第2話 最高の笑顔

翌朝のこの日も休みである。というか七月二十一日から九日間は夏休みだ。

随分と短いかもしれないが休みが取れただけマシだろう。あのバイト先に休みという概念があるのか僕は時々、疑わしく思う。

本来ならすることなんてないので部屋でゴロゴロしてるだけなんだけど……。

忙しくなりそうだな。なんて生意気なセリフを心の中で吐き捨てる。

昨晩はずっとあの娘がすすり泣いていたので、眠れないまま夜が明けてしまった。

 軽い朝食を取った後、その娘にいくつか質問をすることにした。

昨日は落ち着いて彼女を見ることも無かったので気付かなかったが、随分とかわいい顔をしていた。艶のある黒髪は背中の真ん中あたりまで伸びている。

見た目は日本人のようだが、澄んだ赤い目が外国人のような雰囲気も醸し出していた。年齢は少し若そうだ。十五歳位だろうか?

背は低く、服も質素で、あまりいい生活を送ってきたようには見えなかった。

ただ、左手の小指になんの飾りもついていない単純な指輪が一つだけ光っている。

 質問は少なく済ませた。あまり細かいことまで聞いても彼女の不安を煽るだけだろう。必要最低限、彼女の名前と住所を聞くことにした。

昨日会ったばかりの人に自分のことを詳しく教える義理なんてないだろう。実際、この二つでも僕は結構踏み込んだつもりだ。

 まず、住所を聞いた。この独特の雰囲気の中で口を開くこと自体が無茶苦茶に緊張する。

彼女は答えてはくれなかった。代わりに不安そうな顔が返ってくる。やっぱり、親元となんかあったのだろうか。

次に名前を聞いた。ずっと『彼女』や『あの娘』では不便だ。せめて名前はほしい。


「じゃあこれだけ聞かせて。名前なんていうの?」

「えっと……月島つきしま皐月さつきです」


彼女はボソボソと小鳥の鳴き声のような小さい声で呟いた。その声は五十㎝ほど離れている僕がかろうじて聞き取れるレベルだ。

まだ怖がっている様子がある。

たしかに月島さん(?)からしたら見られない人ばかりの中で僕に目をつけられたんだ。逆に警戒するだろうか。

向こうが名乗ってくれたのなら、こちらが名乗り返すのが礼儀というものだろう。礼儀なんて気にしてこなかった僕が言うことでもないけれど。


「僕は高杉建たかすぎけん。しばらくはここに居てもいいよ」


ここ最近、人とあまりしゃべっていないので、どう接していいのか分からずしどろもどろになってしまい恥ずかしい。

出来もしない愛想笑いをしたもんだから気持ち悪くなったかもしれない。

その後は特に喋ることもなく時は過ぎていき、気付いた頃には夜の十時も回っていた。時間の巡りが遅いようで早い。

月島さんは流石に疲れていたこともあるのかすぐに眠ってしまった。

僕はスマホで月島皐月と検索する。何か分かると思ったからだ。でもなにも出てこない。安心したような不安が増大したような……。

出てこないってことは脱獄犯とか捜索されている人とかはなくなるだろう。ここ最近、犯人不明の大きな事件も聞かない。

ただ偽名もあるかもしれない。色々と考えが浮かんでくる。

でも僕は月島さんを信じることにした。夢と関係があったのは、確実に月島さんなのだから。

そんなくだらない結末なわけがない。相変わらずの楽観さで推理を導き出した所で僕も眠りについた。

今日はぐっすり寝れそうだ。




 翌朝。月島さんより少し早めに起きた僕は外に出る準備をしていた。月島さんが暫くここで暮らすのならば、何かと必要だろう。今日はそれを買いに行くことにした。なんせ、一人暮らしの男子の部屋には物が少なすぎる。

