第5話 まかし、まかされ、まかしあう

「こういうときの大丈夫は大丈夫じゃないんだよ。とりあえず話そう?」

 

僕は月島さんの両肩を掴んで真っ直ぐに見つめこう言った。

月島さんは少しの間、間の抜けたような表情をしていたが再び寂しげな顔に変わっていった。困っているようにも見えた。

 

「でも……」

「ダメ?」

「……ちょっとだけなら」

「よかった。……僕さ、月島さんとの時間が好きなんだ」

「…………」

「僕は昨日までみたいに月島さんと一緒に暮らしたい」

 

月島さんは下を見たまま動かない。手をモジモジと動かす。僕には月島さんの顔が見えなかった。

しばらく何もない時間が流れる。突然月島さんの声がこの果てしなく感じる草むらに響いた。

 

「もう無理ですよ。私と一緒にいたらダメなんです。あの日々は私の甘えです。ごめんなさい」

「そんなこと……。僕は何があっても──」

「私は高杉君に何かあったら嫌です。もうこれ以上、大切な人を失いたくなんてない……」

 

月島さんは時々手で涙を拭きながら震えている。

月島さんがトントンと言葉を吐き出す。

月島さんの自己嫌悪は空気を介して僕にまで伝わってくる。それは僕の想いを一層強くした。

 

「僕だって月島さんを失いたくない。ここで手を離したら月島さんは消えてしまうような気がして怖いんだよ。月島さんは優しくて、柔らかくて、性格なんて僕にはもったいないくらい良くて、それでいて強くて……」

「違います!」

 

月島さんが遮ってきた。月島さんは続ける。

自分の言葉に我慢するように。

振り絞るように。

バカみたいに震えながら。

 

「私はそんなじゃないです! 高杉君は私を知らないんです……。高杉君だって私のせいで死んじゃうかもしれないんですよ? 私はとんでもない人殺しです。父を殺したんです。昔からの友達を殺したんです。私はそんな人間なんです。だから、だから……」

 

月島さんは小指の指輪を大事そうに触る。

月島さんの声は次第に小さく弱々しくなっていった。そして最後には蚊の羽音程にも小さい音で呟いてくる。

それでも僕の耳にはハッキリと月島さんの言葉が流れ込んできた。

寡黙だった月島さんの言葉一つ一つが重みを持っている。その重みは僕にずっしりとのしかかった。

 

「違う。違うよ、月島さん。月島さんは誰も殺してなんか……」

「…………高杉君は私のことを軽蔑したりだとかしないんですか……?」

「するわけ無い。月島さんが殺人犯とかじゃないって僕は知ってる」

「でも……でも私がいなかったら皆は生きてた。あの優しい毎日は壊れなかったんですよ?」

「だからって……」

「最期くらい誰かを助けたいんです。もう私は死ぬまでずっと独りだと思ってました。そんな時に高杉君は来てくれた。ホントに……ホントにありがとうございました。最後にちゃんとお礼が言えて良かったです」

 

月島さんは瞳に涙を溜めて無理に作ったような笑顔でこっちを向く。夏のジメジメした空気に消えいってしまいそうな程に空虚感に満ちているようだった。

 

「あれ、おかしいな……。悲しくなんてないんだよ? これで良いんだよ? なのにね……」

 

月島さんは震えている。月島さんの頬に涙がつたう。もう止まらなかった。一度流れ始めた涙はどんどん激しくなっていく。

静かな月島さんはもういない。河川敷に月島さんの乾いた嗚咽が広がる。

涙が流れている顔で月島さんはまだ無理に笑いかけてくる。

月島さんの涙は僕の言葉を砕いた。言葉が喉から出てこない。

 

その瞬間だった。

 

月島さんは僕の手を振りほどき、勢いよく川の方に走った。僕は驚き一瞬固まる。それからすかさず月島さんを追いかけた。

前から川に飛び込む音が聞こえる。

何やってんだよ。

この状況で川に飛び込むことが意味するのはただ一つだった。

このまま死なせなんてしない。世界に悲しみを残したまま死ぬなんて絶対にさせない。

石につまずきそうになりながらも走る。そのままの勢いで川に飛び込んだ。目の前を包み込む泡。しばらくの無音の後に音を立てて水面に浮かび上がった。

すぐに周囲を見渡す。夜の川の水は怖いくらいに黒い。まるで底が無いみたいで吸い込まれそうだ。

前方数メートルに何かが浮かんでいる影が見えた。必死にそこまで泳ぐ。それから急いで月島さんを引き上げた。

僕が月島さんの手を握ると月島さんも諦めたらしく、抵抗することも無しに付いてきた。

足が地面に着くと一気に安堵が押しかかってくる。二人でゲホゲホとせき込む。

夏とは言えど、びしょぬれは冷えた。

拍動が頭に響く。

しばらくは何も考えられなかった。

ふと横を見れば呆然とした月島さんがへたり込んでいる。

 

「何で……何で……」

「月島さん……」

「何で助けるんですか!! 高杉君はおかしいですよ! 私は殺人犯だって言っても、目の前で死のうとしても、嫌ってくれないなんておかしいですよ!!」

「僕は月島さんに生きててほしい。だから……」

「……どうしてくれるんですか! 死ななきゃいけない私に生きたいって思わせてどうするんですか!!」

「だったら……」

「私には死ぬしかないんです。そうじゃなきゃ……高杉君が……」

「……」

「嫌いです……。嫌いです、嫌いです! 高杉君も、こんな世界も、自分も大っ嫌いです!!」

「…………」

「私がいなくなれば高杉君は殺されずにすみます。私だって最後は誰かを救って終わりたい。高杉君さえも失ったら私にはもうなにも残りません……。きっと私が死ぬことがハッピーエンドなんです」

