第28話 とおちゃんとかーちゃん

 桜は散りきらずに葉桜が目立つようになった頃。中学から高校という一段階変わった生活にも徐々に慣れ始めていた。

半分、強制的にやらされたクラス会長も今ではこの立ち位置に満足している。建じぃがいないのはやっぱり違和感があるけれどそのうちには慣れるだろう。

あいつはなんとかなっているだろうか。建じぃのことだから一人で縮こまったりしてないか不安だ。

 俺、河江通は順調に高校生活を送っていた。俺のクラスには特になにか問題があるわけでは無かったけれど、どうも山上さんという女子が気になった。誰とも喋らずにずっと机に突っ伏している。周りの人も山上さんには声をかけることなんてなくて、まるで空気の様な扱われ方だった。

別にそんな人は珍しくない。

それでも俺は彼女が気になった。俺が彼女と建じぃを勝手に重ねて見ていたからだと思う。彼女は建じぃと似ていた。

人と最低限の会話しかしないし、そんな最低限な会話の時は喋ることを怖がっている。学校が終われば直ぐに家へと帰っていく。

山上さんの行動を見ていたら建じぃのことを思い出してしまうのだ。

とは言え俺はなにかが出来る訳ではなかった。建じぃは幼馴染だからおせっかいを焼けたのだ。見知らぬ人が急に心を開くよう迫ってきたらキモいし怖いだろう。最後の勇気が中々出なくて、俺はただ傍観することしか出来なかった。

もしかしたら彼女は一人が好きなのかもしれない。そんなのは分かんないけれど。こんなのなんて結局ただの言い訳に過ぎないんだ。


 暫くは大した動きは無かった。事件が起きたのは中間テストの最終日のことだ。

テスト週間で休止になっていた部活が久々に出来ると舞い上がっていたせいか俺は教室に定期券の入った財布を忘れた。財布はなくても良いが定期がないのでは家に帰れない。

 階段を一段とばしで登り、廊下を小走りして教室の前に着く。勢いそのままに教室の後ろのドアを開けようとすると、中から声が聞こえてきた気がした。

耳をすます。やっぱり中に人がいる。どこか上ずったその声とそれに同調する声が聞こえた。嫌な予感がした。

後ろのドアを少し開けて中を覗く。

そこにはクラスの中心にいる女子、数人がいた。よくいうスクールカーストではトップの女子たちだ。俺は正直、休み時間に誰かの愚痴を大声で言う彼女たちがあまり好きではなかった。

その女子たちは一人の小柄な女子を取り囲んでいる。小柄な女子は山上さんだった。怯えているように見えた。

「キモいんだよ!」とリーダー格の女子の怒号が響く教室。「そうそう。前もさ〜」と同調する周りの女子。

外で練習している野球部の声がやけに遠く聞こえた。時間が止まったようだった。

なにが起こっているのか理解するまでには時間がかかった。信じたくなかったのかもしれない。それでもやはり間違いはなかった。

目の前のソレは明らかにいじめだ。

俺は出来ることならドアを勢いよく開けて「そんなことはやめろ!」と叫んでやりたかった。でも俺は動けない。いざいじめの現場に合えば、体は動かなかった。

子供のときに見たスーパーヒーローの様に俺はなれなかった。ただドアの外で静かにうずくまるだけだ。その後も山上さんを責め立てる声が聞こえてくる。


 


 どれくらい経っただろう。カーストトップの女子は満足したのか知らないが教室から出ていった。俺には気づかず反対方向へ歩いていく。俺はまた教室の中を見た。山上さん一人の状態なら俺だって中に入ってなにかを出来る気がした。

そっと覗いたその先で山上さんは座りこんでいる。聞こえてきたのは泣き声だ。あまりに悲しそうに泣くから俺は教室に入るのをためらってしまった。

俺には勇気がない。一回止まってしまっては入ることなど出来なかった。再びドアの外にしゃがみこむ。

何やってんだか……。

彼女を励ます自信が無い。山上さんは今にも割れそうで悲鳴を上げているガラスのようだった。俺が触れば彼女を壊してしまう気がして怖かったんだと思う。

そんな言い訳ばかりを並べながらずっとドアの前にいた。行く行かないで心が揺れているうちに校舎内は暗くなってきた。そろそろ完全下校時刻だ。結局山上さんに声をかけることが出来ないまま俺は部室に戻った。

