰で良いと思うわ」

「ありがとう……、ございます」


 先輩達に褒められて悪い気はしない。何か心が満たされたそんな気分で家路に着く。雲は夏らしい、青さと夕暮れの橙のグラデーションの中に浮いていた。





 家に帰ってからも宿題の残りに取り組む。心は午後の記憶を燃料にやる気という動力を作り出してくれたようだ。その意欲と共に私は先輩の恋人という形以外の何かを見つけたそんな気がする。これがどんな感情なのかはわからないが理解していきたい、そう願いながら私はシャープペンシルを動かし続けた。

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君は陽を追い空を駆ける 豊羽縁 @toyoha_yukari

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