第4話 かぐやという少女

頼りない足取りで木造アパートに着いたのは九時前だった。

何も考えられなくて魂が抜けたように動く。玄関に入ると、そのまま倒れこんでしまった。視界が闇に包まれていく。そうして僕は眠りに落ちた。



  ✽



 目の前には草むらが広がっている。見たことのある景色。ここはどうやら多摩川二子橋公園らしい。ただ、どこか暗く青色じみた悲壮感の漂う景色だった。


「結局こうするしかないんだ……。私なんか邪魔でしかなくて……。分かってるから大丈夫……大丈夫なのに……後悔なんてしてないはずなのに……なんでこんなに涙が出てくるの? 私、ホントにダメ人間だよ……」


突然頭に響いてきた声は確かに月島さんの声だった。あの時の夢と同じだ。

心の声なのだろうか。いつもは聞かない悲痛な声が胸に刺さる。

いつの間にか目の前には顔が涙に濡れた月島さんが立っていた。


「違う! 月島さんはダメ人間なんかじゃ……」


月島さんに言葉を向けようとして、途中で止めた。上手く声が出せない。

今すぐにでも伝えたいのに。

目の前で月島さんが泣いているのになにも出来ない。

やっぱり僕は肝心な時に駄目なんだ。

月島さんの胸に黒い穴が広がり始める。まるでブラックホールのようだ。そのブラックホールは月島さんの全身へと広がっていくと、やがて月島さんを覆っていった。

風景の中に人型の影が浮かんでいるように見える。悪夢のようだった。

全てが悲しい景色だ。

僕は影へと吸い込まれそうになる。足に力を入れて必死に堪えたが、抵抗もむなしく失敗に終わった。

底の見えない闇の中を落ちていく。

変な浮遊感が続く中で意識は遠のいていった。



  ✽



「なんだここ……」


僕が目を覚ますと暗闇に一人浮いていた。足元に地面なんてないのに自分はしっかり立っている。気持ち悪さから虫唾が走る。不思議な感覚だ。

突然、暗闇にどこか懐かしげのある中国風の宮殿が現れる。近い感覚はVRだろうか。VRにしてはリアルすぎるが……。

一人の少女がズームインされていく。その少女は四歳ほどで、白毛が美しいウサギを左手に抱いている。ウサギの鋭く赤い目は僕の心にズブリと刺さった。

隣にはその父らしき人物も立っている。ここは何なのか。そんな疑問はよそに二人は喋り始めた。


「おっ! かぐや~。ウサギさんかい? かわいいね~」

「うんっ! ぴょん助って言うの」


その少女はかぐやというらしい。仲のいい家族の一コマのようだった。誰にでもあったろう普通の日常。

きっと僕にもああいう日はあった。いや、別に羨ましくはない。僕はもう終わったことだ。

ガタンと場面が切り替わる。


「ね~パパ~。空に青いのある~」

「かぐや、あれは『地球』というんだ」

「へ~。チキューきれいだね!」

「そうだね……」


五、六歳に成長したかぐやちゃんと白髪の増えた父が話している。二人が立っているベランダからは真っ青で美しい地球が見えている。

ここは地球じゃないらしい……。

とてもプラネタリウムとかそういう類のものには見えない。僕は外から地球を見たことがないから分かんないけれど妙なリアルさがあった。

じゃあどこなんだ?

そもそもこれは夢なのか?

夢にしてはあまりにも……。答えが出る間もなく再び場面が切り替わる。

中華を基調とした部屋が目に入る。他にも畳だったりレンガ造りの暖炉だったり様々な文化が入り混じっていた。

よく整頓された部屋という印象を受けた。部屋の隅には難しそうな分厚い本が何冊か重ねられている。そんな部屋のど真ん中に二人の男が立っていた。


「国王様。かぐや様に──」

「黙れ! 前にも言っただろ!」

「しかし……」

「……かぐやは幼くして母親を亡くしておる。ただでさえ不安定な子なんじゃ。これ以上、心配事を増やしてはならん。分かったなら下がれ!」


執務室らしい部屋でもう白髪が髪の大部分になったかぐやちゃんの父とその部下らしき人が話している。そして、その執務室の少し開いたドアから十四歳ほどになったかぐやちゃんが会話を聞いていた。


月島……さん? 月島さんなのか?

かぐやちゃんは月島さんにそっくりだった。

その証拠か、かぐやちゃんの左手小指には月島さんと同じ指輪がはめてある。

僕は混乱する。

かぐやちゃんは腰を落とし、かがんで泣いていた。悲壮な鳴き声は僕の胸の深いところに刺さりこむ。

そこで再び場面が変わった。


「お父さん! あの人は誰!? 心配事って何なの!」

「かぐや……。とりあえず落ち着け」

「あの人、前に私の部屋に忍び込んでた人だよ! その時だって、お父さんはあの人を庇って……。なんで? あんなの早く辞めさせてよ!」

「かぐや……。かぐやは知らない方がいいんだ」

「何なのそれ。そんなに私より部下の方が大事なんだ。何でお父さんみたいな人が私のお父さんなわけ!?」


執務室で泣きじゃくるかぐやちゃんと立ち尽くす彼女の父が映る。昔を思い出すようでちょっと辛い。僕は思わず目を背けた。

場面がまた変わる。

土の大通りの両脇には昔の日本らしい茅葺きの建物だったりが並んでいる。少し遠くにはさっきの中華風宮殿が見えた。

そんな道は人で溢れていた。道の真ん中は規制されていて入れないようで、所々で槍を持った兵隊が警備をしている。

ぽっかり空いた道の真ん中を向こうからなにかの隊列が歩いてきた。


「彼女が国王を殺したらしいわよ」

「まぁ物騒ね~」

「国王の娘らしいぜ」

「どんな神経してんだよ」

「これじゃぁ星吸いの刑も納得だな」


色んな声がささやかれる中、ボロボロになったかぐやちゃんが歩いてくる。

両手は紐で繋がれ、兜で顔も見えない兵士に引っ張られていた。周りには馬に乗ったやつもいる。

かぐやちゃんがとても小さく見えた。全てを抜かれたような顔はとても痛々しい。


なにも分からなかった。分かりたくなかった。これがホントの事実だとしたら……。こんなことって……。


と、いきなり僕は地球に落下し始めた。横を見るとかぐやちゃん、いや月島さんも一緒に落ちている。月島さんの目からあふれ出る涙が風に流されてはるか遠くに飛んでいく。

景色が不気味なほどに青い。

気持ちの悪い浮遊感、耳に響く風を切る音。

周りのすべてが自身の落下感覚を増大させる。

ふと地平線を見るとどこまでも果てしなく続く雲海が目に入った。雲海の隙間からは赤いような紫のような見たことのない太陽の光が煌めいている。

間もなく僕らは雲に突っ込んだ。周り全てが白に包まれ、落ちているという感覚だけが残る。

やがて数秒も経たずして視界がぼやけていく。

なんだ……これ……。

白から黒に変わっていく世界。

やがて真っ黒になった空間にはしばらくして何かが浮かんでくる。それは段々とはっきりとしてきて、遂には見慣れた天井てんじょうが現れた。

痛む頭が僕を現実へと引き戻していく。

視界は涙でぼやけている。どうやら夢だったらしい。でも只の夢なんかじゃない。


「月島さん……」


かぐやという娘は国王の子供で喧嘩もしたが毎日を平和に暮らしていたのだろう。

でもある日父である国王が死んだ。そして不幸はそれで終わらずにその子供は父を殺したとされて罰を受け地球に降ろされてきた。

そんなストーリー……。

そして恐らく、かぐやは月島さんの本名だ。僕はそう考えた。自然の摂理のように自分の中から湧き出てきた答えだ。僕はその答えを知っている気がする。

でも今はそんな事よりも大事な事がある。

部屋は昨日までの彩りを失ったかのように沈黙に沈んでいて寂寥感が漂っている。

その時、僕は気付いた。僕にはやっぱり月島さんが必要なんだと。長らく僕の人生には無かった生きがいが彼女によって作られていたのだと。

僕はやっと分かったんだ。月島さんに何をするべきなのか。

僕はバカだ。

上野公園での祭りのとき、彼女が離れていくのを見ていることしか出来なかった。

自分の過去ばかり恨んでいてはどうしようもない。それよりも今しなければならないことがある。僕は強い衝動に駆られ、アパートを飛び出した。


この三週間弱の間、月島さんは僕の中で本当に大きな存在になっていた。

特別な存在になっていた。

君がなによりも大切だ。

あの時間がずっとずっと好きだ。

こんな別れ方なんて嫌だよ。

一緒に居る時は居るのが当たり前になってしまって、その人の存在は薄れてしまう。ベタだけど目の前からいなくなって初めて気づくものがある。思い出すものがある。

そうじゃないか。

僕は月島さんを守りたいんだ。

あの最高の笑顔を見たいんだ。


自分勝手だっていう事も自覚している。

あの時何も言えずに月島さんを離してしまった僕は最低だ。

あの時もっとちゃんと追いかけていれば。

もっとちゃんと言葉に出来ていれば。

後悔だって山ほどある。

でもまだ間に合う。月島さんが手の届かないところに消えてしまった訳じゃない。

もう月島さんを離したりはしないから!


頭痛を振り切って、水天宮通りを走り抜ける。

他の人にぶつかりそうになりながら。

迷惑そうな顔をされながら。

不思議そうな顔をされながら。

それでも僕は走った。なんでなのかは分からない。ここで走ろうが歩こうがなにも変わらないだろう。それでも僕は足を回す。止まることなんて出来なかった。

感じたことのない焦りが吹き上がってくる。ほんの350メートルを全力で駆け抜けた。

目の前に目立つ大きな社が見えてきた。駅まであと少し。道際にある小さな入り口から水天宮前駅に入ると階段を滑り下り、改札を抜け、電車に乗り込んだ。



 二子玉川までの三十五分は普段より長く感じた。月島さんは多摩川二子橋公園に居るはずだ。何故だか分からないけれど僕はそれくらい夢を信じていた。

電車のドアが開くと、僕はとっさに走って河川敷へと向かう。腕時計はもう日をまたいで時を刻んでいる。

飲み会の帰りであろう人たちの間をすり抜けていく。

街の賑わいも遠ざかってきたころ、僕の目の前には広大な草むらが広がっていた。がむしゃらに草むらを進んでいく。十メートル程先に何かが光ったのが見えた。僕の目線はすぐにその光に吸い込まれる。


そこには月島さんがしゃがみこんでいた。


本当は抱きしめてやりたい。

もう会えない気がしていた。この世界からフッと消えてしまうかもしれないなんて思っていたんだ。

けど、目の前に月島さんはちゃんといる。それだけで良かった。

あぁ、僕ってダメだな。こんなんで泣きそうになるなんて。

まだだ。まだダメだ。

月島さんは今もずっと遠いところにいる。僕が引き戻さないと。僕はあの時と同じ様に優しく声を掛けた。


「月島さん、僕です、高杉建です。上野の時は本当にすみませんでした。月島さんの事全然考えてなくて……」


月島さんは純粋で優しくて気が利いて可愛くて、でも可哀想な少女だ。

僕は上野の時、月島さんのことを全然理解していなかった。もちろん今だって少ししか分かってないだろう。

でも僕は月島さんを助けたい。月島さんと一緒にいたい。それだけはハッキリした。これは僕の勝手な望みだ。

月島さんは驚いたような顔をしている。暫くポカンとしていたがすぐに寂しげな顔へと変わった。涙をグッと耐えている。月島さんは僕の知らない表情をよくする。


「高杉君は悪くないです。私はもう大丈夫ですから……」


月島さんは立ち上がるとどこかへ行こうとした。僕は月島さんの前へ回り込むと月島さんの両肩に手を起き彼女を止める。もう月島さんを離したりなどしない。


泣きそうな君をほっとくことなんてできない。


もう淋しい思いなんてさせない。力足らずかもしれないけど、なんににもならないかもだけれど……僕は月島さんの傍にいる。


「こういうときの大丈夫は大丈夫じゃないんだよ。とりあえず話そう?」


二人の間にはこの時期にしては珍しい、冷たい風が吹き抜けていった。

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