エルフの郷で更ける夜

 正式な客人となった俺だったが、もう遅い時間とあって「説明は明日あらためて」ということになり、聖殿の客室に通された。


 客室といっても、質実な暮らしがモットーのエルフゆえか、室内は実に簡素なものだった。

 扉を開けると、木のうろを思わせる空間にテーブルと椅子が1脚だけ据えられており、壁からは木の枝で組まれたハンモックがぶら下がっている。

 他には特に調度品の類もなく、キャンプ場のロッジを思わせた。


 聖殿は巨大な樹木の集合体で、その内部にいるわけだから当然明り取りの窓もない。

 とはいえ、室内もまた精霊の力が働いているようで、昼間とほぼ変わらない明るさだった。

 閉じこもった空間で空気が澱みそうなものだが、むしろ緑の清々しさと緩やかな風の流れすら感じられるのも、どうやら精霊のおかげらしい。


 周囲が明るいせいもあって自覚していなかったのだが、スマホを確認すると時刻はもう21時を回っていた。

 それでも普段なら寝る時間には程遠いが、今日はいろいろあって心身ともに疲弊していただけに、気を抜くと一気に眠気に襲われそうだった。


「ふぃ~」


 重い息を吐いて椅子に腰を下ろすと、ここまで案内してきてくれたデッドさんが同じような息を吐いて、なぜかテーブルの上にどっかりと座り込んだ。


「うん? どうした、アキ? 変な顔して?」


「いえ、あの。デッドさんは戻らないでいいんですか? ここ、客室なんですよね? なんでかな、と」


「強いて言うと、暇つぶし? なー、アキ。なんかして遊ぼーぜ! どうせ戻ったって、毎度おなじみのディブロの小言が待ってんだろーしよ」


 デッドさんはお尻を軸に、テーブルの上で器用にくるくると回転していた。


「俺とこうしているほうが、後でもっと怒られそうですけど……」


「そっか?」


 平然と返してくる。


 正直、今すぐハンモックに身を投げ出して爆睡したい気分だったが、この場にデッドさんがいる以上は不可能に近い。

 なにせ、相手は永遠を生きるエルフ。一晩くらい寝ずに、平気でお喋りして過ごしそうな気がする。

 もとより、あの性格だけに、寝落ちを許してくれそうにないだろう。即座に叩き起こされる情景が目に浮かぶようだ。


 きちんと説明したら、こちらの体調を慮ってくれて……なんてことも甘い考えだろうね、やっぱり。


「あ、ちょっとその前に……」


 寝ることは半ば諦めて、手元のスマホを確認した。

 道中も不思議に感じてはいたのだが、どういう理屈なのか今日一日ずっとアンテナが立ったままなのである。

 依然として、今現在もここにも電波が届いている。


 ありがたいことには変わりがないので、現況報告も兼ねて、叔父の番号を呼び出すことにした。


 数回のコールの後、


『あーい、りおだよー』


 出たのはリオちゃんだった。

 すぐさま後ろのほうでリィズさんの声がして、リオちゃんの声が遠ざかっていった。


 苦笑して待つことしばし、今度こそ叔父が電話口に出た。


『おう、待たせたな、秋人か。どうだ、そっちは? 順調な旅路か?』


「さっきエルフの郷に着いて、衝撃を受けてたとこ。叔父さんも人が悪いや、教えてくれるとよかったのに」


『おまえ、女王ってのがアレだぞ? 言っても信じられるか? 俺ですら、ずっとなんかのギャグだと思ってたくらいだからな!』


 確かに。

 こうして目の当たりにした今でも、信じられない気はする。


『って、それはいいが秋人、もう着いたのか? まだ丸1日も経ってないだろ? あいつの案内があっても、そんなに早く到着できる距離じゃあなかったはずだが……』


「疾風丸が、車からジェット機にクラスアップ、っていうか、ロケットに進化しちゃった感じで……たはは」


『んん? よくわからん』


「それはまあ、帰ってからでもおいおいね」


 実際に現物を見せてみないことには理解しにくいだろう。

 さすがの叔父でも驚くに違いない。


「今話してるのって、セージか? あたいもあたいも!」


 耳聡く、デッドさんが詰め寄ってくる。

 電話口の向こうでは、遠くから『りおもー、りおもー』という声が聞こえてきている。

 同レベルか、5歳と485歳。


『それはそうと、春香のほうはどうなってる? 帰ってこないんだが、まだ街か? 今日は、例のパン屋の嬢ちゃんの家に泊まりなのか?』


「……あ」


 言われて思い出した。


 そういえば、昼前に店番を頼んでそれっきりだった。

 リコエッタのところに居てくれればいいが、妹の性格からして、律儀に店で待っていそうな気がする。


 きっと、夕方になっても戻ってこない俺に対し、「にいちゃんめ~」とカウンターで愚痴っていそうな。

 暗くなっても戻ってこない、お腹も空いて、日暮れ頃には無言でカウンターに突っ伏してそうな。

 この時間帯にもなると、カウンターに突っ伏したまま、にいちゃ――とダイイングメッセージでも書いていそうな。


 ――なんて、やけにリアルな情景が浮かぶ。


「ごめん、叔父さん。春香のこと、すっかり忘れてた! 迎え、頼めるかな?」


『なんだ、そうだったか。俺がもっと早くに気づいてやるとよかったな。任せとけ! ちょうど、新しい鎧一式が手に入ったところだったからよ! 面当てもあって、街での正体隠しの変装はばっちりだぜ! はっはっ!』


「ちなみに、どんな鎧?」


『戦国武者ふうだ』


 ごめん、春香。

 もう少ししたら、落ち武者みたいなのが来るけど、それ叔父だから。


 真夜中に訪問してくる鎧武者――ホラー以外の何物でもないだろう。

 後ほど、妹からの罰は甘んじて受けよう。


『それで、そっちの今後の予定はどうなってる? 依頼の内容は聞けたか?』


「今日はもう休んで、明日聞く予定。もっとも、休めるといいんだけど……」


 待ちきれない様子で、電話の順番待ちをしているデッドさんをちらりと見やる。


 と、そのとき。


 けたたましい音を立てて、客室の扉が開け放たれた。

 扉の向こうには、鼻息の荒いディラブローゼスさんの姿。

 ディラブローゼスさんは大股でずんずん部屋に押し入ると――テーブルの上に居座るデッドさんの首根っこを問答無用で掴み上げて、そのまま室外へと消えていってしまった。


 その間、約8秒。


『どうした、秋人?』


「いや……なんだか、休めるようになったみたい……あれ?」


 通話が切れていた。

 通話もそうだが、スマホがすべてオフラインになっている。


 それからしばらく待ってみても、通信が復帰することはなかった。


(まあ、いいか……くぅ~~~)


 思い出したような欠伸を噛み締め、ハンモックに横になる。


 ハンモックは初体験だが、意外に寝心地がいい。

 ゆらゆら揺れる感覚が、水に浮いているような安らかさで、癖になりそうだった。


 天井は木肌。樹木の建造物。エルフの聖殿。エルフの郷。エルフに精霊。

 思い返すと、今日だけでも、すごいファンタジックな体験をしたものだ。


 エルフが異様に蜂蜜好きだったり、エルフの女王の正体だったりは、意外すぎて別の意味で驚かされたが。


 明るい精霊の光に照らされながら、こんな明るいと寝にくいな――という考えの途中で、俺の意識は眠りに落ちていた。


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