 

月島さんの言葉が胸に突き刺さる。胸が痛い、苦しい。何かがこみ上げてくる。

月島さんの言っていることは全部間違いだ。月島さんがいなくなったらなんの意味も無いじゃないか。

自己犠牲だとかバカげてる。そんなもの綺麗でもなんでもない。誰も幸せにならない。

ここで月島さんが死んだら僕は一生、自分を責め続けるだろう。月島さんだって良くなるかもしれない未来を捨てることになる。生きたい日々を潰すことになる。

なにより、月島さんが本気で、自分が死ねば僕を助けたことになると思ってるのに腹がたった。そんなのハッピーエンドでもなんでもない。

周りで起きたことを全て自分のせいにするのは愚行だ。そのせいで自分を壊していくだとかどうかしてる。

月島さんの優しさが月島さん自身を蝕んでいる。そんなのおかしいじゃないか。

いつの間にか目からは大粒の涙が流れていた。涙の理由は分からない。

そして乾いた声で叫んだ。河川敷のど真ん中で。月島さんの心に届くことを願って。

 

「何が……何がハッピーエンドだ! 月島さんが死んでもなにも解決しない! 月島さんが死んで僕が生きるなんて意味がない! 生きてる意味がない! もし僕が殺されても月島が生きてるならもうそれはそれで良いんだよ! 月島が生きたいなら生きればいいだろ?」

「それは……」

 

気付けば月島さんの肩を両手で抑えていた。月島さんは驚いたような顔をして目にはうっすらと涙を浮かべている。

僕も息を切らし、震えている。東京の街はそんな僕らを遠くから横目で見守っていた。

今の言葉は確かに月島さんに向けて言ったことだがそれだけでは無かった。これは過去の自分に向けての言葉でもあったような気がする。

月島さんと出会うまで、僕は毎日プログラムを組まれたかのように機械的に過ごしていた。そこに生きがいなんて物は無かった。

別に特別苦しい訳では無かったし多分、平均的な生活だったと思う。

でも特別楽しくも無かった。

同じ動きを繰り返すだけのつまらない日々にはもう飽きていたのだ。その内に生きる意味が分からなくなってきた。特に誇れる特技が無い僕は誰でも僕に変わることが出来て、それが怖かった。

そうしていつからか電車がホームに入ってくるのを凝視するようになった。

ホームセンターにいけば気付かない内に刃物コーナーや木炭売場にいるようになった。

ふとひもに目が行くようになった。

ふとベランダから下を覗くようになった。

ふと……死にたくなった。

モヤモヤとしながらも僕は毎日、動き続けていた。

 

そんな時に不思議な夢を見て、不思議な少女に出会ったのだ。それからは楽しかった。毎日が同じじゃなく、多種多様な日々を暮らすことが出来た。

どの電車に乗って二人で出掛けようか考えるようになった。

ホームセンターにいけば月島さんが喜びそうな物を探すようになった。

ふとイベントのポスターに目が行くようになった。

ふとベランダから二人で夜空を見上げるようになった。

幸せだった。そして今があるのだ。

 

月島さんが死んでしまえば、僕は生きる希望を失ってしまう。

月島さんを助けようとするのは言ってしまえば自分のエゴだった。今ここで月島さんを助けないと僕はもう立ち直れない。これが出来損ないの僕に与えられた最後のチャンスだ。

 

「僕は毎日が辛くなって死にたかった。けどそんな時に月島さんに出会えた。それから僕は生きる意味を見つけられたんだ。だから今度は月島さんの力になりたい。自分勝手だって分かってるけどそれでも良いから僕なりに月島さんを救いたいんだよ。だからさ月島さん、僕を信じてくれないかな?」

「…………高杉君はそれでも良いんですか? 今、この時の言葉が将来の自分を殺すことになるかもしれないんですよ?」

「それでもいい。その時はその時だ。まかせろって。これでも喧嘩は強いんだから!」

「ホント……ですか?」

 

少し嘘も交えつつ、僕は冗談っぽく言った。

月島さんは俯き、どもりながらも返事をしてくれる。なんだかいつもの月島さんに戻ったみたいだ。小さな声だったけど確かにその言葉は僕の中に響く。

 

「そもそも、月島さんのせいで皆が殺されたかなんて分かんないじゃん。これで僕が殺されなかったら、月島さんは誰も殺してない。オッケー?」

「は、はい……」

「じゃあ、そういうことな」

「…………私を置いてかないでくださいね?」

「もちろん! 絶対に月島さんを救って見せるから」

「じゃ、じゃあ、高杉君に私の人生、まかせました!」

 

今度は真っ直ぐな目で僕を見ながらはっきりと言ってきた。やっぱり月島さんはどこか変わったみたいだ。

朗らかに優しく笑う月島さんのその顔にはツーっと涙が流れている。月島さんは自分の頬に手を持っていき涙を拭きとる。何かが弾けたようだった。僕の知らない表情だ。

これから僕はこの娘を救う。もちろん月島さんのためでもあるけど、僕のためにも……。

この先、良い事も悪い事も含めて色々あるに違いない。そんな日々の第一歩として今日の事は心に刻まれた。

 

「まかされました」

 

僕は優しくそう言うと月島さんを引き寄せた。二人びちょびちょに濡れた服が肌にくっついて変な感じだ。こんなでも二人なら温かかった。

こっそり僕は涙を流す。今は只、月島さんの温もりを感じていたい。そんなある夏の日だ。

 

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