第69話 おやすい御用
四千メートルの壁の向こうから日が昇る。空が白む前から動き始めた隊商は、日が昇ると同時に森へとトラックを入れた。トラックのギリギリ一台通れる幅の道が奥に続いている。しかしそこを快適にドライビング、とは行かない。
少し走るとツタが網のように絡まっていた。トラックの馬力なら突っ切る事も出来るだろうが、それをすると木が倒れてきて帰り道が大変になる。なので、いちいち手斧やナイフで切り落とさねばならない。
そしてまたしばらく走ると、今度は倒木が道を塞いでいる。トラックは車高が高いので一本くらいなら踏み越えられるものの、今回のように三本も重なると難しい。不可能ではないが、車の故障と引き換えになる。ここは無理をせず排除する事にした。時間はかかるが仕方ない。
倒木の三本がそれぞれ重なる点に少量のプラスチック爆薬を仕掛け、爆破する。轟音が森に響き渡り、積み上がっていた三本の木は仲良くバラバラに地面に並んだ。それを踏み越えてしばらく走ると今度は大きな岩が落ちていて、という具合に、次々に問題が発生する。
プロミスは商人たちから、運転席の後ろにあるベッドで横になっていてもいいと言われていたのだけれど、こう立て続けにトラブルが起きるのでは、おちおち寝ても居られない。結局横にはならずに、何やかやと作業を手伝っていた。正直眠いが仕方ない。それに気になる事もある。
昨夜見た女の子、あの空色のキモノを着た女の子は、いったい何なのだろう。人でもなければ生体兵器の類いでもない。とても不思議な存在。できればもう一度会いたい。会って話がしてみたい。具体的に話し合いたい事がある訳でもないが、何となくそう思っていた。
何のかんので三時間ほど森の奥に向かってトラックは走り――実際に走った時間はその半分だが――ようやく開けた場所に出た。そこにはトラックが方向転換出来るほどのスペースがあり、一番奥に木造の小屋が建っている。
運転席から、そして荷台から、商人たちが降りた。プロミスも後に続いて降りる。商人たちは身なりを整えて帽子を取り、小屋の入り口を見つめていた。するとそのドアが開き、中から人影が出て来る。
人影と言っても人間のシルエットではない。身長は二メートルほどあるだろうか、三頭身のずんぐりむっくり、麦わら帽子を頭にちょこんと乗せ、丸首シャツにオーバーオール、右手にはタバコのパイプを、足には長靴を履いた、針葉樹の樹皮の如きシワシワの肌をした者。プロミスはちょっと感動した。これが魔人ウッドマン・ジャック。この広大な森にたった一人で暮らす管理人。
隊商のリーダーが頭を下げた。
「ウッドマン・ジャック様、いつもお世話になっております」
他の商人たちも頭を下げる。プロミスも釣られて頭を下げた。ジャックは上機嫌でパイプをふかしている。
「いやいや、何の何の。それはお互い様であるのだね。それより、今回はどんな具合なのだろうね」
すると一番後ろに立っていた商人がトラックの荷台を操作し、側面の電動ウイングを開いた。荷台に乗り込み、積み荷の木製コンテナの蓋をバールで開ける。
「ご注文のタバコの葉が百、コーヒー豆が百、フィルターが三十に有機肥料が二十、揃っています」
そう言えば積み荷の内容を聞いていなかったな、とプロミスは思う。昨今タバコもコーヒーも高級品である。もちろん化学合成された代用品は安価に流通しているのだけれど、本物にはなかなかお目にかかれない。だが何であれ、あるところにはあるのだ。
「ふむふむ、それで今年の出来映えはどんなものかと思うのだけれど」
ジャックはトラックに近付き、コンテナをのぞき込んだ。若い商人は言う。
「仲買人の話では、タバコもコーヒーも、品質的には良好だそうです。ただ」
ジャックは笑った。
