六月 第四週 下弦。晴れ渡る空と雲。

  雨の降り続けた1週間は終わり、曇りがあるものの晴れ間が見えるそんな水無月の末。空の水瓶は空になってしまったようで、先週の土曜日を最後に雨は降っていない。日差しも少しずつ、鋭さを増して春の柔らかな光は夏の鋭利な光へと形を変えつつある。高校へ向かう道の途中、両脇に塀が立つ道の先を見上げるとそこには綿菓子のように膨らんだ雲が漂っている。本格的な夏に向けて少しずつ進んでいるということを改めて実感する、そんな空だ。


「おはようっ、始和っ!」

「おはようございます、悠」


 歩いていると後ろから私を呼ぶ声がするのでその声の主に対して返事をする。彼女は如月悠といって私の家の3軒隣にある家に住んでいるいわゆる幼馴染だ。悠は私の横まで小走りで移動し、私と並ぶ形になると小走りから早歩きへ、そして歩きへと少しずつスピードを落としていく。横を歩いている彼女は髪は短めで長い所でも首の根本に付くかどうかという程度。髪を結ぶ程度には長い私と比べると活発で明るい印象を受けるのか、中学時代に知らない人からは私が文学少女で彼女が部活に熱心だと思われていた。実際には真逆というかどちらも運動はある程度していて読書も好きという感じであった。

 彼女とは通学路が重なることもあって今日のようにタイミングが合えば話すことが多い。


「何か、こうやって一緒に行くのは久しぶりだね始和っ」

「うん、なんか最近は早く出ることが多かったから……」


 話す内容は大したこともない内容、価値があるかと聞かれたら無い気がする。まあ、そもそも今までに話してきたことの中で価値のある話なんて言うものは無かったかもしれない。だから他愛もない会話を交わすということは悪いことでもなく、良いことなんだと今の私は思うことができている。


「そういえば、始和って常任委員会やってるんだっけ?」

「やってるよ、忙しいけど楽しい。そう言えば悠は文芸部にしたんだよね?」

「ああ、もちろん。いろいろ書いたり、読んだりしてて面白いよ」


 こんな考えもあるのかってと悠は続ける。私も本を読むからその気持ちはわかると続ける。他愛もない話を続けて、車通りの多い路地に出て横断歩道を渡る。そうやって進んでいくと時間の経過は早いものでいつの間にか、目の前に校門とその先に続く坂が見えてくる。


「もう、着いちゃったね」

「まあ、学校からそんなに遠くないしね」


 悠は少し残念そうな顔をしてそう言った。最近は話す機会が少なかったから少し寂しかったのかもしれない、自惚れかもしれないけど……。


「なら、お昼一緒に食べる?」

「えっ」


 悠が大丈夫ならだけどと付け加える。私も久しぶりに沢山話したいそう思う、先輩には少し申し訳ないけど。うん、何故そこで先輩が出たのだろう?


「いいのっ?」

「悠に予定がないなら、もちろん。昼休みに入ったら、悠のクラスの方に行くから」

「ありがとう!!待ってるね」


 悠の顔が大きな花が開くように輝く。悠にはこんな笑顔が似合うと思うから、これだけで喜んでもらえたなら私としても嬉しい。


「じゃあ、昼休みまで」

「やっていこうっ!」


 こんなにも息が合うのは幼馴染というのもあると思うけど、分かっていてくれたからだと思う。そう考えたら友人や恋人といったものに淡白である必要は最初から無かったのかもしれない。さあ、授業を乗り越えて行こう。できる範囲で無理などしないで。



 12時の鐘が鳴る。シンデレラの魔法が解けるには半日早いが、眠気の魔法が解けるには少し遅かった気がする。おかげで最後の数学の授業はノートの文字が偶にミミズのようになってしまってみっともない。後で時間を作って書き直さないと、これは見にくいままだとまずい。とりあえず消しゴムで――。


「おーい、始和っ」

「始和ぁ」


 今、集中しているのだから静かにしてほしい。悠との昼食もあるから早く消さないと。


「ねえ、始和」

「うわっ」


 驚いて顔を上げると悠がムスっとした顔で立っていた。当たり前だろう、昼休みに悠のクラスに迎えに行くと言っておきながら、逆に迎えに来てもらっているのだから、怒られても、不機嫌な顔をされても仕方がない。


「悠、ごめん。ちょっと集中しすぎちゃって……」

「始和はそういうとこ変わってないね、気にしないから早く行こう」


 片手に弁当を持ちながら悠はもう一方の手を私の方へ差し出して、そう言ってくれた。私が急いで弁当を取り出すと悠は手を掴んで私を教室の外へと連れ出す、そういえばどこで食べるか決めていないな。


