六月 第二週 上弦。主人公と語り手。

 午前の授業が終わり、昼休みに入る。教科書を閉じて机に仕舞い、鞄から弁当箱を取り出そうとすると良く聞く声に名前を呼ばれた。


「ねぇ、始和」

「どうしたの、桂」


 頭を声の方に向けるとそこには別のクラスからやって来た桂が1人で立っている。私の所に来るときはいつもは望と一緒のことが多い。


「あれ、望は?」

「ミーティングだって」

「そうだったんだ、知らなかった」

「珍しいね、望が始和に伝えないなんて」

「そうかな、ところで何か用事あった?」


 望について聞くと望は部活のミーティングらしい。それで桂だけでこちらに来たようだ。珍しくはあるが全くないわけではないし、話すことがなくなるというわけでもない。それにお互い、沈黙は苦手ではない。


「無いよ、しいて言えばお昼くらい?」

「お昼?私は大丈夫だよ、特に用事はないから」


 私の前の席に座った桂はいつものようにレジ袋の中から菓子パンとペットボトルの紅茶を取り出してこちらを向く。私は家から持ってきた弁当箱を風呂敷の結びを解いて取り出す。中身は白米と梅干、ごぼうのきんぴら、ちくわ、卵焼きだ。中身に少し偏りがある気がするけど自分で作っている訳でもないので仕方がない。


「桂、今日のパンはどんなのにしたの?」

「ホイップクリームとイチゴのジャムが入ったやつにした、紅茶はピーチフレーバーのやつ」

「それだけで足りるの?」

「うーん、今日はあまりお腹が空いていないし……甘いからエネルギーとしては十分かな」

「桂が大丈夫ならそれでいいんだけど」


 桂とやりとりをして、やっぱり桂は不思議な子だと私は改めて思う。不思議というのは普通から離れているということではあるけど、それ自体がいけないこと、ダメなことだとは私は思っていない。そうなるのにもいくつかの理由や経緯があると思うから。桂の不思議な所は小食や可愛いもの好き、雑貨好きといったステレオタイプな女性らしい所もあれば、カロリーが足りてればどんな食事でも気にしないところや合理的に考えてきっちりとしている部分もある。そんな2面性を持っている桂だから面倒くさい私とも付き合えているのだろう。


「美味し、そういえば始和。最近何か変わったことあった?」

「えっ、何で?」

「うーん……、表現が難しいけど中学校までの始和って交友関係は広いし、話す人も多いけど付き合い方は淡白でそこまで内面に迫る方では無かった気がするんだ」

「そうだね、確かにそういう所はあったかも」


 そう、私は間違いなくそういう淡白な人間だ。表面的な付き合い、それ以上のものに意味を見出せなかった、より深い友情といったものを欲してしまうけれど理解ができないそれが苦痛だった。進学して見学会の時に陽子先輩にビラを渡されるその時初めて深い付き合いを欲する気持ちを理解できた気がする。自分自身がつい最近気が付いたことを桂に言われ本当に自分の友人は人をしっかりと見ていると改めて感じた。


「だけど最近、笑顔が多くなった。それに私たちと話すときも前より深くまで踏み込んでいる」

「よく見てるね、桂。私もそこまで自覚を持って理解はしてなかった」

「まあ、外から見ないと気が付けないこともあるから気づいてなくても、気にしなくていいと思うよ」

「ありがとう」


 本当にこんなすごい友人がいていいのだろうか、そう思ってしまう。だけどそう言ってくれるということは困ったときや必要なときは頼ってもいいのだろう。互いを信じることができるといことが友情や愛情といったものなのかもしれない。私も信じていいのだろうか、いや少しずつ信じてやっていこう。私が陽子先輩を信じて、陽子先輩も私を信じてそうやっていくとあの時決めたんだから。だから私の大切な友人の1人である桂にも少しずつ悩んだ時や困ったときは相談するそんな関係を作りたい、それぐらいの信頼関係を持ちたい。


「あのね、桂」

「始和どうかしたの?」


 桂が紅茶を飲むのを止め、キャップを軽く締めてこちらを体の正面を向け直す。僅かに緊張しながら私は次の言葉を口にした。


「えっと、その……。常任委員会の和泉山先輩に告白されて……、今一応付き合ってる」

「……うん、まあそのくらいの変化があるにはやっぱり恋しかないのかな」

「えっ、驚かないの!?」


 桂が大きな声を上げたり、驚いた顔をしなかったのは少し意外だった。元々桂は落ち着いた雰囲気をしているから大きな声を上げることはそうそうないのだけど、ここまで静かなのにはすこしびっくりする。


「始和が高校に入ってからの話聞いてると最初の方から和泉山先輩は出てきていたよ、それに最近は話す頻度が増えていてまるで恋する乙女みたいだった……。実際そうだったわけだけど」


 桂はジトーっとした目でこちらを見る。私がそんなに変だったのだろうか?


