第85話 逆鱗

「ドラクル? ああ、あの夜の王か。うむうむ、確かにこのところ何度も顔を見せていたね。どうやら、さらに会いに来ていたようだのだけれど」


 西の森の魔人ウッドマン・ジャックはパイプを手にうなずく。部屋の入り口に立ち、3Jはたずねた。


「いまどこに居るかわかるか」


 するとジャックは、隣の何もない空間に顔を向けた。


「いまはわからない、と言っているね」


「何故わからない」


 3Jもジャックの隣に目をやる。ジャックは首をかしげた。


「消えてしまった、なのだそうだね」


「ダラニ・ダラ」


 3Jは天井を振り仰ぐ。そこには暗闇が浮かび、中から老婆の顔が逆さにぶら下がっている。


「何だい、またタクシーかい」


「閉鎖された空間を探し出す事は可能か」


 3Jの言葉にダラニ・ダラの眉が寄る。しばし考えてこう答えた。


「ただ探せって言われてもね。閉鎖された空間なんてものは、外から見れば点でしかない。海岸で砂粒を一つ探すようなもんだ」


「つまり難しいが不可能ではない」


「まあ都合良く考えるんなら、そういう事だね」


 3Jは再びジャックの隣を見た。


「ドラクルがどこで消えたか教えてくれ」


 するとジャックは壁を指さした。空中に大きなモニター画面が開き、世界地図が浮かび上がる。指が移動する。北米大陸をクローズアップ。次にエリア・レイクスの南をクローズアップ。その少し西をクローズアップ。もう一段階クローズアップ。そこは砂漠化した荒野の只中。


「この辺りらしいのだけれど」


 ジャックは画面の中央に指を向けている。


「どうだ」


 それはダラニ・ダラに向けられた3Jの問い。


「干し草の中から針を探す程度には見つけやすくなったさ」


 そう言って魔女は、迷惑そうなため息をついた。




 ドラクルはローラを連れてテレポート。だが数メートルしか飛べない。荒野にヌ=ルマナの高笑いが響く。


「無駄だ、無駄だ。まるで無意味だ」


 けれどドラクルは懲りずにテレポートする。数メートル飛んでは地面に落ちる。飛んでは落ちる、その繰り返し。白い息が激しく吐き出された。


「もう少し骨があるかと思ったのだが」


 ヌ=ルマナの口元が歪む。そして何度目かのテレポートの後、地面に落ちようとしたドラクルの首を、六本の腕の一つが鷲づかみにした。宙吊りにされる夜の王。


「どうした、もう終わりか」


 そう『宇宙の目』がわらったとき、ドラクルは右手を振るった。


「ゴー!」


 その声と共に、ヌ=ルマナの体の内側から無数の氷の棘が飛び出し……は、しなかった。


「それが奥の手か」


 大きな両目が輝いた。


「おまえの能力など、ヴェヌが知っておる。その程度の力で、神たるこの身に傷一つ付けられるものか」


「くっ」


 ドラクルの顔が苦痛に歪む。ヌ=ルマナの手刀が胸に突き立っていた。指先が鳩尾みぞおちに刺さる。ゆっくりと、ズブズブと音を立てながら、手刀は肉を切り裂き、体内へと入り込んで行く。斜め上に、斜め上に。そして手首まで埋まったかと思うと、内側で心臓を握った。その手を一気に引き抜く。


 引きずり出され、血管を引き千切られても、まだ動く心臓。ヌ=ルマナはそれをしばし見つめると、ゴミのように投げ捨てた。


「心臓を失っただけでは死なぬのだろう。首を斬るのか」


 ドラクルは、いまだ強い視線でヌ=ルマナを見つめていた。しかし吐く息は弱々しくなって行く。


「いいえ、ヌ=ルマナ様」


 左後頭部のヴェヌが言う。


「首を斬ってもバラバラにしても、この男は死にません」


「ほう、それは面倒だな」


 言葉とは裏腹に楽しげな声。ドラクルの首をつかむ手に力が入る。


「ならば全身のあらゆる細胞を切り離してやろうか」


 そこにパン、パンと乾いた音が二つ。


 ローラがデリンジャーの銃口をヌ=ルマナに向けていた。だが、神に銃弾など効く訳がない。二つの弾丸はヌ=ルマナの顔の数センチ手前で宙に浮いている。黄金に輝く神は視線すら動かす事もなく、ドラクルをローラに投げつけた。二人の体はもつれ合いながら、土煙を上げて転がって行く。


「つまらぬな」


 ヌ=ルマナの言葉を聞いて恥じ入ったかのように、浮いていた弾丸が地面に落ちた。その地面に足音が聞こえる。テンプルたちカオスのメンバーが追って来たのだ。息を切らせる事もなく、ただ魚の死んだような目で走る者たち。


