六月 末日。余月始和の後悔。

 土曜日、休日で高校生にとっては買い物、勉強、ゲーム等々、平日ではできないことを心置きなく行う時間だ。少なくとも私の周りではそうだ、私も休日は基本的に楽しいそう思っていた。


「始和~、まだ起きないの?朝ごはん冷めちゃってるよ」

「うん……、ごめん」


 姉が部屋に扉の前で私に声をかける。土曜日とは言えもう体感で10時は過ぎている。起きてからも多分1時間程経っているがまだ起きてご飯を食べる気にはなれない。昨日は結局、あのまま学校を早退した。先生には何か言われそうになったけど細かく聞かれる前にどうにか体調不良を装って早退した。

 その後もどうにか学校には通って、常任委員会にも参加していたがもう限界だった。私は先輩に対して無反応かぶっきらぼうにしか返事を出来ておらず、普段の私たちを見る人達からすると違和感しかなかったと思う。当然、深山先輩にも心配されて声をかけられた。


「始和、最近ちょっとぎこちないみたいだけど陽子と何かあった?」

「いや、特に何かあった訳じゃないです……」


 深山先輩や他の聞いてきた人たちにはそう返事を返した。けれどそれが嘘であることは近くにいた人は知っていると自分でもわかっている。これは甘えなのだろう、そう分かっていても打ち明けられる勇気はなかった。結局、すれ違ったままの1日は1週間へと延長され、私は部屋の中に閉じこもってしまった。





「う、うぅ……」


 ふと頭痛で目が覚める、気づいたらまた寝てしまっていたようだった。頭の中に重しがあるような鈍さで中々頭が動いてくれない、回ってくれない……。どうにかして上体を起こす、僅かではあるが血流が重力によって弱まるような感覚が私を包む。30秒ほど耐えるとその感覚は弱まり、頭痛も起きた直後よりはマシになった。

 頭が働きだすと空腹を感じていることに気づく。このことに気づくのだからまだ完璧な無気力ではないのだろう。心の中で何故か中途半端であることを責める。自分ができることをせずに逃げたことが恥ずかしい、心のどこかからそのような声が反響して残る。どっちにしろ、私の道は無いようなものだ。

 より正確に言うならば、学校と言う後門も家と言う前門へと続く道のどちらも自分で塞いでしまった。一時的な恐れによって相手を拒絶した。そのことは私に水溜りですら深海へと続く海原だと信じるほどに自信を喪失した。勇気と言うものは無くなってしまった気がする。何をするにも他人の目や口、顔が気になる、気になってしまう。弱い私を覆っていたメッキは王水の雨によって輝きを失い、地金すら溶かしていく。


「どうしよう……。取り合ず食べるしかないか」


 他人に聞いても適切な答えが返って来るとも思えず、空腹をどうにかして頭を動かす為に立ち上がって布団から出る。僅かによろめきながら、扉の前まで移動して、扉を開ける。



「やっと起きたの」

「えっ」


 扉を開けると壁に背中を押し付けて姉が待っていた、前に声をかけた時からずっとここに居たのだろうか。


「そんなことないから、安心して」

「そうなら……ぃいんだけど」


 どうやら姉には考えていることすら、お見通しだったようだ。恥ずかしいという気持ちもない訳じゃないけどそれよりも分かってくれる安心感の方が大きかった。


「ありがとう、姉さん」

「そう時もあるんだから、気にすることはないわよ」


 ああ、姉の腕の中に納まるのは何年ぶりだろうか、とても心が安らぐ。いつもは私にとって鬱陶しいほどのお節介もこんな時にはこれほどまでに私の心を軽くしてくれると思うと普段伝えることのできない気持ちが心の水面にまで浮き上がって来る。感謝の言葉が自然と口から零れた。姉はいつも冷たくしているのにも関わらず気にしなくていいと言ってくれた。





「美味しい?」

「おいしい……」


 1階に降りて遅めの朝食を食べる、時間としてはもう早めの昼食と言っていいくらいの時間ではあるけど。食卓の上には食パン1切れ、ラップが被さったベーコンエッグ、今さっき姉が冷蔵庫から出したブルーベリー入りのヨーグルトが置いてある。私はまずベーコンエッグをフォークで分けて口にする。目が一度覚めてから暫く経っていたせいか、いつもより美味しく感じる。作ってからしばらく経っているのにベーコンの脂の味と塩気、プリっとした卵の白身、少しパサついた黄身の感触がいつもよりはっきりとしていた。


「美味しいと思えるのは良かったわ。ゆっくり慌てないで食べていいのよ」

「そうする」


 私は慌てずにゆっくりとちょっと豪華な朝食を時間をかけて食べ終えると食器を台所のシンクに持っていく。シンクのタライで食器を水につけていると姉も台所にコーヒー豆のパックを持って入ってきた。


「始和、洗い物はいいわよ。後でやらせて」

「いいの?私の食べた分なのに」

「いいの、気にすることはないわ。それより一緒にコーヒー飲まない?」

「飲みます」


 姉は後で代わりに洗うと言って、コーヒーを淹れるためにお湯を沸かし始めた。姉は私と違ってコーヒー党でほぼ毎日淹れていた気がする。私はリビングのソファーに移動するとそこで座って待つことにした。