 部室に帰るなり、「とおちゃんがサボりとは珍しいな」だなんて部員の皆が絡んできた。「どこ行ってたんだ?」と聞く彼らを「まぁ……」だなんて笑いながら済ませる。ほっぽらかしにされた鞄を少しまとめて帰ろうとしたところで気づいた。

定期券忘れた……。

なんのために教室行ったんだ。今からならまだ完全下校時刻には間に合うけど、行こうとは思わなかった。



「なぁちょっとお金貸してくれねぇか? 定期、教室に忘れてさ」

「まぁいいけど……。ほい、千円あったら足りるだろ。後で返せよ。トイチだからな」

「なんだそりゃ。ありがとな。じゃあまた明日」

「おう、明日はサボんなよ〜」


笑いながら部活の友人に送られる。俺も笑ったフリをしながら帰る。頭から山上さんの泣き声が離れなかった。家に帰ってからも何をするわけでもない。電気を消して影に隠れるように動かないままだ。もちろんろくに寝れたものじゃなかった。




 翌朝、睡眠不足の俺は重いまぶたと足を上げて学校に向かった。教室に着くと、そこはいつもと変わらない普通の教室だった。まるで昨日のことが嘘みたいだ。

昨日の野球の話で盛り上がる男子たち。ドラマの展開について推理しあう女子たち。平和な日々。

昨日、山上さんを責めていた女子たちも今は楽しそうに笑って愚痴を吐き出している。昨日のが夢だったらいいな。あるはずないのにそんなことを思った。

夢でないことを裏付けるかのように山上さんは来ない。いつもなら山上さんは始業の五分前には来ている。なのにもう始業の一分前だ。俺はヒヤッとした。もしかして山上さんは学校に来ないんじゃないか。

昨日の事件で山上さんが不登校になるのが怖かった。俺があの時行っていればなんて後悔するのだけは避けたい。自分勝手だけど俺はそう思ってしまう。

結論から言えば山上さんは来た。チャイムが鳴ると同時に教室に入ってきた。考えれば当たり前だ。昨日あんなことがあったのだからできるだけ教室にいたくないだろう。


「お〜い、会長聞こえてるか〜?」


皆が俺を見ている。どうしたんだろうか。

重要なことに気付いたのは、それから少し後だ。


「あっ、はい! 起立!」


勢いよく立ち上がってガタッと椅子が音をたてた。開始の号令は会長の仕事だ。

号令を終えてからまた窓際にいる山上さんの方を見る。今の山上さんを見るのは辛かった。建じぃが虐められているように見える。それでも好奇心とは違う何かが山上さんを見続けた。

山上さんは机の中に手を伸ばす。それから荷物を取り出そうとする。刹那、山上さんはガタンッと音をたてて机の中に何かを隠した。山上さんの顔は青ざめている。周りが気付いていない中、俺だけが気付いてしまった。


彼女の隠したというのは表紙にペンで乱雑に落書きが書かれたノートだ。


流石になにを書いているのかは分からなかったが悪口だというのは容易に想像がつく。

その証拠か、昨日かーちゃんを虐めていた女子たちは薄笑いしているようだった。


山上さんの顔は沈んでいた。涙をこらえているようにも思える。


気付かなければ良かった。俺は山上さんを見るのを辞めた。これ以上見ても良いことなんてないのだから。何もできないくせに色々と気付いてしまえば、罪悪感がつのるばかりだ。

