第122話 おまえは誰だ
グルグルとクロワッサンのように捻れた幹が夜空へと伸びる。それが自然な姿でない事は、いまリアルタイムで、物凄い勢いで伸びて行く木々を見れば明らかだ。
森はドームを形作り、地上からの視界を遮っている。まるで見せたくない何かが、そこに存在しているかのように。夜目の利く魔人たちでさえ戸惑う暗さの無音の闇。何も聞こえない、誰の説明も受けられない状況でも、しかし彼らは理解した。ウッドマン・ジャックの意図を。
捻れた木の幹には爪がかかる。獣王ガルアムは小さなリスの如き身軽さで登った。この上にはイ=ルグ=ルが待っているはずだ。
森のドームには小さな出口がある。ならばこの方向にヌ=ルマナが居るに違いない。ドラクルはテレポートした。
現れたのは満天の星空の只中。まるで宇宙に漂っているような錯覚を起こしそうになる。見下ろせば家の残骸らしき物があるが、動く物の姿はない。だがそれは真実ではない。夜の王は目を閉じる。肌に感じる空気の振動。何かがぶつかり合っているのだ。
と、突然ドラクルの体が四散した。細かい断片にバラバラになったかと思うと、それらは皆、白いコウモリへと変化する。そして無数のコウモリの群れは星空を覆うと、地面を見つめた。人間の視界は支配出来るのだろう。ならば吸血鬼の視界も支配されるのかも知れない。だがコウモリの目まで操れるか。それは賭けであった。その賭けに、勝った。
コウモリの目は全裸のヌ=ルマナの姿と、ぎこちない動きで斬り結ぶジンライの姿、そして体に纏われる黒い鎧姿のリキキマを捉えた。その映像をプロミスの脳に送る。
プロミスは走った。彼女自身の目には何も映っていない。だが頭の中には見えている。その感覚は気持ち悪かったが、いまはそれどころではない。
ジンライの攻撃は普段のスピードがないように見える。まるでロボットのような動きだ。それでもヌ=ルマナを地面に釘付けにしていられるのは、リキキマが防御に徹しているからだろう。都合が良い、プロミスはそう思った。高速で動き回られては、ついて行けないのだから。
ジンライの振り回した超振動カッターが、盛大に空振りした。ヌ=ルマナが後退して距離を取ったのだ。いまだ、プロミスはテレポートした。次の瞬間現れたのは、ヌ=ルマナのすぐ隣、斜め上。そのまま顔に向かってドロップキックをかます。しかし。
ヌ=ルマナは左手一本で易々と受け止めた。その目がプロミスを見る。いや、見ていたのは手。切断され宙に躍った己の左手。防御に徹していたリキキマが、攻撃に転じたのだ。
音が禁じられた世界、ヌ=ルマナの叫びも聞こえない。けれどその痛みは伝わった。視界が戻って来た事によって。
ガルアムは待っていた。二本の木を抱きかかえるようにしながら、樹上に飛び出すタイミングを見計らっていた。木々の隙間から見える星空には、何者の姿もない。もちろん音も聞こえない。だが、ニオイがした。タンパク質の腐敗したような、微かなイ=ルグ=ルのニオイが漂っていた。上に居るのは間違いない。
いっそ飛びだそうかとも思った。いかにイ=ルグ=ルと言えど、こちらを即死させるような攻撃は出来ない。最初の一撃を上手く受け止めさえすれば、捕まえる事も可能だ。そう、上手く受け止められれば。
さすがに無理があるか。ガルアムは苦笑した。相手が見えない、音も聞こえない状態で、攻撃を受け止める事など出来ようはずがない。まして相手はこちらに気付いているはず。無意味に深手を負うだけで終わるだろう。
と、そのとき不意に視界が戻って来た。ヌ=ルマナが斬られた事はまだ知らない。ならば何故それに気付いたかと言えば、すぐ目の前に黄金の神人の手が伸びていたからだ。
頭を握り潰そうとしていたイ=ルグ=ルの右手を、咄嗟につかんでガルアムは吼えた。もちろん声は聞こえない。だが思念波は神人に叩き込まれる。至近距離で、しかも物理的接触を伴う思念攻撃に、相手は大きく仰け反った。
それを好機と捉えたのだろう、ポンとガルアムの肩に乗ったかと思うと、跳び上がったのは、おかっぱ頭の子供。その口が開く。大きく大きく開くと、黄金の神人の右耳にかじりついた。
世界が音を取り戻す。洪水のように溢れる音の中に、
神人はそのまま左手の甲でガルアムを打ち据えようと腕を振った。獣王はそれを頭で受けた。しかし右手は離さず、思念波を送り込む。イ=ルグ=ルも思念波で対抗した。その瞬間天空から放たれる、黄金の巨体を貫く閃光。一瞬遅れて爆音が轟く。
止まった。世界中に湧いて出て来た人食いたちの動きが止まった。巨大なゴキブリやカマドウマ、ヤスデやムカデやダンゴムシに囓られても、あるいは獣人に殴り飛ばされても、一切反応しなくなった。ただ横たわり、立ち尽くし、彫像か何の如く動かない。
「何だ? 死んだのか?」
巨大ゴキブリの頭目がつぶやく。隣に立っていたジュピトル・ジュピトリスは空を見上げた。さっきまで浮かんでいた黄金の神人が消えている。
「……いや、違う」
ジュピトルの声が緊張した。
「気をつけて。何かする気だ」
ゴキブリは笑う。
「オレたちに気をつけるなんて言葉はねえよ」
そう言った直後。突然人食いたちが動いた。空に向かって手を伸ばしたのだ。まるでアンテナのように。
「気をつけて!」