「お待たせ」


 姉がお盆にコーヒーカップを載せてこちらに来て、ソファーの前のテーブルにコーヒーカップとソーサー、ミルク、砂糖そして美味しそうなベリーのケーキを置いた。このケーキは姉の恋人の所の物だろうか、それにしては少し不格好な気もするけど。もしかしたら――。


「ありがとう。このケーキ、姉さんが作ったの?」

「そうよ。始和がチョコレート系のケーキ以外だとベリー系のケーキが好きって聞いたから」

「彼氏さんに教わって?」

「まあね、あんまりアドバイスは守れなかった気がするけど」


 姉は少し恥ずかしそうな顔をしながら、嬉しそうにそう話す。恋人に教えてもらったというだけではない、もっと柔らかな笑顔だ。そんな顔を私にも見せてくれるのは例えケーキが失敗してても嬉しいことだと今の私は思えた。


 少し話をした後にコーヒーを飲みながらケーキを食べる。私はコーヒーに少しのミルクと砂糖を入れたミルクコーヒーで、姉はブラックのままで。私はコーヒーの苦みが少し苦手でブラックで飲むのはあまり好きじゃない。その一方でコーヒー自体は好きなのだから不思議なものだと思う。


「始和、少しは落ち着いたかしら?」

「姉さんが寄り添ってくれたおかげで落ち着けた。ありがとう姉さん」

「落ち着けたなら、いいのよ。気にしないで」


 あの時から朝食を食べるまでの気持ちと比べるととても落ち着いていた。心なしか気分も少し軽い、食べる前よりは表情を無理に固めなくても大丈夫なくらいには。今なら姉さんに、お姉ちゃんに打ち明けることもできる気がする。やっぱり姉は私のことを良く見ているそう思う。ありがとう――。


「姉さん、お姉ちゃん」

「し、始和にその呼び方されるのは久しぶりで、懐かしい。それで相談したいことは何かな?」

「ゆっくりで良いよ、ゆっくり話せることからそれでいいわ」

「うん……、お姉ちゃん。その私、先輩のことで――」


 私は姉に先週あったことをできるかぎり正確に話した。幼馴染と久しぶりに話したこと、昼休みに食事に誘われたこと、先輩と幼馴染が知り合いで仲が良かったことを知って逃げ出してしまったという流れを順番に話した。その間、姉は疑問を口にしたらはせず、ただ相槌を打っていた。そして一通り話し終わると姉は口を開いた。


「それは始和が如月さんと始和の先輩――」

「和泉山先輩!」

「その和泉山さんが自分が知らないところで仲良くしているのを知ってびっくりしたってことでいいの?」


 姉は回りくどい言い方はせずに私に対してストレートな聞き方で確認をする。よく考えると私はどこに反応したのだろう、悠が先輩と付き合いがあることを教えてくれなかったことだろうか。それとも先輩が昼休みに屋上で悠と話したりしていることを教えてくれなかったことについてだろうか。もしくは2人が自分より仲がいい気がしたからだろうか。いや違う、その気持ちも無かったわけじゃないけど一番の理由は2人が悪いわけではないんだ。


「うん、びっくりした。2人とも知っている人なのに屋上で突然仲がいいことを知ってどうすればいいか、分からなくなって」

「そっか、その中に嫉妬とかはあった?」

「嫉妬は無い訳じゃないけど……」

「無い訳じゃないけど?」


 姉は言葉を繰り返す形で聞き返す。私が考えを纏められるようにそうしてくれる。慌てないで考えよう、嫉妬だけじゃない。私は他にも……。


「自信が無かった」


 少し沈黙して、私はそう口を開く。そう自信が無かった、悠と陽子先輩が仲良くしていても私も2人とも変わらず仲良くできるその自信が無かった。だから、そのことを知らなかったことに怒りや嫉妬が生まれ、信じられないと思ってしまった。自分との関係や仲を信頼できない、そこから私は暴走してしまったと思う。


「他の人との関係に影響されず、自分も仲良くいられる自信が無かった」

「如月さんと和泉山さんの間に入ったり、気にせず話せる自信は無かったってことね」

「うん」


 姉はちゃんと把握して確認をする、一つ一つ霧が薄れていく気がする。


「始和、自信が無いこと自体がダメなわけではないわ。でも、あなたは自分と相手との関係に資格が必要だと思うことはないと思う」

「資格?」

「如月さんと和泉山さんが仲が良いからって、如月さんとあなたの、和泉山さんとあなたの関係が成立しない成り立たないというわけじゃないのよ」

「確かにこれが三角関係だったら厳しいこともあるかも知れないけど、あなたと仲が良いから、他の人とは仲良くできない」

「そんなことはないから大丈夫。だから資格はいらないのよ。立派じゃなければいけない、優しくなきゃいけないそんなことはないから」


 姉は私の目を優しく見ながら、そう言ってくれた。安心ができる、遠慮や資格とか難しいことを考えなくてもいいのはとても心が楽な気がする。だから、ちょっと怖いけど進むこともたまには必要かもしれない。


「月曜日、話してみる。先輩と悠に」

「ええ、それはいいことよ。貴女のためにも、傷つけてしまった相手のためにも」

「頑張る」


 そう言うと姉は私を撫でてくれた。懐かしい、安心できる。もしまだ許されるなら先輩にこうしてもらいたいな。その為にも月曜日、ちゃんと謝ろう、口にしよう。そう覚悟を決めて、休日の時間は過ぎていった。

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