「えっと桂、私何か変なことしてた?」

「変?うん変だったよある意味」

「ある意味?どこら辺が変だった」

「何ていうか、ニヒリストで現実何て下らないって言ってた主人公がヒロインにであって恋に落ちて、色ボケするくらいの変化はあったよ。だからとっても変に見えたと思う」


 私とか望とか深山先輩には、そう桂は補足した。桂にかなり方向性の違う本の登場人物になったという例え方をされたということは長く付き合っていた友人や先輩から見ると相当大きな変わり方だったのだろう。私自身、友情に期待していなかったせいか広く浅くといった付き合い方をしていた。でも深い友情を持った人は多くはないが全くいなかったわけではない。そんな大切な人たちからは丸見えの筒抜けだったということだろう。私を分かっている人は多くはないけど確かにいる、いないと私が思って一歩引いていたそれだけだったのかもしれない。


「そんなに変わってたんだ、気が付かなかった……」

「始和は自分に鈍感だからね、だから自分が少しずつ変わっていることに気が付かなかったのかも」

「まあみんな多少は自分のことには鈍感だけれどね」


 桂はそう言って少し自嘲するような顔をする。私が知らないだけで桂にもそんな所はあるのだろうか……。それもこれから知っていけばいい、そう思えるようになったのは良いことなのだろう。ありがとう、陽子先輩。


「見てて面白かった?」

「見てて愉悦を憶えるほどひどい人間ではないけど、始和の変化を見ていると物語を見ているみたいで本当に面白かったよ」

「物語?」

「うん、読者が物語に没入する感じって言えばいいのかな。語りの文章と一体化していく感じ、まるで語り手になったみたいな」


 桂は言葉にしにくいその感覚を私に少しずつ口にして伝える。桂にとって私を観察するということは物語に没入することと同じ感覚に陥るようだ。その感覚は本が好きな桂独自のものだと思うけど、桂にとってそう思えるほど私の動きは日常は、生活は魅力的だったのだろうか。そう言われると嬉しさとともに気恥ずかしさが出てきて私は頬を赤く染める。


「桂……。う、嬉しいけど恥ずかしい」

「えっ、どうして?」


 桂は何を言われたのか分からず不思議な顔をしている。こんな時のどうして鈍感になるんだろう……。私が言えたことではないのかもしれないけど。でも相手に上手く伝わらないからこそちゃんと素直になることが大切なのかな。ちゃんと言おう、伝えよう遠慮せずに。


「桂が自分らしい表現をして私のことを評価してくれた、そのレベルで私のことを見てくれた。それが嬉しくて恥ずかしい」

「ありがとう桂」

「そ、そう……。なら良かった、私も感情を伝えるのが下手だから上手く伝わったか自信が無くて」

「ちゃんと伝わったよ、ありがとう。いろいろ変われた気がする」


 桂も頬を赤く染める、いつから私たちは周りも気にせずにノーガードで殴り合いをしていたのだろう。ただお互いに恥ずかしくなりはしたけど損をして終わったわけではないと思う。自分と相手の弱点や良い所を認め合う、そんなことができた気がする。

 気がつけば、お弁当箱の中身は綺麗に空になり時計はチャイムの鳴る5分前になっていた。桂の方も持ってきたペットボトルの紅茶の上から3分の1は背景が映っている。時間を忘れて夢中で話しているうちに食べて飲んでしまっていたのだろう。何だか最近話すのが楽しい、心の中で独り呟き続けるよりずっと。どちらも螺旋ではあるけど上へ行くものと下へ行くもの今は上に行く方が楽しいそう思える。


「そろそろ午後の授業だからいくね」

「ううん、色々話に付き合ってくれてありがとう」

「始和、それはお互い様」


 桂はそう言うと椅子から立ち上がって素早くペットボトルを掴むと足早に教室を出ていく。普段は5分前には教科書を開いているからこの時間に別のクラスにいるというのは桂にとっては少し落ち着かないだろう。そろそろ私も準備をしないと――。


 だが私はすっかり忘れていた。桂に打ち明けたということは望に言ったも同義で桂が言わなくても望が表情や仕草に敏いことを。私は週末に根掘り葉掘り聞かれ、望の恋愛相談を受ける羽目になるとは全く考えもせず、放課後を楽しみにしていたのだった。

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