七月 第二週 上弦。勉強漬け。

 定期試験、中学から始まり大学まで続く一大イベント。年に多い所で4回少ない所では2回行われる。頭の良い人も悪い人も平等に訪れる審判の日、7月は4回の中の最初の審判だ。国語、数学、英語、理科、社会、5つの分野の試験が行われるテスト週間。正直、私はあまり好きじゃない。得意とか不得意じゃなくて、好きじゃないのだ。勉強が嫌いな訳ではない、勉強が苦手というほどでもない。何故かといえば理由は単純で——


「疲れた〜」

「少しずつやっていく感じで大丈夫だよ」

「これまだ、7ページもあるんですよ!」


単純にひたすらテスト前に問題集を解いたり、教科書を読み直したり、先生が好意で追加した宿題を片付けるのが嫌いという理由だった。先輩と一緒にテスト勉強をしていながら、私はテストが嫌いな自分を隠すことができていない。先輩もこんな私は予想していなかったのだろう、少し面食らっている。数学の問題集を解きながら、私は

3度目の愚痴を吐いてしまっていた。


「始和、あまり考え過ぎないで」


 先輩は優しく声をかけてくれる。その優しさが嬉しい気持ちと優しさが甘さとなってアダにならないか恐れる気持ちの両方が出てくる。今はその優しさに甘え過ぎてはいけない、頼り過ぎてはいけない。


「ありがとうございます、先輩。でもちゃんとやって終わらせます」

「大丈夫、無理してない?」

「先輩、あまり優しすぎても人のためにならないんですよ。だから頑張ります」


 先輩に対してそうやって答えを返す。嬉しいけど、我慢が必要な時もあると思う。そう決意を固めて先輩を見つめる。先輩は少し目を瞑って悩むような素振りを見せながら首を僅かに振り、目を開いて私を見つめ返した。


「始和がそう言うなら私は応援するしかないね」

「その言葉だけでも十分です、陽子……先輩」


 そう言って私は教科書と問題集、ルーズリーフが広がる机へ目を向ける。残り7ページ、問題数にして12問。後ろの方に行くにつれて複雑な問題や証明問題も姿を見せるようになってくる。今までとは違う、もっと気合を入れて集中しないと……。突然部屋の扉が開く。私と先輩が扉の方へ目を向けると――




「陽子、余月さん。お菓子持って来たわよ」

「母さんっ、今ちょうど集中しようとしてたとこだったのに!」

「あら、ごめんなさい。でもお菓子食べてリラックスすることは大切よ」


 先輩のお母さんがお盆にお菓子と飲み物を入れたグラスを持って部屋に入って来る。先輩は少し恥ずかしそうに先輩のお母さんに反応している。知り合いに親子間の様子を見られるのは誰でも大なり小なり気恥ずかしいものだということを知って少しほっとする。


「ありがとうございます。ほら先輩も少し休みましょっ!」

「ほら陽子、余月さんもこう言ってるんだし、今は休憩して良いのよ」

「もう母さんまで始和の言うことに乗っかって……」


 先輩は手を額に持っていき呆れるような口ぶりをしたけれど、休憩すること自体に

反対と言うわけではないのだろう。本当に反対なら先輩は遠慮なんてしないだろうし。その先輩が安心して休憩できるようになりたいな……。

 先輩のお母さんが持ってきたのは何層かになった生地を持つチョコレートケーキだった。表面にオレンジピールとゼリーの層があって、その下にチョコレートケーキの層、マーマレードの層、色が少し濃いチョコレートケーキとかなり凝った作りをしている。ただ、お菓子屋さんで売っているケーキと比べると少し素朴な印象もあるそんな雰囲気がした。


「先輩、これって先輩のお母さんが作ったんですか?」

「そうだよ、お母さんお菓子作りが趣味で毎週欠かさずケーキを作ってて」

「すごいですね……、うちの親がケーキ作ってるところ見たこと無いので余計にびっくりします」

「ありがと、始和。今度作ってみる?」

「もし、よければ夏休みにでも」


 先輩と夏休みにお菓子作りをするという約束をしながらケーキを口に運ぶ、味はチョコレートと僅かに香る洋酒、マーマレードの味が組み合わさったシンプルな見た目から想像できないくらいに奥深い味わいがする。


「美味しい……」

「始和もそう思ってくれたなら良かった、食べ終わったら再開しましょう」

「はい、先輩」





 ケーキを食べ終わって、30分。集中力が落ちないように問題を解きながら、偶に先輩のアドバイスを貰う。先輩も私の質問に答えながら、古文の解説書を読み、教科書とノートを見比べている。問題集のページは1ページまた1ページと減っていき、遂に――


