第21話 変われたこと

「それじゃあ食べていきましょ〜。かんぱ〜い!」


かーちゃんが元気に合図をする。それに合わせて手を机の上で伸ばした。

僕とかぐやはお酒でなくソーダだ。まだ冷え切ってないソーダは微妙な弾けとヌメッとした甘さと共に喉を流れていった。

朝にかーちゃんが持ってきたらしい土鍋の中では沸騰する水の中で昆布が躍っている。そこに具材をどんどんと詰め込んでいった。

そろそろ出来上がりも近くなってきて、いい匂いも漂ってきた頃だ。


「はい、卵」

「おっ、かっちゃん。気が利く~」

「ちゃんと割れるの?」

「まかせろって。俺だって成長し……あっ……」


ひびを入れようと皿に打ち付けた卵はそのまま割れて、殻ごと皿の中で広がる。殻はかなり粉砕していてかなり悲惨な状況だ。とおちゃんの料理スキルは健在らしい。


「成長のの字もないじゃん」

「あ……卵を割るのなら得意です。見ててください」


かぐやは前と同じように卵に最小限の力を加えて、最高に芸術的な割り方を見せつける。殻の中にはやっぱり白身だけを残していた。


「す、すげぇ……」

「人間業……?」

「そ、そう言ってもらえると嬉しいです……」


かぐやはまんざらでもないような顔をしている。かぐやならドヤ顔だってかわいくて許せてしまう。


「とっちーも姫ちゃんを見習ってね!」

「いやいや、ハードルが高すぎるだろ」

「とりあえず、殻を取り除くから待ってて」

「感謝します、かっちゃん!」


五分ほどで殻は取り除き終わった。あの惨状だったのだから、随分と早かっただろう。僕なら諦めていたと思う。

殻を困った顔しながら取ってるかーちゃんはなんだか本当にお姉ちゃんみたいに見えた。


「はい、終わったよ」

「この恩、一生忘れません!」

「言ったな~」

「記憶だけは自信あるからまかせろ! じゃあいただきま~す。最初は豆腐で! ……って、あっつ‼」


そりゃそうだ。冷まさずに豆腐を食べたら熱いに決まっている。それでも口から豆腐を出さなかったのはとおちゃんの根性だろう。


 黒毛和牛はその知名度に恥じることない美味しさだった。次はいつ食べられるか分からない肉をゆっくりと味わった。

鍋をつつきながら他愛もない話をする。季節外れとは言えど鍋も案外良いものだ。

時々ケラケラと笑いながら食べるこの空間は僕が長らく感じていなかった幸せかもしれない。

とおちゃんが闇鍋を提案したこともあった。かーちゃんとかぐやが地味に乗り気なのでピンチかもしれない。なんだかんだで楽しそう、とか言うのだ。とおちゃんとかぐやがいる限りただの闇鍋じゃ済まないだろう。

 鍋に〆のうどんも入れ終えてほとんど食べきったという頃、かーちゃんがヒョコヒョコと芋焼酎の酒瓶を持ってきた。お酒のチョイスが二十一歳とは思えない。おっさんにもひけを取らない感性だ。