寝起きは苦手そうな月島さんは、意識が半分飛んだような状態で朝ご飯を食べていた。

何も掴んでいない箸を口まで運んでいたりする。月島さんのそういうのを見ると、少し安心した。


 まず向かったのは雑貨屋さんだ。やっぱりお皿とかは必要になってくる。

月島さんに選ばせたら、紙のお皿・百枚セットを持ってきた。遠慮なのか、天然なのかは分からないが思わず吹き出す。月島さんは少し困ったような顔をしていた。

紙のお皿は色々と問題があるので、普通の白いお皿を……ついでにコップとお箸も買ってから雑貨屋さんを出た。

本当はヘアピンだとかそういうのも買ってやりたいのだけれど月島さんは遠慮して断るだろう。僕が勝手に買うのも良いかもしれないが、僕はそういうセンスが皆無だ。

そもそも、ヘアピンなんて物をプレゼントして引かれないだろうか、という不安もある。

 服屋さんは大変だった。月島さんの遠慮と僕のぶつかり合いだ。さっきも言った通り、僕はそういうセンスを持ち合わせてないものだから、服を選ぶのに苦労した。

一時間の熟考の末、選び抜いた九着は、月島さんの遠慮により最終的に四着に収まった。

月島さんがほしいと言った服を買うことが僕の数少ない夢の一つになった。

 その後も、色んな所を周った。

 携帯屋さんでは久しぶりに大きな買い物をする。

月島さんが隣にいたら、遠慮の声がうるさそうだから外で待たしておいた。

幸いにも、月島さんはスマホの値段を知らなかったようなので何事も無くスマホを渡すことができた。

 そんなこんなで最後に布団を買いに行くことにした。どう考えても布団は必要だろう。当たり前だが、僕の部屋には布団が一つしかない。

共有するだとかいう浅ましい考えはもちろん僕には無かった。これから、僕が床で雑魚寝するっていうのも苦しいので、布団は早急に手に入れるべきだろう。なのだけれど……。


「こんなに種類があるんだ……」


僕は目の前にある布団の種類の数に目が飛び出そうになっていた。なにやら難しい単語で寝心地の良さをアピールしてくるポップには思わず騙されそうになる。


「月島さんはどれが良いと思う?」

「あの……さっきから思ってたんですけど、こんな所で私に話しかけて大丈夫なんですか?」

「え?」


月島さんが何故そのようなことを聞いてきたのかが分かったのは数十秒後のことだ。

僕以外の人から認知されていない月島さんに話しかけるということは、僕が虚空に向かって喋っているということになる。はたから見ればきっと僕は不審者だろう。

でも、まぁ、そんなことは気にならなかった。今後、会うこともないであろう人にどう思われようと構わない。

人と関わることを避けてきた僕は、いつの間にか他人のことがどうでもよくなっていた。


「大丈夫、大丈夫。他人にどう思われようと、僕はどうだっていいし」

「そ、それなら良いんですけど……」

「それで、月島さんはどれがいいと思う?」

「……私は床でも……」

「それはダメ! 体が痛むし、風邪もひくよ?」

「じゃ……じゃあ、一番安いので大丈夫です……」

「月島さんは遠慮しすぎだよ……。もっと、我儘言っていいんだよ?」

「でも……」

「ほら、この布団とか触ってみて?」

「っ──。い、いや……一番安いので……」


なんとか自分を抑えようと月島さんは口をつぐんだ。

それでもモフモフには逆らえないらしい。手がまだ布団の中だ。欲しいなら素直に言えばいいのに。


「本当にそれで良いの?」

「……ほ、ホントです……」

「毎晩このモフモフに囲まれて寝るの想像してみてよ」

「それは……ちょっといいかもですけど……でも……」

「なら、買ったらいいじゃん」

「でも……申し訳ないです……」

「僕はそういうの全然気にしないけどなぁ」

「…………」

「むしろ、買いたいっていうか……」

「……それって……ホントですか?」

「うん。ホント、ホント!」

「じゃ、じゃあ…………ちょっと……ほしいかな……なんて……」


消え入る声をなんとか耳で拾って、言葉を繋ぐ。意味を汲み取った瞬間に僕からは何故だか満面の笑みがこぼれた。テンションうなぎ上りだ。

月島さんが不思議そうな顔で僕を見てきた。その顔を見て、僕はちょっと恥ずかしくなる。

 少し高めの布団を買ってから、僕たちは帰路についた。

月島さんが布団を欲しいと言ってくれた時、月島さんは少し笑っていた。その顔が頭から離れない。