彼女は建じぃとは違う。建じぃは……きっとこんなんじゃない。あぁ、もう無茶苦茶だ。


その後の時間はいつも通りだ。俺はこれまでの日々と同じように過ごした。

昼休みに山上さんがクラスからいなくなったのも、その間に女子たちが彼女の机の中を漁ってなにかしてたのも、戻ってきた彼女が五時間目に机の中を見て朝と同じように震えていたのも、帰るときに彼女が下駄箱に入れていた自分の靴を洗いに行ったのもなにも知らない。


 俺は部活に向かった。自分はアーチェリー部だった。変わっているからという理由で入ったのだが案外自分に合っていたらしく結構楽しめている。

ただ今日ばかりはダメだった。余計なことばかり考えて、矢が的とは全然違う方へ飛んでいく。友人に「どっか痛いのか?」なんて心配されたが「違う。別になんともない」と答えておいた。


家に帰ってからは何も出来なかった。罪悪感のような物が俺を蝕んでいった。夜になっても電気なんてつけないで闇に溶けていく。


そんな日々が続いた。山上さんは相変わらずだった。最初は中心の女子だけだったのに陰湿な空気はクラス全体に蔓延していく。山上さんに話しかけちゃダメ、山上さんを守るのはダメ。その内に男子も調子に乗り始めて加担していく。注意する人なんているわけがなかった。

それでも学校に来ているのが俺の救いだったかもしれない。現状を止めなくても彼女は大丈夫なんだと思いたかった。不登校になってしまえば、いよいよそんな言い訳は出来ない。彼女が来ているうちは安心できた。

見て見ぬふりが一番悪いとはよく言ったものだ。そんな言葉を思い出すたびに胸が痛くなる。時には逃げることも重要だ。成功は必ずしも立ち向かってばかりでは得られない。逃げるは恥だが役にたつ。そんな言い訳を唱えて俺は逃げていた。




 その日は案外早く来た。山上さんは学校に来なくなった。別に俺のせいじゃない。他の奴らが悪い。俺はなにも知らない。

結局、山上さんが来なくなったからといって俺の中でなにかが変わったわけでもなかった。

クラスの皆もなにも変化がなかったように、いつも通りに暮らしている。それが無性に腹がたった。自分だってなにもしていない卑怯者だというのに。

誰かにぶつけなければ自分が壊れる気がしたんだと思う。俺も彼女を忘れたフリをした。なにも知らないような顔で生活した。罪悪感はとっくに俺を喰らい尽くしている。別に仕方ないじゃないか。どうせ無理なんだ。なんて変に自分を納得させた。自分が浮いてるみたいだった。




 山上さんが来なくなってから数日経っても、数週間経っても山上さんの席は空いたままだった。山上さんのいないクラスが普通になっている。

いや、本当は皆が気にしていたのかもしれない。ただ彼女に触れてはいけないという空気が流れていた。

俺はきっと怖かったんだと思う。ここで山上さんを守ればクラスから虐められるかもしれない。いや、きっとそうだろう。俺は山上さんのことを除けば今が楽しかった。

わざわざ今を捨てるようなことは俺には出来ない。地雷原に自ら足を踏み入れる気にはなれなかった。

ただ……山上さんのあの日の泣き声だけが頭で響くのだ。




 山上さんが来なくなって三週間が経つ。期末テストも近くなってきて休み時間にワークを解いている人がちらほら現れた。一週間前に梅雨入りしてからほとんど毎日、雨が降っている。こうも降られるとただでさえ沈んでいる心がさらに沈んでしまう。びしょ濡れの折りたたみ傘を雑に畳んでから教室に入った。

一時間目の授業は催眠術と評判な化学の授業だ。それぞれが寝たり、内職をしたりする中、俺は外の雨をただ見つめていた。雨は強くなってきている。




 雨の音を聞いていると下校時刻はあっという間に迫ってくる。

期末テスト前ということもあって部活も無いのでまっすぐ家に帰ることにした。

中央階段で四階の教室から一階へと降りる。一階に降りてから、階段の左右に続く廊下の奥の人影にふと目がついた。山上さんだ。彼女はそのまま保健室に入っていった。

「来ていたんだ」というのが最初の印象だ。てっきりずっと家にいるのかと思っていた。幸い、周りの人は山上さんには気付いていないようだ。

俺は自然に足が動いていた。中間テスト最終日のあの日、泣いている山上さんに俺は声をかけられなかった。そのことをどこかでずっと後悔している。あの時、声をかけておけば現状は何か変わったかもしれない。俺の時間はあの時から止まっていた。

今なら誰にも見つからずに山上さんに声をかけられる。傍から見れば俺はただ保健室に行くだけの生徒だ。クラスの誰かに俺が山上さんと接しようとしているのは知られたくなかった。

バレれば終わる。まだその怖さがあった。だから俺はなにもできなかったけれど、誰も見ていない今なら声をかけられる。チャンスは今しかないように感じた。声をかけることが罪滅ぼしになる。自分の心を少しは軽くさせられる気がした。

保健室に来たのは健康診断以来だ。周りに誰もいないことを確認して保健室のドアに耳をあてた。こんなの誰かに見られたら不審者だ。

どうやら保健室には保険の先生と山上さんの二人がいるようだった。「最近どう?」とか、「なにか困ったことある?」とかそんな話をしていた。流石に二人が話している中に突入は出来ない。

 カウンセリングのような会話が五分程続いた後、保険の先生は担任と話すから、と言って保健室を出た。

俺はなんとか保健室から廊下を挟んで反対側のトイレに隠れたので先生にバレずに済む。結構ヒヤッとした。保険の先生はうるさいという話をちまたで聞いたことがある。

保険の先生が歩いていったのを確認してトイレから出ようとしたとき、ガラガラッとドアが開いた。俺は反射的に身を隠す。保健室から出てきたのはもちろん山上さんだ。

丁寧にドアを閉めてから昇降口とは反対の方向へ歩いていった。どうやら裏門から帰るらしい。まぁこの状況じゃ正門からは帰りにくいだろう。

俺はなんとなく山上さんの後を追った。ここでなにもせずに帰ることは出来なかった。また後悔するのは嫌だ。行動しなきゃ何も変わらない。

なんて言いつつも山上さんに声をかけられないでいた。実際、なんて声をかけたらいいかが分からない。偶然を装うにしてもどうすればいいのだろう。

「今日はいい天気ですね」とか。いやマズい。どう考えても変質者だ。

「また明日な」っていうのを喋ったこともない山上さんに言うのは違う気がする。

なるべく会話は続けられるように、それでいて自然に、だなんて考える。

そうしたらいつの間にか駅に着いて電車に乗り、来たことのない駅で降りて、見たことない街の中まで来ていた。

遂にここまで来てしまった。これはもうなんと弁明しようとも第三者から見たらストーカー行為だ。こんな奥地まで来てしまうと声をかけるハードルは超えられないほど高くなっていた。絶対に喋りかけられない。

分かっているんだけど付いていってしまう。ここまで来たんだからという意地みたいなのが働いた。

それにチャンスといわれればチャンスだ。なんせ周りにはクラスメートどころか学校の奴らすらいない。どちらにせよ俺は後に引けなくなっていた。

山上さんは、車の往来もあり、ちゃんとした歩道も備え付けられている大通りから、白線の外側が歩道なんだと適当に決められた小道に曲がる。俺も少し遅れてそれに倣う。

後ろから山上さんって制服似合うよなぁ、なんてキモいような呑気なようなことを思っていると、背後に車の気配を感じた。思わず振り向く。ここは歩道と車道の境界が薄れた道だ。普通の人ならそうするだろう。それは無論、山上さんも同じだった。

俺が再び前に顔を向けたその時に山上さんと目が合ってしまった。思わず俺はしまった、という顔をする。車が通り過ぎていく。

落ち着け……。山上さんは俺がどこに住んでるかなんて知らないはずだ。だから今の状況になるのはなんら不思議じゃない。逆にこれはチャンスだろう。折角、山上さんが俺に気付いたんだから声をかけるしかない。

そうして俺は片手を顔のあたりまで挙げてから戸惑った顔のまま言った。


「よ、よっ……! 山上さん……」


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