僕なんてもう芋焼酎の匂いだけでも酔いそうになる。それを誤魔化すようにグイッとソーダを飲んだ。もうすっかり冷えたソーダは絶妙な甘さで喉を流れていく。

かーちゃんといえど流石は芋焼酎、三杯ほど飲んだあたりで酔い始めていた。顔がほんのり赤く染まってきている。呂律も随分と怪しい。傍から見たら酔ってる一択だ。

しかし酔っぱらいというのは、どうも、まだまだ飲めると思ってしまうらしい。かーちゃんは結局、五杯は飲んでいた。

かーちゃんの頭の上では星が頼りなく回っているようだ。フワフワとした雰囲気にはどことなくかわいさがうかがえる。


「とっち〜〜……」

「ん? どした?」

「ん〜〜……」


かーちゃんはとおちゃんの肩に頭を乗せる。ほにゅりと柔らかくなったかーちゃんは、とおちゃんにジトッと甘えている。

今のかーちゃんは僕らより一センチくらい浮いてるように感じた。


「大丈夫か? ちょっと寝るか?」

「ん〜、……」


とおちゃんは自分の膝をトントンと叩く。膝なら貸すぞということらしい。時々、こういうことがあるのか、とおちゃんは扱いに慣れているようだった。

かーちゃんは素直に頭をとおちゃんの膝の上に落とす。さっきまでのお姉ちゃんらしさはどこへやら、まるで赤ちゃんのようだった。

顔の火照ほてっているかーちゃんはすぐに小さく寝息を立て始めてしまった。


「なんかごめんな。かっちゃんも寝たことだし、そろそろ片付けてとするか」

「かーちゃん寝ちゃったのどうするの?」

「そうだな〜。おんぶするなりしたらいけるだろ」


おんぶは絶対大変だ。いや、案外いけるのか。僕だってかぐやをおんぶすることはできた。とおちゃんなら体力もあるし、問題は無いのかもしれない。

でももう遅いし、とおちゃんだって疲れただろう。子供っぽいけどお泊り会みたいで楽しそう、なんて思ったりもするのだ。


「かぐや」

「はい」

「とおちゃん達、ここに泊めても良いかな?」

「良いんじゃないですか? その……帰るのきっと大変ですし」

「そういうことだしとおちゃん泊まってくか?」

「……急だけど大丈夫なのか?」

「急に『彼女見る』とか言って、家に乗り込んでくる人がする心配じゃないよ」

「か、彼女……」

「え? あ! 彼女っていうのはとおちゃんが勝手に勘違いしただけで……」

「は、はい……。そうですよね……」


かぐやは咄嗟とっさに目を逸らして口を尖らせたようにして言った。やっぱりかぐやの様子がちょっとだけおかしい。前よりもずっと繊細になっている気がする。

そんなかぐやを見ているとこっちまで恥ずかしくなってきた。僕はやっぱり、いつも通りに話を逸らした。


 とおちゃんたちは泊まっていくことになった。とおちゃんに洗い物をさせるのは怖いので彼には居間で待ってもらった。

一通り洗い物も終わって、居間に帰ってみればとおちゃんはもうすっかり寝ていて当分起きそうにはなかった。

とおちゃんとかーちゃんの二人を僕の布団に移してからは、僕らも寝ようということになり、かぐやは布団の中に、僕は壁にもたれたまま電気を消した。

しばらくは本当に静かで夫婦カップル二人の寝息だけが聞こえてくる。そんな様子だったからかぐやも寝てしまったのだと思ったけれど、いくらか経った頃にかぐやはそっと、寝ている二人を起こさないように小さい声で言った。


「私は……ちょっとだけ前に進むことが出来ましたかね?」


僕はそれにはすぐ答えずに少しだけ考える。

かぐやは僕の思ってた以上に前に進んだ。僕はかぐやが二言や三言だけでも二人に返せたのならそれでいいなんて思っていたのだ。

けれどかぐやは時々詰まりながらもちゃんと二人の目を見て話していた。かぐやは昨日よりもずっと前に進んでいた。

それこそ不安になる程だ。かぐやの様子がおかしいのは気のせいじゃないだろう。

考えてから、かぐやに答えてないことを思い出して言う。


「ちょっとどころじゃないよ。かぐやは随分と前に進んだ」

「そうですか。良かったです!」

「……あのさ。かぐや、いつもと様子違うけど……大丈夫?」

「そ、そうですか? 私はいつも通りです! 大丈夫ですよ?」

「その……変に僕に緊張してるっていうか……前より距離を取られてる気がして……」

「それは……えっと……建が……」

「え、僕?」

「やっぱりなんでもないです……」

「そっか……」

「……怒ってますか?」

「え?」

「私が上手く喋れなくなって怒ってますか?」

「そんなことないよ。ただ、かぐやが無理してないかなって」


かぐやはホッとしたように息をついてから、微笑むような優しい声で僕に言った。


「建はやっぱり優しいです」

「そんなことないよ……」

「そんなことあります! 私はホントに大丈夫ですから!」

「そっか……」

「そうだ、建は布団で寝なくて良いんですか?」

「僕の布団はとおちゃんたちに使われてるし……」

「その……私の布団なら……半分空いてますよ?」


かぐやは少し恥ずかしさも乗せた声で言ってきた。そんな言い方をされたらこっちだって余計に恥ずかしくなる。

ただ、嬉しくもあった。やっぱりかぐやは変わっていない。照れくさくてなにも言えないままの僕はそっとかぐやの近くに行くと、ゆっくりと布団に入った。

この日は互いに背を向けたまま寝た。背中越しに聞こえてくるかぐやの寝息はいつもよりもずっと柔らかくて優しかった。

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