第二章 八月、君はそこにいた

第6話 名前

 月島さんの温もりを感じ続けてしばらくがたった。この温もりを感じ続けたいが、そういう訳にもいかないだろう。

温もりは感じるものの、やはり濡れた体は肌寒い。ジメジメした熱帯夜も少しの風に吹き飛ばされていくようだ。

それに、夜中の河川敷に長居はしたくない。街灯一つ無いこの場所は不気味だ。目の前で凶悪犯罪の一つや二つ起きていても不思議じゃないだろう。

ただ電車はとっくの昔に最終電車を迎えているはずだし、バスも同様。タクシーだってこんな時間になれば、捕まえるのは至難の業だ。

つまりは始発の電車が出るまでどこかで時間を潰すしかない。外は嫌だ。月島さんも嫌だろう。

安さとかで考えるとネットカフェが良いんじゃないかと思う。ホテルはかさむだろう。なによりこんな時間にチェックインできるのだろうか。まぁ休むのならネットカフェで十分だ。

精錬された静寂に押されて口を開くことに緊張しながらも、なんとか声を発した。


「あのさ、木造アパートに行くにも朝まで待たないとだから……ネカフェとか……行く?」

「ねかへ……ですか? 高杉君がそう言うなら行きますよ」


よく分からないというような表情をされた。

ネカフェを知らないのか? ネカフェって一般常識外だっけ?

ネカフェのとりあえずの説明をしてから、僕たちは真っ暗な河川敷を抜けて、街の灯が落ち着いた二子玉川へ向かった。

スマホの指示通りにネカフェの方へと足を進めていく。方向音痴も文明の利器に頼ればなんとかなったりするものだ。

月島さんから繋いできた手を繋いだままにして歩き、ネカフェに着いたのは二時半くらいだったか。

道中は僕の手から手汗が出ていないだろうか、などと緊張しっぱなしだった。

そういえば僕はこれまで女の人と手を繋いだことが無いという、無駄なことに気が付いてしまった。

店内に入ると僕はカウンターに居る男の人に声を掛けた。


「すいません。今から三時間で大丈夫でしょうか?」


カウンターの男の人は分かりやすく驚いた顔を僕の方に向けてきた。この時間の客がそんなに珍しいのだろうかと思ったが、どうもそう言う訳では無かったらしい。

少し考えれば当たり前だった。外で雨が降っていた訳でもないのに、びしょびしょに濡れた奴が目の前に立っているんだ。不審に思うのは当然だろう。

僕は少し恥ずかしい気分になった。

それと、重要なことも思い出す。


「あと、シャワーも追加で……」

「はい……大丈夫です……。お一人様でしょうか?」


そういや月島さんは僕以外からは見えないのだ。僕はその事実をすっかり忘れていた。

たこ焼きの時と状況は同じだ。でも、心境は大分軽くなった。前みたいに変なイライラが生まれるなんてことはない。


「高杉君、私はもう大丈夫なので気にせずに進めてください」

「あぁ、ごめんごめん。ありがとね」


僕は店員には聞こえないよう月島さんの耳元で囁く。「こちらこそありがとう」とでも言いたいのか月島さんは僕に目配せしてくる。

僕は月島さんの手を強く、でも優しく握り直すと、目線を店員の方へと向けた。


「一人でお願いします」

「分かりました。千百円になります」


安くて助かると思いつつ財布から千百円を取り出す。本来は二人なのだから詐欺をしている気分で申し訳なくもなるけれど、どうしようもない。ここで二人分払うのは向こうからしたら訳が分からないだろう。

あとで、チップと称して部屋にお金を置いていこうか。ネカフェでチップなんて聞いたこともないけど。

唯一の問題といえば狭い個室の中で月島さんと過ごすことだ。部屋以外のプランもあるのだがあいにくなことに全部埋まっていた。

ヘタレな僕には狭い個室で女子と二人きりなんて、ハードルの高すぎる状況だ。

それに月島さんは嫌がらないだろうか?