 ローラはドラクルをかばうように立ちはだかる。


「……よ、せ」


 ドラクルは倒れたまま立ち上がる事が出来ない。カオスのメンバーたち九人は、ヌ=ルマナの前にひざまずいている。


「この二人はおまえたちに任せよう。聖贄せいさんとするが良い」


 そう言うヌ=ルマナに頭を下げると、テンプルたちは立ち上がり、ローラを見つめる。


「みんな目を覚まして! あなたたちは操られているの!」


 ローラの叫びも届かない。かつて共にカオスを構成した面々は、いま不気味な薄ら笑いを浮かべて二人に近付きつつあった。そのとき。


 天が割れた。


 稲妻のように走る亀裂から差し込む太陽の光。そこから突き出す黒い八本の棒が、巨大なクモの脚だと気付いた者が居るだろうか。亀裂が左右に押し広げられる。まぶしい陽光の中に巨大な老婆の顔が浮かんだ。


「さっさと出て来な。面倒臭い」


 ヌ=ルマナが振り仰ぎ、ダラニ・ダラをにらみつけた瞬間。ドラクルは勢いよく立ち上がると右腕でローラを抱え、水平に飛んだ。着地して拾い上げたのは、地面に落ちた自らの心臓。そして二人の姿は消えた。しかし。


 上空数十メートルにドラクルとローラは現われた。身動きが取れない。地上ではヌ=ルマナが彼らに向けて手を伸ばしている。


「神の手の内から逃げられると思うてか」


 天の亀裂は完全に開き切った。抜けるような青空。そこに浮かぶダラニ・ダラは、ドラクルたちを助けに来ない。宙に浮かび距離を取る。『宇宙の目』はその意味を見通した。


「馬鹿な!」


 慌てて張った思念シールドに、強烈な衝撃。体は勢いに押され、大きく後ずさった。ヌ=ルマナは理解した。これが何者による攻撃なのかを。


 距離にして一万キロ以上。地平線の彼方、地球の丸みの向こう側から、自律型空間機動要塞パンドラによる超ロングレンジの精密ビーム砲撃。


 ヌ=ルマナは再び空を見た。もうドラクルもローラも、ダラニ・ダラも居ない。地面に目を下ろすと、シールドによって防ぎ切れなかったビームに焼かれ、カオスのメンバーはテンプルを含め四人になっていた。他は蒸発してしまったのだろう、跡形も残っていない。


「……3Jめ」


 ヌ=ルマナはしかし、ニッと笑った。


「甘いわ、小僧」




 デルファイはもう日が暮れている。南の街、聖域サンクチュアリの繁華街の片隅に、ドラクルとローラは現われた。正面の店には明るい看板があり、『銀貨一枚』と書かれている。


「ボクはここまでだ。後はこの店でたずねるといい」


 ローラは不安げな様子もなく、しばらくその看板を見つめると、不意にこう言った。


「ねえ、聞いていい」


「何」


「どうして私を助けてくれたの」


 ドラクルは一瞬悲しげな目をしたものの、すぐに微笑みを浮かべて答えた。


「何となく、としか言えないな」


「……そう」


 ローラはうなずいた。


「ありがとう。このお礼はいつかするから」


「期待しないで待ってるよ」


 そう言い残して、ドラクルは消えた。


 ローラは店のドアを開けた。その向こう、カウンターに居たウズメは、しばし唖然とすると、突然顔を覆って泣き崩れた。




 ドラクルは西の森、ウッドマン・ジャックの小屋に姿を現わした。部屋にはジャックと3J、天井には逆さにぶら下がるダラニ・ダラ、そして部屋の隅には、青い空色の着物を着た少女、さらが居た。


「どうであった」


 さらは笑顔でたずねる。


「おまえの想い人であったか」


「……いいや」


 ドラクルは首を振った。そして3Jに顔を向ける。


「助けてくれた事には感謝する」


 ドラクルの顔には不満がありありと現われていた。


「だが他人のプライバシーに干渉するのは、やめてくれるかな」


「時と場合による」


 3Jは平然と返した。


「おまえには、そう簡単に死なれては困る」


「簡単に死ぬつもりなんてない」


「ならばいい」


「良くはない!」


 ドラクルは感情的になって声を荒げた。


「前から言おう言おうと思ってたんだ。その何でもかんでもわかってるような顔はやめろ。誰でも彼でもコマみたいに動かせると思うな。ボクらはおまえの道具じゃない」


「そうか」


 3Jは感情のこもらぬ、抑揚のない声でこう答える。


「生きる理由でも見失ったかと思ったのでな。元気そうで何よりだ」


 ドラクルは何か言おうとしたが、その言葉をぐっと飲み込んで背を向けた。


「とにかく、礼は言ったからな」


「ああ、確かに聞いた」


 3Jの言葉を待っていたかのように、ドラクルは姿を消した。


「何だい何だい、吸血鬼にもややこしい年頃があるってのかい」


 天井のダラニ・ダラがため息をつく。ウッドマン・ジャックも笑う。


「ぬほほほほっ、逆鱗は誰にもあるのだな、と思うのだけれど」


「そうだな。逆鱗があるのは龍に限らない。人間にも、吸血鬼にも、そしておそらく神にもある」


 3Jは部屋の隅、何もない空間を見つめた。そこはさっきドラクルが見つめていた場所。


「さらに言っておいてくれ。近いうちに次がある。かなり厄介な事が起こるはずだ。少しでも早く情報が欲しいと」


 ジャックはうなずき、3Jは立ち上がった。その一つしかない目には、既に次の戦いが映っている。

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