第32話 崩レユク夏ノ日

 蝉の鳴き声が降り注ぐグラウンドの脇でひたすらに矢を飛ばす。全身からは汗が滲み出た。矢の風を切る音だけが涼し気な感覚を俺に与えてくれる。



「おつかれ! とおちゃん」

「おう、ホントにお疲れだわ……」


部活がやっと終わって影の中に座り込んでいると、部活友達が声をかけてきた。この前、千円を借りた奴だ。コイツは元気そうだった。巷じゃ体力お化けだなんて呼ばれてるらしい。


「そういやさ。とおちゃん、山上の家に行ってるらしいじゃん?」

「なんでお前が知ってるんだよ……」

「結構、噂になってんだよ」

「そうなのか……」

「その感じだと、噂はホントらしいな。なんで、とおちゃんが山上の家に行ってるのかは知らねぇけど……もう、止めとけよ?」

「なんでだよ?」

「分かんないのか? 山上に絡んでてもろくなことにならないぞ? いじめの標的にされるだけだ。だから──」

「それがどうした?」

「いや……とおちゃんがいじめられることになるかもしれないんだぞ?」

「俺は山上さんの家に行きたい。皆、知らないんだよ。山上さんってすごい良い人なんだぞ? こんなの間違ってる」

「仕方ないだろ。いじめられてんだから、どうしようもねぇって。ほっとくのが一番だ。忠告はしたからな?」


そう言って友人は去っていった。

最近は山上さんとも楽しくやれているつもりだ。一緒にいたら山上さんはただの明るい女子高生。そんなだから、山上さんの現状を忘れていた。まだなにも解決なんてしてない。

俺は山上さんを守りたかった。あの笑顔をいつまでも見ていたい。まるで告白みたいだから、この言葉は胸の中に閉じ込めておくけれど。

とにかく、山上さんから離れるだなんて考えられなかった。山上さんと一緒にいれるなら、俺はいじめられてもかまわない。学校に居場所がなくなっても俺は平気だ。きっと山上さんがいる限り、俺は生きていける。

だから、俺は彼の、恐らく良心からであろう忠告をなかったことにした。




 そんなことが学校であった後、俺はいつも通り山上さんの家に行った。

結局、彼の忠告の前と後で、俺はほとんど変わらなかった。

だから、山上さんと、この一週間の話で笑い合うのも変わらなかった。校長先生の挨拶の最長記録が更新されたなんていうくだらない話でも俺たち二人は盛り上がった。

だから山上さんが唐突にあの話を始めた時、正直、俺は驚いていただろう。

それは山上さんの神妙な顔から始まった。山上さんのいつもとは違う様子に俺は変に緊張した。


「別にただ思っただけなんだけど……」


山上さんはそう前置きをする。それから一呼吸おいて山上さんは続けた。


「とおちゃんはどういうふうに死にたい?」


一瞬固まった。ビックリしたのだ。山上さんからネガティブな言葉はこれまで聞いたことが無かった。ましてやだなんて考えもしない。

いや……そうでもないか。なんせこの時期だ。俺たちは今、不安定だろう。言うならば俺たちは社会から浮遊している。そんな時だからこそ変に色々なことを考えてしまうのだ。そしてというのは紛れもなくその中に入っていた。誰だって寝る前に自分が死ぬときのことや死んだあとのことを考えて中々眠れない夜があったろう。