「やっと終わった!」

「おめでとう始和、本当にすごいよ」


 少しの疲労感とたくさんの達成感に包まれて、先輩からおめでとうと褒められる。ただ期末テスト対策の問題を解いただけなのに私はとても心が満たされていた。嬉しい、頑張ったことを認めてくれる人がいる、褒めてくれるそのことだけで私はただテスト対策をした以上の価値があるように感じていた。


「ありがとうございます。先輩のおかげです」

「そんなことないよ、私は始和の背中を押してあげただけで私自身は始和を引っ張ったりしてない」

「だから、これはあなたの、始和自身の努力で良いんだよ」

「そう……、ですか」


 真正面から先輩の真剣な眼差しで褒められると私は少し気恥しくなる。先週の重苦しい心とは大違いで本当に心が軽い。まだテストが終わったわけではないのだから油断は禁物ではあるのだけど。


「うん、始和の頑張りだよ」

「今日は本当にありがとうございます」

「どういたしまして、私も1人でやるよりは集中して勉強できるかなと思ったから、そう言ってもらえて嬉しい」


 先輩の誉め言葉に勉強会のお礼を言って、数学の練習問題を持ってきた鞄の中に仕舞い、教科書とノートをまとめる。今日の勉強会には数学しか持ってきていなかったからここでできることは終わらせたことになる。先輩はもう少し勉強するのだろうか、もしそうなら邪魔しないようにそろそろ帰ろう。


「ん、始和はもう帰るの?」

「ええ、先輩の邪魔になったら悪いかなって」

「気にしないでいいよ、ちょうど良く区切りがついたところだから」

「でも、もうやること無いですし……」

「普通に遊んじゃいけない?」

「もう、テスト期間ですよ……」


 先輩に帰ると伝えるともう少しいてほしいと言われた。先輩が邪魔じゃないならいても良いのかなと若干呆れつつも思う。そもそも先輩の笑顔で言われると私は断れない、あれは卑怯だ。口から零れて溢れそうになる気持ちを抑えるように隣に来た先輩に寄りかかる。先輩も嫌がる素振りを見せず、力を抜いて私に寄りかかってくる。

 黒くてスラリと流れる髪と癖の強いこげ茶の髪が重なり、影が1つになる。久しぶりに心の見張りを解いてもいい、そんな気持ちでいられる。先輩もそう思っているのだろうか、そう思って先輩の顔を見つめる。


「始和って優しい、ありがとう」

「そうですか?私、結構怒りっぽいですよ」

「ううん、こんなに安心できて心地良いだけで十分優しいよ」

「フフッ、そう言われると舞い上がっちゃいますいますよ先輩」

「舞い上がっていいよ。その方がもっと色んな顔を出せて魅力的だと思う」


 こんな時でも先輩はキザなセリフを恥ずかしげもなく口にする。こちらの顔が赤く染まる、先輩の顔も夕日で橙色に変わる。


「ちょっと、ワガママ言ってもいい?」

「何ですか?」

「このまま、少し……寝てもいい?」


 言われた内容に少しドキッとするがこのままでいたいのは私も同じだ。


「良いですよ、陽子先輩」

「ありがとう」


 先輩はそう言うとさっきよりも力を抜いて私に重みを預け、直ぐに寝息を立て始めた。その重さが意外と軽いことに少し驚きながらも、嬉しい気持ちでいっぱいになる。テストで良い結果を出して今日が無駄じゃなかったと言えるようにしたい。寝顔を見つめながらそう心で誓った。その時、扉が開く。


「あら陽子がここまで、人に頼るなんて珍しい」

「あ、あ……」

「あら、ごめんなさい。陽子を起こすと悪いし、失礼するわね」

「余月さん、帰らなきゃいけなくなったら起こしてでも帰っていいのよ」


 先輩のお母さんが様子を見に来たが、私に寄りかかる先輩を見て微笑ましそうな顔をして二、三言話して出ていく。私も気づけば、恥ずかしいというより微笑ましい気持ちで包まれた気がした。


 結局、私が先輩の家を出たのは7時ごろになったけど、気分転換と問題集が1つ終わったことを思えば、無駄ではない。そう思って帰路につく。


「よし、明日からもできることをやっていこう!」


 藍色の暗い空は私の声を受け止めるように広く、星は私を導くように輝いていた。

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