もっと月島さんの笑顔を見たい。そう思うのは自然なことだった。



僕は月島さんの笑顔を見るために夏休みの一週間を捧げた。


動物園でウサギを見たとき。

ちょっとだけ無理やり連れて行ったカラオケでしどろもどろながら、一緒に歌を歌ったとき。

コメディー映画を二人で見に行ったとき。

スカイツリーから東京の街を一望したとき。

アメ横で食べ歩きをしたとき。

家でふかふかの布団に寝っ転がったとき。

月島さんは笑ってくれた。その笑顔、全部が僕の頭に染みついている。


不思議だ。

僕は月島さんといるのが本当に楽しかった。僕はこの時間の為に今まで生きてきたんじゃないかと思う程だ。

僕は一人が好きだと思っていた。

でも、そんな訳なかったんだ。あれは結局、ただの強がりだった。

僕は月島さんとの時間がどうしてか、とても懐かしく感じた。この時間を失いたくない。

人の為だとかそういうことを考えたことが無かった僕が、初めて人の為に生きれる気がした。

たった一週間だけど、その一週間は僕の中で途轍とてつもなく大きいものだった。



 夏休みが終わり、バイト生活が再開した。これまでなら単色だった生活も、今なら色づいて見える。バイト先が楽しくなったわけじゃないけど、月島さんの為なら良いと思えるようになった。


 バイト終わり。僕は駅前の雑貨屋さんに寄った。ヘアピン売場の前で立ち止まる。別に僕が髪を伸ばしたいと思っただとか、そういうんじゃない。


月島さんにヘアピンを買おう。


前は、何だかんだで月島さんにヘアピンを買えずにいた。引かれるんじゃないか、とか言ってたけれど、アレは多分ただの言い訳に過ぎない。

プレゼントっていうのが恥ずかしいだけだった。

でも今なら大丈夫。たしかに恥ずかしいけど……僕の中で月島さんの喜ぶ顔が見たいという気持ちがまさった。

ヘアピン売場には相変わらず大量のヘアピンが置かれていた。じっと棚を見つめていると、店員から不審者を見るような目で見られた。これは早い所決めたほうが良さそうだ。

まず、あまり派手なのは良くないと聞いた。月島さんの容姿からしても着飾る必要は無いし、単純な形のものが良いのだろうか。

たっぷり数十分悩んだ末に決めたのは、本当に単純なただのアメピンだ。水色二本と赤一本。

これが気の利いたプレゼントなのかは分からない。きっと間違いに近いと思う。もっと女子のことを勉強してくればよかったと今更ながらに思った。


……月島さんは喜んでくれるだろうか。



アパートに帰ってからはずっと緊張しっぱなしだった。帰ってすぐに渡すつもりだったのにそれもできなかった。

勇気を振り絞って、やっと口を開けたのが寝る間際のことだ。


「あ、あのさ……」


電気を消そうとする月島さんを呼び止める。月島さんは素直に僕の方を向いた。赤く澄んだ瞳が僕の目に刺さる。


「えっと……月島さんに渡したいものがあって……」

「……渡したいもの……ですか?」

「うん……。大したものじゃないんだけど……」


そう言って僕は月島さんに小さく紙で包装されたアメピンを手渡した。

紙には柔らかく、花がプリントされている。

月島さんの小さくて華奢きゃしゃな手が包装されたアメピンを優しく受け取ってくれた。

月島さんは包装を丁寧にはがす。中を覗いた彼女はこれまででも一番の笑顔を僕に向けてくれた。そんなに大層なものでないから申し訳なく思いながらも、僕が幸せのような何かに包まれていくのが分かった。


「高杉君、ありがと!」


最高の笑顔でそう言う彼女を僕は一生忘れないだろう。

僕はあの瞬間に君を絶対守ることをはっきり、心の中に決めた。僕以外の誰からも見えていない不安定な君だけど、僕だけはいつでもどこにいても月島さんを見つけてやる。

僕の中の何かを変えてくれたあの笑顔から月島さんが特別に見えるようになった。

それは彼女が他の人と違って透明人間だからっていう、そういう話ではない。

なんというか……そこら辺にいる人たちと何も違わないはずなのに、無駄に意識させられたりだとか。

今だってそうだ。

月島さんはアメピンを髪につけて笑いかけているだけなのに胸が締まる。言葉に表せない感情が胸の奥から湧いて出てくる。思わず目を逸らした。


もう一度、月島さんの方を見る。アメピンは月島さんによく似合っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます