風の精霊
朝。自室のベッドの上で、いつものように目を覚ますと、目の前に人がいた。
正確には、ぼんやり光る小さな人型をしたものが、背を向けて俺の顎に腰掛けていた。
(ん……? 精霊さん……?)
目ぼけ眼で見つめる。
まだ視界がぼやけるため、まぶたを擦りたかったが、相手のほうは俺が目覚めたことに気づいている様子はない。
驚かせるのも忍びなく、瞬きを繰り返して、視界の回復を待つことにした。
次第に、その姿が露わになっていく。
座っている後姿で、察するに身長は5センチほど。
薄緑色の長髪。服は着ていないが、裸体を覆うように身体が仄かに光を放っている。背中には、トンボを髣髴させる半透明な1対の翅。
常に身に風を纏っているらしく、髪が緩やかに舞い上がっていた。
この状況――ついにそのときが来たらしい。
デッドさんは『そのうち』と言っていた。
俺自身も最近はそれらしき発光球を見ることがあったし、感情を共有することの感覚もわかるようになってきていた。
そろそろかな、と期待に胸を膨らませていたが、寝起きでとはいささか予想外だった。
最初にその存在を目視できたのは、北妖精の森林でのことだ。
そのときも、輪郭がどうにか判別できただけで、今ほどはっきりとは見えていない。
(精霊さん、こんな姿をしてたんだな……)
不覚にも、胸が熱くなるのを感じた。
思い起こされるのは、デラセルジオ大峡谷でのこと。最初から最後まで命を助けられた。
その後も、いろいろ助けられ、つい先日も、女魔族の魔法から守ってもらった。
こんな小さな身体で、懸命に守り続けてくれていたことを想うと、どうにも込み上げてくるものがある。
いつも感謝はしていたが、やはりその姿が目に見えるのと見えないのとでは大違いだった。
精霊さんは裸体であったが、性別は判別できなかった。
もともと、性別という概念自体がないのかもしれない。
ちらりと見える横顔も中性的で、幼い少年少女のどちらにも見えた。
そのせいか、かなり整った顔立ちだが、きれいよりも可愛いという表現がぴったりくる。
10分ほども狸寝入りを続けてみたが、精霊さんに気づく気配はない。
もうそろそろ起きる時間で、スマホのタイマー目覚まし音がなる頃だった。
PiPiPiPiPi――
静かな部屋に、抑えがちの電子音が鳴り響く。
精霊さんがどうするのか薄目で窺っていると、精霊さんは顎から翅を震わせて舞い上がり、ベット脇の机に降り立った。
そこにはスマホが置いてあり、断続的に電子音を奏でている。
精霊さんはその小さく細い腕を差し出し、目を閉じてなんらかの言葉を紡いでいた。
声は聞こえないが、唇が小刻みに動いている。
すると、小規模の風が舞い、スマホを10センチばかり横にスライドさせた。
なるほど、スマホの元の位置は、寝ている俺が手を伸ばしても、辛うじて届くか届かないかといったところ。
寝起きで手探りでは、なかなか目覚ましを止められないかもしれない。
なんというか、心憎いばかりの配慮だった。
気配りが細やか過ぎて、どちらかというと幼子を見守る母親の佇まいといったふうだったが、そんなことは気にしない。
「精霊さんっ!」
もう我慢できずにベッドから飛び起きて、精霊さんと真正面から向かい合った。
布団の上にきちんと膝を揃えて、正座する。
精霊さんはきょとんとしていて、左右を見回したり、背後を振り返ったりしていた。
なにやら小首を傾げている。
「いやいや、あなたのことですって」
他に誰もいないであろうこと何度も確認してから――精霊さんが恐る恐る自分の顔を指差していた。
「だから、そうですって。精霊さん」
途端に精霊さんは目にも留まらぬ速さで飛び立ち――カーテンに半身を隠して、不安げな表情でこちらを窺っていた。
どんなに動いても俺の視線が外れないことに、戸惑っているふうではある。
「あー、ごめんなさい。見えちゃってますから。以前から見えそうな気配はあったんだけど、今はそれはもうはっきりと」
精霊さんは、またもや恐る恐るといったふうに、カーテンの陰から手を出した。
手は丸められている。
「グー」
指2本。
「チョキ」
手のひら全開。
「パー」
ひゅっとカーテンに全身を隠す。
……なかなかにユニークな確認手段だね。
「脅かしちゃったかな。そんなつもりはなかったんだけど、ごめんなさい」
そう頭を下げると、精霊さんはカーテンから頭だけ出して、左右にふるふると振っていた。
「あらためて、俺は白木秋人。今までいろいろと感謝しきれないくらい、ありがとう。そして、できるならこれからもよろしく」
なるべく刺激しないように、にこやかに手を差し出すと、精霊さんはそろ~っとカーテンから出てきて、指先に触れるように握手に応じてくれた。
恥らう顔と仕草が、なんというか――萌える。ごめんなさい。
とてもあのレプラカーンの双子の前では見せられないだろう。なんと言われることやら。
精霊さんからは恥らいつつも、喜びの感情が伝わってきていた。
こちらまで思わず赤くなってしまう。
その後、いつまでも”精霊さん”では味気ないので、名前を付けて呼ばせてもらうことにした。
悩んだ末、考えついた名は『シルフィ』。
風の精霊シルフをちょっともじってみただけだったが、声に出してみると存外ぴったりで、精霊さん――もとい、シルフィもとても喜んでいるようだった。
かくして、俺の周りにまた新たな仲間が増えることになったのだった。
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