第90話 凶悪の群れ

「ファンロンですか。いけねえや、旦那。あの女はやめた方がいいですぜ」


 雑貨屋の主人の男はそう言った。


「旦那は『プロメテウスの火』って連中をご存じで。ええ、もう壊滅しやしたがね。どうやらその残党を集めて、後釜あとがまに座ろうって魂胆らしいんで」


 男は、話にならない、といった風に首を振った。


「まあ客としちゃ、いい客なんですがね。何せ金払いがいい。かなりのスポンサーが付いてるんじゃないかって、もっぱらの評判でさ。それでもアレは感心しやせんね。危なっかしくていけねえ。……え、居場所ですか。どうしてもってんなら教えますけど、関わるのはやめといた方がいいと思うんですがねえ」


 心配げな男をなだめすかして、ジンライはファンロンの居場所を聞き出した。『プロメテウスの火』は、この世界をDの民から解放すべく戦った過激派組織。ターゲットはオリンポス財閥、中でもジュピトル・ジュピトリスへのこだわりが強かった。その残党を集めているというのなら、目的も同じ可能性がある。


 パンドラに簡単な報告を入れて、ジンライはファンロンの元へと向かった。




 天井と足下から照らされる通路。人の気配はまるでない。どことなく病院を思わせる、ひんやりとした空気。カルロはマヤウェル・マルソの背後を歩く。いったい、いつまで歩くのだろう。もう何キロも歩いた気がする。


 と、マヤウェルが不意に立ち止まった。右側の壁にある認証端末に手のひらを当てると、自動ドアが音もなく開く。振り返りもせずカルロを呼んだ。


「どうぞ、入って」


 真っ暗だった部屋にマヤウェルが足を踏み入れると、自動的に照明が点く。カルロは中をのぞいて息を呑んだ。


 高さは三メートルほどあるだろうか、円柱形の水槽が三本立っている。無数の細かな気泡が延々と湧き続ける薄赤い液体の中に、浮かんでいるのは脳と脊椎のセット。それが三つ。


 マヤウェルは振り返ると微笑んだ。


「ようこそ、我が家へ」


「……我が家?」


「そう、私の家族が集う場所、だからここが我が家」


 家族、マヤウェルはそう言った。この三体の標本が家族だというのか。絶句しているカルロに、マヤウェルは水槽を指さす。


「向かって左から、お母様、お祖母ばあ様、大祖母おおばあ様」


 そしてこう続けた。


「みんな体は別。でも、遺伝子的には同一人物。私も含めて」


 カルロは眉を寄せる。それは、つまり。


「つまり私たちは大祖母様、コアトリー・マルソのクローンという訳。それはいずれ産まれて来るであろう私の娘も同じ。我が家では代々、処女懐胎で次の世代に後を引き継ぐの」


「その、後を引き継いだ者のなれの果てが、これだと言うのか」


「ええ、狂ってるでしょう。我が家では娘が十八になると家督を譲り、当主はこうしてガラスの中に保存される。まるで親の体を食うクモみたい。それもこれも、全部大祖母様が決めた事」


 愛おしげに水槽に触れるマヤウェル。


「何者でもなく何もない、あなたはそう言った。それは失った自分たちにのみ与えられた特権のようなもの、そんな認識をしていたのかも知れない。でも、それなら私は何。私は人であって人ではない。Dの民であってDの民ではなく、マヤウェル・マルソであってマヤウェル・マルソではない」


 マヤウェルはカルロを見つめた。


「心臓のないあなたから見て、私は何に見える?」


「ひどく曖昧あいまいな化け物に見えるな」


 カルロは即答した。マヤウェルはさらに問う。


「私が混沌を求めるのは間違っていると思う?」


「この秩序を破壊したいのか」


「いいえ、ただ私の身を秩序の外に置きたいだけ。そのために世界から秩序が消えても構わない」


 カルロはしばらくマヤウェルを見つめ返していたが、やがて一つため息をつき、そして微笑んだ。


「カオスにようこそ」




 エリア・エージャン北部にある寂れた商業都市。近隣に工業地帯を持ち、中央を大通りが貫いているものの、人影はまばらだ。


 この大通りを真っ直ぐ北へ進むと、すぐにエリアの端に出る。だが道路は途切れない。そのままどんどん北に進めば、やがてデルファイへとぶち当たる。つまりこの街はデルファイを訪れようとする者たちが集まる地域であり、故に治安は悪い。


 その片隅にある酒場。看板も出ていない薄汚れた店のドアが押し開かれる。まだ昼前だというのに、もう何時間もたむろしているのであろう様子の男たちが暗い目を上げた。入って来たのは灰色のポンチョを着た銀色の戦闘用サイボーグ。


 カウンターの一番手前に座っていたリーゼントの若い男が、刺すような視線で立ち上がる。


「悪いな、準備中なんだよ、お客さん」


「ファンロンは居るか」


 サイボーグの返答に、リーゼントは胸のホルスターから銃を抜いた。いや、抜こうとしたのだが、そのアゴを超振動カッターの重い柄尻つかじりが突いた。鈍い打撃音と共にリーゼントの体は浮き上がり、スローモーションのように後ろに倒れて行く。


 床へと崩れ落ちるリーゼント。途端、ぜるように店中の男たちが銃を抜いて立ち上がった。しかしトリガーを引くよりも先に、すべての銃身が切り刻まれる。店の中を風が奔った。