ジュピトルが繰り返したとき。
頭の中に声がした。
人間だけではなく、すべての、あらゆる自我に対して届いた言葉。
――おまえは誰だ
「僕は僕だ!」
ジュピトルは絶叫した。
「他の誰でもない! 僕は僕であってそれ以上でも以下でもない!」
心臓は早鐘を打ち、全身に冷たい汗が噴き出す。背後を振り返れば、ナーガとナーギニーが恐怖の表情を浮かべて瞠目している。ジュピトルは駆け寄った。
「しっかりしろ、二人とも」
ナーガは蒼白な顔で声を震わせた。
「ジュピトル様……私は……私は誰なのでしょう」
「落ち着くんだ。君はナーガ。それ以外の誰でもない」
ナーギニーが涙を浮かべて首を振る。
「でも……もうわからない」
「ナーギニー、君がわからなくなっても、僕が君を知ってる。間違いない、君は君だ」
双子は顔を見合わせ、安堵のため息を漏らした。
だが背後から動く気配。ジュピトルが振り返ると、人食いがゴキブリに襲いかかっていた。ゴキブリたちも大半が呆然自失の状態で、されるがままになっている。
ジュピトルはゴキブリの頭目へと駆け寄った。
「何をしてるんだ、逃げろ!」
「オレは……オレは誰なんだ」
「君は君だ、それ以外の何者でもない」
しかしゴキブリは、ジュピトルの言葉を拒絶した。
「そんなはずはない。オレはおまえを知らない。おまえがオレを知っているはずがない」
「違う、君は混乱させられているだけなんだ」
「だったら、おまえはオレの何を知っている」
ジュピトルは絶句した。確かに何も知らないのだ。かけるべき言葉がなかった。
「信じないぞ。オレは何も信じない」
ゴキブリの頭目は、そうつぶやきながら立ち尽くしている。その向こうに、人食いの群れが迫っていた。
ダラニ・ダラは呆然としていた。クリアも、ウッドマン・ジャックも、互いの姿が目に入らないかのようだった。
そこに現れた人影。杖をつき、ターバンとマントに身を包んだ、一本足の人間。
「ダラニ・ダラ。ドラクルとプロミスを呼び戻せ」
しかしダラニ・ダラは不思議そうに見つめ返す。
「アタシは……アタシは誰なんだい」
3Jは即答した。
「そんな事はどうでもいい」
「……どうでもいい?」
虚ろな目で首をかしげる。
「そうだ。おまえの本質が何であろうと誰であろうと、俺にはどうでもいい。俺にとっておまえはダラニ・ダラであり、ダラニ・ダラとしてその能力を使って戦う限り、デルファイ四魔人の一人として扱う。それ以外に何が必要だ」
「まるで能力がなきゃ用なしみたいな口の利き方だね」
ダラニ・ダラの目に光が戻っていた。3Jは平然と答える。
「事実そうだからな」
「まったく、気に入らないガキだねコイツは」
そこに頭上からバキバキと木の砕ける音。ガルアムの巨体が落ちてきた。しかし地面に叩きつけられる直前、その身を回転させて四つん這いで降り立つ。そして横目で3Jたちを見た。
「無事か」
「さすがにおまえには通じなかったようだな」
3Jの言葉に、獣王は小さくうなずいた。
「思念攻撃には耐性がある」
3Jはダラニ・ダラを見た。魔女は不満げな顔でにらみつける。
「何だい、アタシだってほんのちょっとだけじゃないか」
「頭が動いているなら、ジャックとクリアを何とかしろ。後ドラクルとプロミスとリキキマを呼び戻せ」
「増えてんぞ、コラ」
ガルアムが上を見つめる。
「さて、どうする3J」
「おそらく思念結晶は右手にはない。耳は潰したのか」
「ケレケレが食いちぎった」
「ケレケレは上か」
「うむ、イ=ルグ=ルの回りをウロチョロしている」
「イ=ルグ=ルはまだ本性を見せていない。出来れば見せる前に倒したい」
「策はあるのか」
「張った罠に飛び込んでくれる相手ではない。臨機応変が最善の策だ」
さしものガルアムも、これには少々失望したのか、ため息をついた。
「それで本当に何とかなるのか」
「何とかする以外の選択肢はない」
足下に丸く空間が開いて、ドラクルとプロミス、そしてリキキマが戻って来た。
「おいどうすんだ、ジンライだけで大丈夫かよ」
リキキマの言葉に、3Jはこう言った。
「ズマも居る、問題はない。おまえはガルアムとイ=ルグ=ルに当たれ」
「へーへ、ボスには従いまさあね」
そして3Jはドラクルを見た。
「ドラクルはプロミスを連れてエージャンに飛べ」
「飛んでどうするのさ」
「ジュピトルをアマゾンの賢者の像まで運べ。あそこなら世界中にアクセス出来る」
「あの、私も行かなきゃいけませんか」
プロミスはここに残りたそうな顔をしている。けれど。
「バックアップは必要だ」
3Jにそう言われては、返す言葉がない。
と、そこに。
「では私も一緒に行きます」
そう言い出したのは、水色の髪のローラ。3Jは一瞬、何でここに居るんだという顔をしたが、すぐにうなずいた。
「いいだろう」
そしてようやく目が覚めた感のある、ウッドマン・ジャックとクリアの二人に目をやる。
「二人はダラニ・ダラを守れ」
これで配置は決定である。皆は3Jを見つめ、次の一言を待つ。その号令は、静かに、感情のこもらぬ、抑揚のない声で下された。
「始めるぞ」
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