投獄されたので脱獄します 2

「……ぅわーぉ」


 あまりに唐突だったので、変な声が出た。


 ばたばたと泳ぐように、体勢を仰向けからうつぶせに移行すると、10メートルほど眼下にさっきまで横になっていたベッドが見下ろせる。

 普段見えないので、ついつい忘れがちになってしまうが、俺には頼りになる風の精霊のお友達がいたんだった。


 天窓も手の届く範囲にある。

 さすがに床から10メートルオーバーの位置にある窓まで、鉄格子はなかった。


 考えるより先に身体が動き、いそいそと窓から這い出て、尖塔の屋根部分に降り立つことができた。

 ……なにやら、あっさりと脱出できてしまったけど。


(さて、これからどうしよう?)


 尖塔の先端にある避雷針に身体を預けながら、遠く星空を望む。

 吹き荒ぶ風は強いが、これも風の精霊の加護らしく、たいして影響は受けない。


 選択肢はふたつある。

 つまりは、逃げるか否かの二択だ。


 騎士団長のカーティスは、確実に腹に一物を抱えているようだった。

 残れば、よからぬ事態に巻き込まれる心配がある。

 かといって、勝手に領主の城から逃げ出すのもまずいだろう。ただでさえ容疑者として囚われていたのだから、脱獄扱いになるかもしれない。


(う~ん……)


 ただそれでも。

 やはり目に見える脅威として、騎士団長の腹積もりがわからない今、この場に残るのは得策ではないかもしれない。

 仮に誤解が解けたとしても、投獄されている事実をフェブに伝えない可能性もある。

 今日はあっさり抜け出せても、明日からは見張りがつかないとも限らない。


(よし、決めた! 逃げよう。さっさと逃げよう)


 なるべくなら、厄介ごとは避けたくなるのが人情である。


 どちらにせよ、フェブが目覚めて釈明さえしてくれれば、お咎めはなしだろう。

 荷物も、あとで返してもらうといい――とまあ、若干ご都合主義ではあるが、自分を納得させておく。


 そうと決まれば即行動と、尖塔の屋根から地上を見下ろしたが――闇と同化して地表が見えない。


 この屋根の上からでは、地上まで約30メートルもの距離がある。

 飛び降りても、きっと精霊さんが魔法でサポートしてくれる……はず。

 ただ、地面は固い石畳。着地に失敗でもすれば、痛い程度では済まないだろう。


 もしもの場合を想像をすると、とても平静ではいられない。

 なにせ、気分はビルの屋上からの綱なしバンジーだ。

 落ちても大丈夫だからと太鼓判を押されても、飛べる者のほうが珍しいだろう。


(よし、無理!)


 早々に諦めて、城伝いに迂回することにした。

 城の上を歩く者など、建築業者か世界的な大怪盗くらいだ。

 警備の兵も巡回しているだろうが、頭上まで警戒しているとは考えづらい。


 まずは尖塔と城とを繋ぐ渡り廊下の屋根に降り、抜き足差し足でこそこそ移動する。

 精霊さんのおかげで身軽になっており、多少の段差があっても対応できる。

 足音がほとんど響かないのも精霊さんのおかげだろう。毎度頼りきりで面目ないが、もう感謝しかない。


 渡り廊下から、お次は城の屋根に乗り移る。

 屋根は傾斜がある上、苔で滑りやすい。ここで屋根から落ちでもしたら、目も当てられない。

 万一にも踏み外さないように、慎重を期して四つん這いになって進むことにした。


(大怪盗というより、これはヤモリかイモリの気分だなぁ……)


 猫ほど優雅だったらよかったんだけど。


 ぼやきつつも、一歩ずつ確実に歩を進める。

 もう少し行くと、近接する城壁に飛び移れそうだ。そこからなら、安全に地上に降りられるだろう。


 ただし、その手前で、ひとつだけ難関があった。

 進行ルート上の屋根からひさし付きの天窓が飛び出しており、そこから明かりが漏れている。


 今さら引き返して別ルートというわけにもいかない。

 進むのにリスクがあるのと同様、戻るのにもリスクはある。

 移動距離が長くなるだけに、むしろ戻るほうが余計にリスクは高いかもしれない。


 ここが覚悟の決めどきだろう。

 要は下に人がいたとしても、気づかれなければいいだけだ。


 息を潜めてにじり寄り、脇をこっそりとやり過ごそうとしたとき――天窓の下から聞き覚えのある声がした。


(これってもしかして……フェブ?)


 ちょっと女の子っぽい高い声は、フェブのものだった。


 天窓から目から上だけ覗かせて確認すると、真下のベッドで上半身を起こしたフェブの姿があった。

 あのときのような発作は見受けられず、体調も復帰したようで、どうやら元気そうだ。


「フェ――」


 驚かせないように小声で頭上から呼びかけようとして、部屋の隅に第三者がいるのに気づいて慌てて口を噤んだ。


 そこにいたのはひとりの男性で、鎧こそ纏っていないが、おそらくは騎士だろう。

 服の上からでもわかる鍛え上げられた肉体と独特の雰囲気から、そんな気がする。

 騎士といっても騎士団長のカーティスではない。

 背格好は似通っているが、壮年というよりは若い青年の騎士だった。


 ふたりは何事かを真剣な面持ちで話し合っており――俺は思わず天窓の陰に身を隠し、耳をそばだてていた。

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