「もうやめな」


 店の奥から声がかかる。動くたびに耳障りな音を立てる茶色い扉の向こうに、東洋風な顔立ちの金髪女が顔を出していた。


「そいつは化け物だよ。おまえらの手には負えない」


 ニヤリと笑うファンロンに、ジンライは近付いて行った。




 店の奥にあったのは、店より広い空間。四方の壁には木枠の棚がかけられ、酒瓶がズラリと並んでいる。その室内に総勢二十名ほどの人間が居た。


 様々な服装と肌の色。互いに微妙な距離を取りながら、誰もが全方位に殺気を放っている。さっき店に居た男たちより輪をかけて凶悪そうである事だけが、唯一の共通項と言えるバラバラの連中。


 新入りとして紹介されるのか、もしくは自己紹介でも求められるのかとジンライは思ったものの、どちらもなく、ただ黒い小さなカードをファンロンから手渡された。使い捨てのネットワーク端末だ。


 ファンロンはアナログ式の腕時計に目をやった。


「そろそろ時間だ。端末を開いてごらん」


 男たちが手に持った端末の中央を軽くタップすると、中空に透明なモニターが立ち上がる。銀行の口座情報が表示されているようだ。結構な金額が入っている。


「それは前金だよ。全員別の口座に振り込んである。成功報酬はこの三倍だ」


 ファンロンの言葉に室内がどよめく。バラバラの凶悪な乱暴者たちの群れが、一瞬にしてある程度のまとまりを持った集団へと変化した。


「じゃあ仕事の話を始めようか。と言っても内容は簡単だ。ただし腕っぷしと度胸が要る。いまのうちなら怖いヤツは逃げ出しても構わないよ」


 男たちの間から笑い声が漏れた。当然のように逃げ出す者など居ない。ファンロンは口元を歪め、こう続けた。


「臆病者は居ないね。いいんだね。ならターゲットの発表だ」


 声を一段落とす。


「……狙いはグレート・オリンポス、そのセキュリティを壊滅させる事」


 誰も驚いた様子はない。皆ファンロンの目的をある程度知っていて集まったのだろう。ただ疑問に思った者は居たようで、部屋の隅から声が上がった。


「セキュリティを壊滅させてどうするんだ」


 ファンロンは首をかしげる。


「さあね。スポンサーの考える事まではわからない。嫌なら降りていいんだよ」


「誰が降りるかよ」


 また笑い声が起きた。集団が組織に変わりつつあるとジンライは感じた。


「集合時間は今夜十時、時間は厳守。それまでは自由だ。好きに羽根を伸ばしな。解散!」


 男たちは三々五々部屋から出て行った。茶色いドアの絶え間なく軋む音。その人の流れの中に、ジンライは妙な視線を感じていた。




 男は酒場を出て、とりあえず飯の食えそうな店を探した。黒い肌にドレッドヘアー。さっき酒場の奥に居た連中の中では、自分は唯一の常識人だろう、そう思っていた。しかしそれにしても驚いた。何故アイツがあんなところに。


 男の足が止まった。後ろを振り返る。誰かがつけて来ている様子はない。男はまた歩き出した。と思うと急にダッシュ、路地へと駆け込んだ。やがて路地の奥にまで走ると、不意にビルの壁に向かって飛びついた。


 ピタリ。男は壁に止まった。そしてスルスルと垂直な壁を登り始める。まるでトカゲかヤモリのように。二十メートルほど登り、男は下に目をやった。誰も居ない。


「……気のせいか」


「貴様とは会った事がある」


 その声は上から聞こえた。男が慌てて振り仰ぐと、そこには宙に浮く銀色のサイボーグ。


「あっ」


「確か『デキソコナイ』のところだったな。『プロメテウスの火』の残党か」


「てめえ、やっぱり3Jの」


 ドレッドヘアーの男、リザードは迷った。逃げるか。だがどうやって。一方ジンライは特に手を出す気配もなく、静かに問う。


「何故、拙者の事をファンロンに告げなかった」


「べ、別に、そこまでする義理はないってだけだ」


「金さえもらえれば、それでいいと」


「悪いかよ。いまは金が要るんだ。ボスやあねさんが戻って来たときのために」


「二人は戻って来ない」


 断言するジンライに、リザードは目を見開き、言葉を失った。


「……何で」


 ようやくそれだけ絞り出す。ジンライは静かに答えた。


「ハーキイ・ハーキュリーズは死んだ。オーシャン・ターンに殺された」


 厳密に言えば違うのかも知れない。けれどそれはいま問題にすべき事ではなかった。絶句するリザードに、ジンライは続けた。


「しかしプロミス・ターンは生きている。デルファイの中だがな」


「本当、なのか、それ」


 愕然としながら、リザードはたずねる。


「貴様を騙すメリットは拙者にはない」


 ジンライの返答を受けて、リザードは思わず右手で顔を覆った。


「生きてた……ボスが生きてる……良かった」


「死んでいると思っていたのか」


「思ってねえよ!」


 涙目で反論する。


「思ってなかったけど、信じてたけど、ただあきらめそうにはなってたんだよ。そうなんだ、生きてるんだ」


 味方かどうかもわからない相手の話をこうも簡単に信じるというのは、テロリストとしてどうなのだろう、ジンライはどうでも良い事が心配になった。とは言え、恩は売れるときに売っておくに限る。


「貴様に一つ、忠告しておいてやる」

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