第27話 見舞い

夜の街は冷たい。いつもそうという訳じゃないけど今日は冷たい。救急病院に搬送されたかーちゃんはすぐに診察室へと運ばれていった。

僕たちは診察室の外の椅子に座った。薬品の匂いが鼻を突く。とおちゃんと僕の間は静寂で埋まっていた。

とおちゃんは純粋にかーちゃんを待っている。ここまで来てもまだ僕はこれが夢だと信じた。手をつねって痛いのもきっと痛さすら感じる夢なのだ。

僕はどこかに逃げたかったのかもしれない。何も出来なかった自分を取り戻したいのかもしれない。僕は卑怯だった。全然今を見ていない。とおちゃんとはまるで違う。

カチッカチッと秒針の刻む音が響く。永遠にも感じる時間の中、僕たちは医者に呼ばれた。

細い顔立ちの医者はカルテのような紙をシャーペンのノック部分でトントンとしている。その音さえもスローモーションのように耳に響いた。

「急性ストレス障害です」と医者が説明するのを意識半分で聞く。

僕なら防げたはずだった。この三週間の間にかーちゃんにちゃんと声をかけていれば未来は変えられたのかもしれない。

居酒屋で出会ったあの店員はかーちゃんのなんだったのだろう。

考えてみれば僕にとってかーちゃんの知らない面があるのはなんら不思議ではなかった。まだ会ってから二カ月位しか経っていないのだから。

 その後も医者は色々と説明をしてくれていた。たしか、つらい経験がフラッシュバックして起きたみたいなことを言っていた気がする。

もない僕はそのままアパートに帰る事にした。「じゃあ」とだけ言って診察室の前でとおちゃんと別れる。

病院を出て、道路を走る耳障りな車の音を聞きながら一人で駅に向かった。周りの人との間に薄いカーテンを隔てたようだ。自分だけが孤立しているように感じる。それから電車に乗った。



駅に着いた。

道を歩いた。

おんぼろアパートに着いた。

かぐやがいた。


全てが無機質だ。壊れたゲーム画面のように見える。

僕は布団も敷かずにすぐに床に転がり込んだ。かぐやが心配そうな顔をしていた気がする。あんまり覚えていない。今日は疲れた。




 起きた。いつの間にか僕は布団の上で、僕には掛布団が掛けられていた。かぐやがしてくれたのだろうか。なんだか申し訳ない。

いつものように朝昼晩の三食を料理する。外からみれば僕はたいして何も変わっていないだろう。いつもより少し疲れているように見えるかもしれないが逆に言えばただそれだけだ。

僕は偽の僕を被っている。外と中は全くの別物だ。

僕はいつも通りを演じている。何も出来ない僕は現実から逃げようとしていた。

偽の自分は被り続けているとやがて本当の自分になる。今の僕は果たしてどっちが偽物なのだろうか。


 まだ暑苦しいスクランブル交差点を抜けて会社に入る。社内の空気は重い。別に驚きはしなかった。むしろ予想通りだ。

自分の席に向かう。当たり前のようにとおちゃんはいなかった。

きっと病院でかーちゃんの看病でもしているのだろう。僕はそっと椅子を引き、座る。

なんのためにここにいるんだろう?

そんなことを考えた。バカみたいだ。

手がすっかり止まっていると社長に呼ばれた。手が止まっていたのが駄目だったのだろうか。

僕はゆっくり立つと多部社長の方に向かった。多部社長は誰もいない会議室に入っていった。僕もそれにならう。


てっきり社長は僕に注意するんだと思っていた。でも予想は外れた。


「別に今日は来なくても良かったのに」


社長はそう言った。かーちゃんのところにいても良いんだよ? ということだろう。良心からなんだろうけど僕にはいたんだ。そんなことは無いだろうに僕は非難されている気がした。

思わず苦笑する。それしかできなかった。


「かーちゃんの件なんだけどね……」

「はい」

「昨日電話かかってきたじゃない?」

「そうですね」

「会社の電話って録音されるの。あっ、別に無断ってわけじゃないよ? ちゃんと最初に言ったんだけどね」


社長は急に、よく分からない話を始めた。それから聞いてもないのに謎の弁明をする。僕は社長が何を言いたいのか分からず、黙ったまま社長を見た。社長は続ける。


「それで昨日かかってきた電話の録音を聞こうかなと思って」

「良いんじゃないですか? 許可とってるなら問題ないと思います」

「それは分かってるよ。でも一人で聞くのはなんとなく怖いというか……」

「それでなんで僕なんですか?」

「なんでって……黄金世代の一人じゃん?」

「確かにそうですね。じゃあ聞きますか?」

「うん。じゃあ押すね」


そう言って社長はわざわざ会議室まで持ってきていたらしい固定電話の再生ボタンを押した。

カチッという乾いた音。ブラインドから射し込む光。そして静寂。独特の緊張感が背中をなぞった後に若い女の人の声が聞こえた。そっと耳を澄ます。


『はい、こちら多部広告代理店です』


社長の声だ。目の前に居る社長とは少し違う声色に聞こえた。機械を通して聞こえてくる声は本来とは少し違う物に感じる。

例えば自分の声をビデオなんかで聞いてみたら変な気分になるだろう。自分の声を真似している鏡の自分のように聞こえて気持ち悪い。いわば偽物の声。流れてきた社長の声もそんな気持ち悪さがあった。

電話の相手は黙ったままだ。鏡の社長は続ける。


『この電話はサービス向上の為、録音されますのでご了承ください』

『………………んで……』


社長にかぶせるように声が聞こえてきた。何を言っているか分からない声はどこか暗く沈んでいる。


『すいません、もう一度お願いします』

『山上香奈を呼んでください……』


背筋が凍るように感じた。その声は生気が無くてまるで地獄からの電話みたいだ。藁人形を打ち込む女の人の声というのはこんな感じなのだろう。

僕はただその声に圧倒された。自分よりはるかに小さいその声に飲み込まれた。

きっと社長もそうだったのだろう。その女の声から数泊置いて戸惑ったように社長は言った。


『……は、はい。少々お待ちください』


それからこの場に似つかない陽気な保留音が流れた。空気を読めない保留音は暫くループした後、突然切れた。まるで夢から一気に目が覚めたみたいだ。気持ちの悪い所で途切れた保留音は少しの間だけ僕の中で鳴り続けていた。


『はい、山上香奈です』

『もしもし、聞こえてる? 久しぶり~』

『どなたですか……?』

『あれ~、覚えてない? 私だよ私。高校の時にかわいがってあげたじゃん?』


相手は興奮したように言う。怖かった。実際に言葉が向けられていない、実際に直接聞いていない、僕ですら怖かった。

社長と話していたさっきまでの口調とはまるで違っていてそれも気持ち悪い。文字通り人が変わったみたいだ。かーちゃんはなにも答えないままだった。


『前はたまたま会ってびっくりしたよ。なんかすごい楽しそうだね? あの時の話覚えてないのかな〜?』

『あっ……えっ……』


かーちゃんは嗚咽おえつのような息を漏らす。


『私より幸せだなんて……私許さないから。私全部知ってるんだよ。あの時周りにいた三人もとっくに分かってるんだからね? 河江とは付き合ってるしさ~』


かーちゃんは過呼吸になっていく。ゴトリと響く鈍い音。かーちゃんが受話器を落としたのだろう。受話器の少し遠くから騒がしい音が聞こえてきた。僕たちがかーちゃんのところに走ってくる。それでも女は続けた。


『覚悟しててね。前は邪魔が入って好きにできなかったけど、今回は別だから。じゃあまた今度』


そうして電話は切れた。無機質な音が響く。電話を聴いて僕の中でなにも変わらなかったといえば嘘になる。

けれどもなにをするべきかが分からない。自分を責めるのが強まっただけだ。きっとこの電話の声の主はあの店員だろう。二人の間になにがあったかは知らないがなにかあるのに間違いはなかった。

この録音は僕がかーちゃんになにも出来なかった現実を突きつけてきた。

あまりに生々しかった。


「ごめんなさい」


社長は急に僕に謝ってきた。僕は訳が分からずにたじろぐ。社長はそんな僕に答えるように続けた。


「私が変な電話をかーちゃんに繋げたから……」


社長は責任を感じているようだった。僕には社長が悪いとは思えない。社長のせいなんかじゃない。これは僕のせいだ。僕はなんとなく未来が分かっていたくせに、大丈夫だろうとそのままかーちゃんになにもしなかった。