そんなことを思いながら千百円をカウンターに置いた。


部屋に向かう前に服を乾燥機で乾かしつつ、シャワー室でシャワーを浴びる。温かいシャワーが冷えた僕を生き返らせていった。

乾燥機で服が乾燥し終わるまでは、二人、バスタオルをそれぞれ体に巻いて待っていた。人生でこれ程、緊張した瞬間はない。できるだけ月島さんの方を見ないようにして、ひたすら壁を睨んでいた。


 そうして部屋に向かったのだが案の定、月島さんと二人で入るには狭かった。

ここからは自分との勝負だ。三時間何も考えないでいくことにする。

僕は緊張のあまり硬直していた。追い打ちのように月島さんは僕の肩に頭を乗せ、もたれかかってくる。月島さんの鼓動の音が感じられ、世界はそのリズムに支配されたようだった。

そんな世界だから月島さんの息遣いが嘘みたいに近く感じる。あんなに遠かった月島さんが今、隣にいるんだ。

そんなことを思えば自然と頬が緩む。きっと気持ち悪いだろう。


「あの……言わなきゃいけないことがあって……」


月島さんは唐突にそう切り出す。頭を肩に乗せながらも僕に目配せしてきた。僕は思わず目を逸らす。

今すぐ目の前の壁を突き破って避難したい。それくらい恥ずかしい。こういうのをと言うのだろうか?

月島さんはだいぶ変わった気がする。僕の知っている月島さんは肩に頭をのせたりなんてしない。なんだかんだ今の月島さんも良いと思えた。きっとこれがホントの月島さんなんだ。

月島さんは僕の肩に頭をのせたまま続ける。


「驚かないでください。私は、その……えっと……月から来たんです」


月島さんは控えめに言う。僕は思わず逸らしていた目を月島さんの方に向けた。月島さんの目は真っ直ぐ前を向いている。

驚かなかったと言えば嘘になる。月島さんは平然と爆弾発言を落としてきた。

それでも、僕は月島さんの言ってくれたことを「そんなバカな」と一蹴することなんて出来なかった。

言っているのは街中の普通の少女じゃない。

河川敷であれ程、泣き叫んだ少女だ。

死のうとしていた少女だ。

そんな娘が真面目な顔で……少し不安そうな顔で打ち明けてくれたことだった。

僕はオカルト話を信じない。FBIで宇宙人の解剖実験が行われただとか、そういう話はバカらしいと思う。もちろん、月面都市だって存在なんかしないはずだ。

でも……月島さんは「月から来た」と言った。僕は月島さんの為なら月面都市を信じたっていい気がした。月島さんのぶっとんだ話も真実にして良いと思えた。

そういえば、夢で見たあの景色も、まるで月から地球を見たみたいだったじゃないか。

それに月島さんが透明人間まがいな時点でこの世界ではもう何があってもおかしくない。多分、自分の中でSF耐性が付いたのだろう。

僕は気付けば口を開いていた。月島さんの秘密と比べれば、小さいことだけど、僕も僕の秘密を伝えた。


「実は月島さんを見つける数日前から『助けて、助けて、ここはどこ』って言われ続ける夢をみてさ。場所も月島さんを見つけた所だったんだ。今回だって、上野で別れてから月島さんの夢を見て……」

「なるほど……。それは不思議ですね……」


月島さんも不思議そうな顔をする。最近はなにかの映画に迷い込んでしまったみたいだ。まるでキツネにつままれたようだった。


「そうだ、あともう一個言いたいことがあって……。名前のことなんですけど……」


月島さんは一呼吸置いた。月島さんは緊張したような顔をする。そんな顔をされると僕もつられて緊張してしまう。

そういえば、夢ではかぐやという女の子が出てきていた。その事だろうか?


「ホントは……かぐやっていいます。月島皐月は嘘の名前で……。十六歳で月では皇女でした」


ということはやっぱり夢の女の子は月島さんだったんだ。

自分の中でカチリと話がつながる。別段びっくりはしなかった。今更、こんなことで驚かない。ちょっと強くなったと思う。予想もついてた。

ただ、三週間近く月島さんって呼んでたから間違えそうだ。

あと、なんだか不思議キャラで売っているアイドルの自己紹介みたいだった。でも、事実なんだろうから仕方ない。別に不思議キャラのアイドルが悪いとは言っていない。面白くていいと思う。