「ゆ、悠、そういえばどこで食べる?食堂、中庭?」

「屋上で食べる、閉鎖されてないし、ちゃんと手すりがあってテラスみたいになってるから」

「屋上!?うちの学校、屋上に入れたんだ知らなかった」

「まあ、そう思うよね。私もある先輩に教えてもらったから知ってるだけだし」

「そうなんだ、なら知らないのも無理は無いか」


 屋上のことをしらなかった自分をそうやって納得させる。このことを前から知っていたらもう少し、落ち着いた昼を過ごせたのにとふと頭で思ってしまったから。悠の歩きは私より少し早いから、私は少し駆ける形で階段を上っていく、階段を登り切り、重い扉を開けるとそこには青空と広いコンクリートの大地、そこそこの大きさの観賞植物が目の前に広がっている。


「意外と広いんだね」

「私も最初に入った時は驚いた」


 ただ殺風景なコンクリートの屋上ではなく木々の木漏れ日の下で心地良いランチを楽しむことができるそんな場所のようだ。本当に、もっと早く知っておけば良かった。でも今知ることができたのは幸運だとそう思いたい。悠は持ってきたカラフルなシートをコンクリートの床に広げるとその上にお弁当を置いて柵を背にして座った。

私もそれに倣って柵に背を向けて横に座ってお弁当箱を開く。中身は白飯の中央に種なしの梅干し、おかずは卵焼き、きんぴらごぼう、ミニトマト。前に桂と望に見られたときはシンプル過ぎると言われたが私はこれくらいシンプルな方が落ち着く気がする。


「始和の弁当は中学の時に見たのと変わらないね」

「そうかな、まあ作ってるのお母さんだし。悠のお弁当はすごい凝ってるね」

「ちょっと、料理にはまってて」


 悠は昔から多趣味で今は料理、特にお弁当作りにはまっているらしい。その甲斐あってか、二段のお弁当箱の中身は幕の内みたいなおかずの多さだった。鮭、卵焼き、小さなハンバーグ、エビフライ、きんぴらごぼう、ほうれん草のお浸し、白いご飯。これを自分で作ったというのはいくら時間のある高校生でも難しい気がする。


「す……、すごいね、ここまで作っちゃうと」

「まあ、来週には飽きてるだろうけどね」

「そういえば、悠って興味ある時は全力だったね」

「うん、それが私のモットーだし」


 これができるのはすごいと思う。私は特段、とてもすごい特技や特徴をもっていないから憧れる。羨ましいとそう思ってしまう。悠がくれたエビフライを頬張りながら、私のお弁当のきんぴらをおかずに美味しそうにご飯を食べる彼女を見つめながらそう思う。


「そういえば、ここを教えてもらった先輩って誰なの?」

「教えてくれた先輩?うーん、始和の知ってる人だよ……」

「そうなの、深山先輩?」

「ううん、違うよ。あの人と私、話したこと無いし」


 深山先輩じゃない、じゃなくて私が知っている先輩は……、他に。

 ガチャン。突然扉が開く、奥から出てきた人は私よりも一回り背が高くて、小走りなのか黒い長髪が揺れていて、ちょっと細めな目線は――。


「こんにちわ、如月さん。今日は一人じゃないん……だ」

「あっ、はい……」


 私は悠と和泉山さんがこちらを見て見つめ合ったまま沈黙するのをただ見ていた。ただ一言交わした会話、その会話が頭で反響して止まらない。もう言葉が出てこない、何を言えばいいのかもわからない。怒りとか悲しみとかそんな気持ちじゃなくてただ時が止まる、夜のままで、炎はそのまま氷に包まれる。


「し、始和」

「余月さん……」


 2人は余所余所しくこちらに声をかける、私の心は冷めてしまった。期待外れとは違うけど私は今までのように先輩を見れないし、幼馴染と純粋な会話を楽しめない、そう思ってしまった。私は最低限の動作で逃げるように、屋上から出ていく。やはり私はこんな明るい所に居てはいけなかったのだ。幼馴染と先輩が何かを言っているがその声は何故か聞こえない。私はそのまま玄関を抜け、裏山へと昇っていく。晴れていた空は大きな雲がいつの間にか黒に染まり、ぽつりぽつりと雨が降り出す。構うものか、私はここに居たくない。その一心で裏山にある細い道を通り、公園を目指してひた走る。その日、私は初めて授業を放棄した。

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