確かに繋げなけりゃ一応そこで途切れていたかもしれない。

けれど未来が分かってない限り普通は繋げる。それにもし社長があそこで止められていたとしてもどうせ別ルートでかーちゃんとあの店員はぶつかっていたはずだ。


「そんなの社長が繋げなくてもどうせこうなってます。社長は悪くないです」


バカみたいな言葉を社長に言う。全部知ったみたいな顔をして言う。こんな言葉になんの意味もない。辞書の例文くらい薄っぺらい文だ。

けれど社長は「ありがとう……」と呟やく。

相当参ってるみたいだった。俯いていて顔はよく見えないけれど泣いているようにも思えた。僕は社長から目を離し、なにもない壁を見つめる。

同じ部屋にいるというのに二人の間の空気は大分違っている。隣の社長がやっぱり僕はダメだということを痛感させた。


しばらく経った。車の音が遠く聞こえる。社長は顔を上げてから「うん」と納得したように頷く。


「変なことに突き合わせてごめんね。今のことは忘れて? じゃあ戻ろっか?」


社長は手を合わせると一人会議室からトコトコと出ていった。僕は静かな部屋に残る。それから片手で頭を掻いた。

忘れられるわけがない。

社長のまぶたは微かに腫れていた。

グッと涙を堪えていたのだろう。きっと社員の前でとか、社長にも色々あるんだと思う。

ただ僕にはとても、社長が忘れられなかった。あんな顔を見せられたら忘れることなんて出来ない。ふとドアの向こうから嗚咽が聞こえてきた気がした。僕にはやはりなにもできない。そこから動くこともできずにただ嗚咽を聞くばかりだった。




 三時半も回った頃、僕は仕事を切り上げて会社を出る。かーちゃんのところに行こうと思った。社長のあんな姿を見たらそう思うのは自然なのかもしれない。


 変わらない方向音痴で迷いながら、なんとか病院に辿り着いた。やっぱり初めての場所には弱い。ここは昨日とは別の病院だ。先生が紹介したらしかった。

ポツンと建っている建物が見えてくる。建物には東京臨海病院と書かれていた。どうやらここであっているらしい。

病院前のロータリーを抜けて院内に入る。受付で見舞人の手続きを済ませてからかーちゃんのいる病室に向かう。コツコツと響く自分の靴音には妙に緊張した。

かーちゃんの病室がある三階に着いた途端、足取りはゆっくりになった。さっきよりも足音が耳に響く。足が鉄のように重い。それでも病室には徐々に近づいていき、やがて病室のドアが目の前となった。

ゴクリと唾を飲む。意味も無く病室番号を何度も確認する。やっぱりここだ。地面が歪んで底に堕ちていくような感覚がした。変に心拍数が上がっていく。ドクドクと自分の体を流れる血液の音が聞こえてくる。長距離を走った後のように頭が浮く。この気持ちの悪い緊張は自分の中でどんどんと高まっていった。

それでもここで逃げるわけにはいかない、とドアノブに手をかける。半分その緊張のような感情に任せながらドアを引いた。勢いのついたドアはガコンと音を鳴らす。

病室には夕日が射し込んでいて、窓から見える空は終末じみていた。赤く染まった部屋には哀愁さが漂う。さっきまでの胸の高鳴りが嘘のように静かだった。

秒針の音だけが響くこの空間はまるで診察室の前で診断結果を待っていたあの時のようだ。

悲壮恋愛系ラノベの表紙のような風景に目を動かしているとふととおちゃんを見つけた。ベットの横に置かれた椅子に静かに座っている。椅子の横のベットにはかーちゃんが寝ている。とおちゃんは僕が入ってきたことに気付いていないようだった。

僕はさっきとは違ってすっかり落ち着いた心で病室に入った。それから無造作に置いてあった椅子を持ってとおちゃんの隣に行き、そこに座る。

途中、ガラス瓶に挿されたユリの花が目に入った。ほのかにユリの匂いが鼻に流れ込んできた。

とおちゃんは僕の方は見ずにそっと口を開く。どうやら、僕には気付いていたらしい。


「久しぶりだな」

「……そんなに空いてないよ」

「俺からしたら長かったんだ」


僕は答えない。言葉が頭に浮かんでこなかった。とおちゃんは続ける。


「俺とかっちゃんは高校から知り合ったんだ」


とおちゃんは昔を思い出すように話を切り出してきた。まるで独り言のように。

ユリの花は夕日に照らされて真っ赤に燃えていた。

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