「偽名を言ってすいませんでした。最初会った時は月の人だと思ってて……ごめんなさい」


狭い部屋の中で月島さん……いやかぐやさんは頭を下げる。

別に謝らなくてもいいのに……。

月で何があったのかは僕だって多分知っている。月でのことなんて思い出させたくない。

もう月……かぐやさんの辛い顔なんて見たくなかった。


「大丈夫、大丈夫! 月島さん? は悪くないから」

「ありがとです」

「じゃあ何て呼んだら……。姫君とか慣れてていいかな」

「恥ずかしいです。普通にかぐやと呼んでください」

「わかったよ、かぐやさん」

「なんだかよそよそしさを感じます。かぐやと呼んでください」

「か……かぐ……や」


女子免疫が無い僕に呼び捨てはキツイ。免疫が付くまで呼ぶのに戸惑いそうだ。

そもそも、付けしても名前を呼ぶことにすらドキドキしたりする。呼び捨てなんて最初からハードルが高すぎるだろう。

という文句は胸の中にしまっておこう。スパルタ方式とでも考えればいい。


「ありがとうございます。高杉君っていうのもアレなので……建と呼ばせてください」


かぐやはにこりと笑ってこちらを見てくる。もちろん僕は目を逸らした。

女子から名前呼びされるのも恥ずかしい。たぶん僕は重症なんだろう。

戸惑いの波は最高潮だ。耳が熱い。変に緊張して心臓が激しく動く。

というかなんでかぐやはそんな平気なんだ。


「それで……私が月から地球に来た理由なんですけど……」


笑っていたかぐやが、今度は泣きそうな顔になりながらポツリと言葉を吐いた。僕は多分、その全部を知っている。夢で見たことはかぐやの過去だった。


かぐやは父である国王殺しの濡れ衣を着せられて、地球に降ろされた。


僕はそのことを間違いのない事実だと知っている。僕の中で適当に作られた話とかじゃない。

それを知っている以上、かぐやの口からそのことを聞く必要なんてなかった。そんなことをしても、かぐやが無駄に傷つくだけだ。

かぐやに過去は思い出させたくない。かぐやには過去のことなんて忘れるくらい、今を楽しんでほしい。

だから僕はかぐやの言葉を遮った。


「かぐや……。大丈夫。言わなくても大丈夫。きっと辛いだろうし……」

「でも……」

「……かぐやの過去がどんなでも、僕は……かぐやのことを嫌いになんてなったりしない。無理に過去を思い出す必要なんてないよ?」

「……ありがと……建」


かぐやは泣きながら笑った。

僕はズルい奴だ。かぐやの過去を知っている癖に、知らないふりをして、良い人ぶった。僕が本当にかぐやの過去を知らなかったとして、僕は同じことを言えただろうか。

不安になる時点で僕はダメな人間だ。今の僕にはこうすることしかできない。これ以上に気の利いた言葉は僕の中では見当たらなかった。




「それで……建は月から来たっていう私のぶっ飛んだ話を信じるのですか?」

「うん。……か……ぐやが嘘ついてるとは思えないし」

「詰まりすぎです。名前呼ぶだけですよ?」

「それが難しいんだよ!」

「変わった人です」


かぐやはまた笑う。人のツボって分からない。

あと、変わってなんかない。女子の名前を呼び捨てなんて八割の男子が恥ずかしいんじゃないだろうか。知らないけれど。

僕の見る世界だから結構上乗せされているかもしれない。でも半分以上はいると思う。

『かぐや』と照れずに言うなんて、女子と事務的な会話しかしたことない僕には中々厳しい。事実、今も会話してるだけで心拍数が目に見えて上がっていっている。そろそろ心臓の限界も近そうだ。

そして何より、その心拍数増加がかぐやに伝わっていっているかもしれないということが更に拍動を激しくさせる。どうやら負のスパイラルにはまってしまったらしい。


「普通に呼ぶのは時間かかるかも……」

「別に大丈夫です。徐々に慣れてもらえれば……」

「はい」

「あと……信じてもらえて嬉しいです。その……信じてもらえないって思ってたから。これからもよろしくお願いします!」

「こちらこそ。それにしても……何で僕以外からは見えてないんだろ?」


ふと疑問に思ったことを口にした。

実際目の前でそれが起こっているとはいえ、あまりに非現実的すぎて中々信じられない。バカな僕には理屈がさっぱり分からなかった。

世界七不思議をも凌駕する不思議さだと思う。世界七不思議は一個も知らないが。どうせ宇宙人とかなんとかだろう。


「私、なんとなく分かります」

「えっ!? ホントに?」


予想外の返しに驚く。答えがほしくて言った訳じゃなかった。良い裏切りだ。

推理小説で探偵が自分の推理を言って鮮やかに事件を解決する直前のような気持ち。

あの早くページをめくって結末を知りたいという焦り。答えを求めて心臓が高鳴る、夏の草木も眠る丑三つ時だった。

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