きっとそれと同じだ。そう思いたかった。特に深い意味がないことを信じたかった。だから俺は平然と答える。いつもの会話と同じノリで話す。


「そうだな〜、やっぱり老衰だな。できるなら最期まで病気にかからず、人生を全うしたいじゃん」

「そっか……。わたしは死にたいって思った時に死にたいな」


いつもより真面目な山上さんの声が耳に残る。どうかこれが言葉だけであってほしい。山上さんは続ける。


「死にたいのに生きるなんてわたしにはできない。周りの人に迷惑をかけてまで生きたいなんて思わないよ」

「でも……」


俺は思わず反論する。けれど、力がこもらない。変に俺が軽く言えることでは無いとすぐに分かった。

いつもクラスで楽しそうに笑っている奴がこういうことを言い出したら「はいはい病み期ね」で流せるだろう。

でも言っているのは山上さんだ。俺は山上さんのあの日々を知っている。影で震えていた山上さんを知っている。だから一つ一つの言葉が重みを持っていた。

適当な言葉で励ますのは違う気がしたのだ。山上さんは俺の言葉に止まりながらも、黙った俺を見て、また続けた。


「知ってる? 部屋にユリの花を敷き詰めたら死ぬんだって。光合成での二酸化炭素で酸欠になるらしいよ。わたしはそれがきれいだと思う」


きれいだと思ってしまった。でも、そんなのは物語の中だけで充分だ。死ぬのに美しいもなにもない。死んでしまった時点でもう、全てが終わってしまうんだ。

俺は山上さんから冗談らしさを感じられなかった。

窓際に置かれたユリが日に煌めく。

ちょっと不思議だったのは山上さんから暗い雰囲気を感じられなかったこと。話に合わず山上さんはおおらかだった。俺にはそれも分からなかった。窓から入ってきた日光が机の上で揺れている。


「一応、言っとくけどこれはただの話だからね。わたしが死にたいとか思ってるわけじゃないから」

「え、あぁうん……」

「じゃあ今度はとおちゃんのターンね。今週なんかあった?」

「あぁ、あれかな? 教室蜂乱入事件とか?」

「なにそれ、楽しそう」


それからはやっぱりいつも通りに喋っただけだった。結局、山上さんの様子が変だったのはあの時だけ。喋って、ゲームして、笑って、そうして時間が過ぎていった。

帰り際、山上さんが今後一週間は少なくとも用事があるから会えないと俺に伝えてきた。あまり深くは聞かなかったけれど、普段用事もない山上さんが一週間も用事があると言うのは少し不自然な気もした。


 日が暮れるのが遅くなった。まだ日も沈みきっておらず、地平線が赤く染まった頃に俺は家を出る。どこからか、ひぐらしが寂しげに鳴いていた。木も少ない都会のどこに蝉はいるのだろう。

紫がかった空は絵に描いたようなグラデーションを帯びている。雲一つない空に唯一泳ぐ魚がきれいに飛行機雲を作っていた。昔、誰かが飛行機雲って金魚についたままのフンみたいだなんて言ってたのを思い出す。少し暑い空気が残っている町を横切り、駅へと向かった。






 


 ここは水彩画のような部屋だなんてとおちゃんはわたしに言ってくれた。そんな部屋は今、深い藍色に染まっている。まるで深海みたいだ。

とおちゃんが帰ってからまた部屋の電気を消した。わたしは窓際の机の上に片手をそっと乗せて、机の横に立つ。


わたしは面倒くさい子です。ダメな子です。


そんなことを足りない頭でグルグル回す。机の上に置いていた手紙をぐしゃぐしゃにまとめる。それからゴミ箱に向かってそれを投げた。紙はゴミ箱には入らずに手前でポトリと落ちる。とおちゃんがこの手紙に気づいてくれたなら……。やっぱりわたしは面倒くさい子だ。








 マンションについた頃には流石に日も沈んで、街に街灯の光が浮かんでいた。

 マンションのドアを開けるなり、妹が「最近遅いね〜。どこ行ってるの?」と半分茶化したように聞いてくる。その様子が妙に鼻についた。無視してやろうと思ったが、うるさくなりそうなので、俺は「まぁ、色々」と流しておいた。こういうのはスルーがいいと相場が決まっている。

晩ごはんの肉じゃがを食べてから、俺はさっさと自分の部屋に向かった。自分の部屋といっても山上さんほどしっかりしたものじゃない。ふすま一枚で分けられた簡素で小さい部屋だ。

俺は好きな動画投稿者が動画を投稿していないのを確認すると適当なクラシックをBGMに小説を開いた。

その小説が生きる死ぬの話だったから、昼の山上さんの話を思い出す。あの時の山上さんはいつもの山上さんじゃなかった。山上さんはただの話だと言っていたけれど俺にはそう見えなかった。あの時の山上さんの表情が変に胸に引っかかっている。

