六月 歩み寄った先

六月 第一週 新月。嵐は過ぎて、見える空。

 5月末にあった生徒総会、それ自体は事前準備の大変さが嘘のようにあっという間に過ぎていった。総会の中では特に大きな質問は出ず、いくつか問答はあったものの2、3回受け答えがされるだけで済む程度だった。準備と比較すると拍子抜けするほど簡単に進んだ総会だったけども先輩達を中心にして事前に多くの打ち合わせと確認を行っていたことが大きい、そう感じた。


「始和、どうしたの?」

「ふぇっ!」

「眠い?横になるならベッドがあるからそこで横になってていいよ」

「だ、大丈夫です。ちゃんと勉強しますって……」


 今、私は陽子先輩の家にお邪魔して先輩と小さな丸い机を挟んで向かい合っている。先輩は机の上に置いた数学の教科書を開きながらノートに問題の解答を書き込んでいる。私は月曜日に提出の英語の課題を解いている。解いている間は基本無言で偶に先輩と私のどちらかが声をかけて二、三言話して終わりだ。いわゆるお家デートとはこんなものなのだろうか?何か違う気がするけどわざわざ確かめる気になれない。カタカタとシャープペンシルの先が紙に刻む音だけが部屋に響く。カラン――、氷が溶けて音を立てて転げ落ちる。


「始和、ちょっと休憩するかい?下からケーキ持ってくるね」

「えっ、あ……ありがとうございます」


 氷の音が響いたタイミングで先輩はそう言って部屋から出て階段を降りていく。シンプルなショートケーキ、ベリー系のケーキ、チョコレートケーキ、チーズケーキ、他にも色々、一口にケーキと言っても色々な種類があるけれどどんなケーキだろうか。先輩と食べるケーキを想像しながら5分程待っているいると先輩がケーキとティーカップの載ったお盆を持って上がってきた。


「お待たせ」

「そんなに待ってないですよ、先輩」


 先輩がケーキと紅茶を机に置けるよう、一旦机にあるものを周りに避ける。


「置いて大丈夫ですよ」

「ありがとう、始和」


 先輩がニコッと微笑む、その顔は私には卑怯だ……。そして片づけて空けたスペースにティーカップとケーキを置く。そのケーキは表面がチョコレートでコーティングされていて、僅かに洋酒の香りとフルーツの香りがする。断面を見るとケーキの生地と生地の間にジャムが塗られているようだった。


「このケーキって、ザッハトルテでしたっけ?」

「始和もこのケーキ知ってるの!?」

「え、えぇ。姉の彼氏がパティシエ見習いでよくケーキを持ってくるんです」

「それで多少憶えていて」

「そうなんだ、私このケーキ好きだから嬉しいな。今更だけど、洋酒とか大丈夫?」

「大丈夫ですよ」

「はぁ……、良かった」


 先輩は胸の前に手を置き、安堵の息をつく。先輩には大丈夫としか言わなかったが私はザッハトルテは好きな方だ。それも記憶の中では片手の中に納まる程度には好きと言える。僅かに頬が緩んでいくのがわかる。好きな人と好きなスイーツを食べる、嬉しいって気持ちを持ちながら食べれることができる、それはとても良いことだと思う。


「これ、どこで買ってきたんですか?」

「ごめん、これ買ってきたものじゃないんだ。昨日の夜に作ったんだよ」

「えっ!?」


 作った、先輩が作った。こんなに綺麗に、美味しそうに、良い香りがするものを先輩が作ってくれた、その驚きと喜びで私は一瞬フリーズする。刹那の静止が過ぎて私は――。


「す、すごいですね……。こんなに綺麗に作れるなんて」


 驚きの衝撃波で語彙力が吹き飛んだ。


「ありがとう、始和。一緒に食べる人に喜んでもらえるのは嬉しい」

「そ、そうですか。先輩に喜んでもらえるなら来た甲斐がありました」

「良かった。私、お菓子作るの好きでたまに作るんだ……。今までは桜にクッキーを渡すくらいしかなかったから……」

「意外ですね、先輩ならそういう機会ありそうですけど」


 本当に意外だ。学校での先輩への評価は大きく2種類に分かれると思う。1つ目はクールでキリっとした優等生そんなイメージ。桂や望に聞いた限りだとあまり先輩と関わる機会の少ない人達からはそう見えることが多いらしい。2つ目は普段は少し不真面目だけど茶目っ気の強く、勝負ごとになるとやる気を出すそんな漫画の主人公のようなイメージ。総務委員や生活委員をやっている人や部長達などは2つ目のイメージを持つ人が多いと生徒総会の準備をする中で感じた。その中で後者のイメージも知っていると先輩がお菓子をプレゼントする機会が少ないというのは意外という他ない。