一度、考えてしまえばもうそっちにしか脳がいかない。まるで小説が読めなくなったのでしおりを挟んでから本を閉じた。

クラシックは流したままにしてそっと目をつぶる。

山上さんにはなにがあったのかを聞いておくべきだったのかもしれない。今からでもラインで聞けるだろうが、なぜだか、俺には直接聞くべきことな気がした。

 意識が朦朧とする中で、クラシックに覆いかぶさって鳴る着信音が続いたことは覚えている。意識半分の状態で、内容は見ずに着信音を消してその日は直ぐに寝た。


 朝。起きたのは十時過ぎ頃だ。まだ起ききってない頭に昨日のことがよぎる。たしか昨日、寝る直前に通知が山のように来ていた。

スマホを開くとクラスグループから百件を超える通知がある。こんなのは初めてだ。これまではあっても二、三件だった。反射的にクラスグループを開く。

最初、目の前の画面がなにを表示しているのか理解できなかった。


画面上に無機質に並べられたメッセージ。


それらを見て、俺は変な震えが止まらなかった。


それら一つ一つが鋭利なナイフのような鋭さを持ち、俺に向かってくる。


頭が真っ白になった。



『みんな、山上の昔の話知ってる?』


始まりは唐突なメッセージだった。送り主は例のリーダ格の女子だ。この時は誰も反応しない。


『山上って中学の時に男をはべらかしてたんだって』

『それに、イージーライブに男はべらかしてる様子を投稿したらしいよ』


イージーライブっていうのは高校生の間で流行ってる動画投稿アプリのことだ。誰でも簡単に動画を投稿できることを売りにしていたと思う。

ここで誰かが続いた。


『私、心当たりある』

『最近、河江君がよく山上さんの家に行ってるの見たもん』

『きっと河江君のことも手にかけてるんだよ』

『マジで?』

『最低じゃん』

『でしょ? 死んじゃえばいいのに』


その後はただひたすらに山上さんへの悪口が連なる。

クラスの中ではおふざけキャラの男子が便乗した頃から、次々に悪口が飛ぶようになった。

その中には、昨日忠告をくれた彼もいた。

普段は真面目そうな図書委員の奴だって、牙をむいている。

『クズ』とか『死ね』、『消えろ』とか……。ほとんどクラスメート全員が山上さんに悪口をぶつけていた。その中に山上さんをかばう奴は一人もいない。

言葉はどんどんエスカレートしていく。山上さんに自殺を勧める言葉。死へのカウントダウンとかいうふざけたメッセージ。山上さんの自殺を煽る単語。

聞えてくる。

山上さんを皆で囲って、罵倒する声、それを煽る声、嘲るような笑い声。

山上さんの悲鳴。


視界が歪む。グニャリと変形した世界は俺を飲み込むようだった。鈍器で頭を殴られたようだ。真っ先に考えたのは山上さんのことだった。

悪夢な感覚のまま、俺は目の前のスマホと財布、薄い上着を手にとって勢いよく家を出た。途中、お母さんが「どうしたの?」と驚いたように聞いてきたので、「学校!」と答える。

限界まで足を回して駅に向かった。街行く人がみんな俺を見る。マンションの間を駆け、横断歩道を横切り、改札を突っ切った。電車が来るまで何度も山上さんに電話をかける。無機質な呼出音が続いては切れ、続いては切れを繰り返した。

電車に乗り込む。いつもより異様に遅く感じた電車の中で俺は山上さんにメッセージを送り続けた。画面の上に見える昨日までのやり取りが今の俺を冷静に見つめてくる。


届いてくれ。


そう願いながら「大丈夫?」とか「安心して」だとかいう言葉を飛ばし続けた。一向に既読がつかない。

拍動が体全体に響く。電車のゴトンゴトンという揺れも相まって緊張が高ぶる。

流れる変な汗。震える手。それでも文字を打ち続ける。

窓の外に流れる夏の東京。

つかない既読。それが嫌な想像を膨らませていく。

山上さんの最寄り駅に着いた。ここまでが嘘みたいに長い。まるで時間に閉じ込められたようだった。そんな時間の牢獄を突き破るように電車のドアから飛び出し、改札を抜け、街を走る。目に焼き付いた景色が視界を流れていく。

今は山上さんに会いたい。いつものような笑顔を見て安心したい。これが俺の早とちりであってほしかった。

山上さんは何も見てない。そんな事実であってほしかった。

そんなことを願いながらも一心不乱に走る。

山上さんの家の前に着いたときには息は無茶苦茶に乱れていた。滲み出る汗を拭い、呼吸を整える間もなくインターホンを押す。いつもの、山上さんより少し高い声が聞こえてきた。

山上さんのお母さんに昨日までのように来たことを言って直ぐに入れてもらう。どうやら山上さんのお母さんは今の事情を知らないようだった。いつもの表情で、いつもの挙動で俺を迎えてくれた。

俺は上手くできているかも分からないような愛想笑いをして、二階に向かう。

いつも通りのはずの階段が何故だか暗く見える。

昨日までと同じはずの廊下が長くなったように感じる。

そんな先にドアはあった。やっぱり『香奈の部屋』と書かれた看板がぶら下がっている。

俺は一度深呼吸を挟んでからドアノブに手を掛けた。

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