「そうかな……。私ってあまり人に関わるの得意じゃないんだよ。4月に始和が指摘してくれたように」

「そんなこと無いと思いますよ、じゃなかったらあんな告白できないですよ」

「うーん……。今思うけど、緊張して切羽詰まっていたからそうなっただけで――」


 そして先輩は“そこまで緊張していなかったら、してなかったと思う”と続けた。ちょっとびっくりした私も周りと同じでイメージに憑りつかれていたんだろうか。こんなに近くにいるのに気が付けなかったのが少し申し訳ない。


「なら私は先輩にとって関わりやすい人になりますよ」

「えっ……」


 先輩が少し戸惑いを見せる。自分でも何を言っているか分からない、でも止めない――。


「先輩が周りのイメージをどう思っているのかは分からないです。でも深山先輩に頼っていることが多いのは分かります」

「深山先輩だって、先輩だけに関われると限らないですから。だから私は先輩にとって気軽に話せる人になります」

「でもっ」

「難しいことは必要ないと思います。今までみたいに話したり、関わったりそれでいいんだと思います」

「そうしていけば少しずつ、関われる人増えてくかもしれないですし」

「先輩がやってみたくて、できる範囲でいいと思いますよ」


 途中から頭で考えるよりも先に言葉が出るそんな感じがした。勢いしかなくて説得力もなにもない、場の空気にもあっていないそんな拙い言葉。届くかどうかも考えず、ただ愚直に放ったそれは先輩には届くのかな。拒絶される恐怖を感じながら、先輩に再び目を合わせる。


「うん……、そうだね。少しずつ、一歩でも変えることは始和の言う通り大切」

「だから、私はイメージじゃなくて実際に関わりやすい人に、そうなりたい」


 先輩は少し、涙を目じりに浮かべながら笑顔を浮かべてそう言った。私の拙い主張に対して先輩は変わりたい、少しずつ変えたいと言った。先輩がそう思った裏に何があるのか、そこまでは分からないし、知るべきじゃない。だけど、そう思ったなら少しずつ進んでいく先輩を手伝うのが私にできることだと思う。


「先輩がそう思っているなら、私はできることをできる範囲でしていきますよ」

「ありがとう、始和。それなら始和にちょっとお願いしたいことがあるんだっ」


 いつもより自然な笑顔を浮かべて先輩がお願いをする。何だろう、私にできることなのだろうか、少し疑問を浮かべながら口を開くのを待つ。


「そんなに大変なことじゃないよ、陽子先輩じゃなくて陽子って呼んでほしいなって」

「えっ、それは……」

「最近は、陽子先輩っても呼んでくれないし……」


 先輩がジト目をしてこちらを見る。こんなに表情豊かな先輩を見れるのは嬉しいけど、名前で呼ぶのは恥ずかしい。陽子先輩と呼ぶのも少し恥ずかしいのだ、最近は深山先輩がいる時しかそう呼んでなかった。


「ご、ごめんなさい先輩……、恥ずかしくて」

「うん、それは大丈夫だよ始和。私と少しずつやっていこう」


 先輩にそう言われたら自分もやらないとは言えない、私も先輩に発破をかけたのだから。


「はい、やっていきます陽子……先輩」

「陽子!」

「よ……う子」

「陽子」

「あーっ、もう分かりました。ようこっ、陽子!これで良いんですね?」

「うんっ!ありがとう始和」


 やけっぱちになって先輩の名前を呼ぶ、意外と恥ずかしさは無かった。先輩、陽子先輩、陽子、心の中でもそう呟いていく。ちゃんとそう呼べるようにしないと。


「始和、そろそろケーキ食べよっか」

「はいっ、食べましょう陽子のケーキ」


 陽子先輩は少し顔を赤くする、先輩も恥ずかしかったと分かって少し安心した。フォークでケーキを少しずつ切り崩す。私は横に小さく、先輩は少し大きく切ってそれから一口サイズに。食べ方にも違いは出るんだなと思いつつ、口に運ぶ。チョコレートと僅かな洋酒の香り、杏ジャムの酸味、チョコレートの入った生地。それが口の中で溶けていく。


「美味しいです」

「ありがとう始和」


 ゆっくりと紅茶を口に含む。緩やかに時間が過ぎていく、こんな時間をもっと体験したい。私はそう思いながら先輩と1日を過ごした。

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