「ぬほほほほっ、その分、値段が張ると言うのだね、まあまあ、それは商売なので仕方ないと思うのだけれど」
そのとき、プロミスは気が付いた。森がざわめいている。静寂の向こうにある無音のざわめき。商人たちはまだ気付いていないようだが、知らせるべきだろうか。
「その心配は要らないのだね」
そう言ってジャックが振り返った。ざわめきが近付いてくる。森の奥から現われる影。うねうねと蠢く、緑色の長い物がたくさん。その向こう側には毒々しい赤の、歪んだワイングラスのような捕食袋が見えている。これがオニクイカズラか。植物なのに歩くんだ、さすがデルファイ、とプロミスが思ったとき。
あ。
赤い捕食袋の縁に、空色の小さな点が見えた。プロミスには一目でわかった。昨夜のあの女の子だ。
オニクイカズラの蔓はトラックへと伸びてきた。荷台を伝い、無数の緑が積み荷のコンテナへと伸びる。何とコンテナを持ち上げたではないか。さらにそれをジャックの小屋へと運んで行く。
そしてコンテナを運び終えたオニクイカズラの蔓たちは、再びトラックの荷台へと伸び、そこでグルグルと渦を巻き出した。その渦が荷台の半分を埋めたところで、プツン、プツン、プツン、蔓は自切を始める。こうして誰の手を借りるでもなく、オニクイカズラの蔓と、タバコなど商品との物々交換は成立した。
そのとき、プロミスの脚をつつく者がいた。下を向くと、空色のキモノを着た女の子が微笑んでいる。女の子は小屋の方に向かって駆けて行くと、プロミスを手招いた。ウッドマン・ジャックと商人たちは、来年の商談に入っている。もうしばらく時間はかかるだろう。プロミスは女の子について行く事にした。
その頃、エリア・エージャンはひっくり返らんばかりの騒ぎだった。午前の始業時間帯に、オリンポス財閥からすべてのメディアとネットワークに向けて通知が出されたからだ。財閥の総帥ウラノスが引退し、ジュピトル・ジュピトリスにそのすべてを譲り渡すと。
それはメディアはもちろんのこと、オリンポス財閥内部の人間もまったく寝耳に水だった。当然、財閥傘下企業の経営者の中には反発する者も居た。ウラノスに対して総帥辞任を迫る声もあったが、ウラノスはこう返答したという。
「この決定に異論を差し挟む者は、敵と見なす」
オリンポス財閥総帥という立場を外して見ても、ジュピトリス家の財力は中規模エリアに相当する。これを敵に回して無事に済む企業が、エリア・エージャンに存在する訳はなかった。
無論、すべての財閥傘下企業が力を結集すれば、太刀打ちもできたのかも知れないが、集団を作れば誰かが先頭に立たねばならない。つまり矢面に立つという事だ。それを望む者が誰も居ない以上、力の結集など出来ようはずもない。
一方、ネットワークの住人たちは、世間とは違う反応を示した。ネットワーク上では、「スケアクロウ=ジュピトル・ジュピトリス説」を支持する声が、日に日に大きくなっている。このタイミングで、ウラノスからジュピトルへの禅譲である。これは偶然ではあるまい、何かあるぞ、そんな意見が当たり前のように一人歩きしていた。
夕方に会見を開く予定。オリンポス財閥からの通知はそう結ばれていた。エリア・エージャンの人々は、そしてネットワークの住人たちは、夕方を首を長くして待ち望んだ。
「ワタイの名前は、さら。東の端からやって来た、水の神だ」
小屋の前に置かれたコンテナの上にちょこんと座って、女の子、さらは言った。
「神……様」
何故だろう、疑う気持ちはまるで起きなかった。プロミスはただ、自分も名乗るべきなのだろうかと、そんな事ばかりが気になっていた。しかし。
「知っておるよ、プロミス」
さらは微笑む。
「おまえの事も、親の事も、吸血鬼になった
プロミスの胸が熱くなる。だが涙は出ない。吸血鬼だから。
「ワタイには見守ってやる事しか出来ん。おまえを人間に戻してやる事も出来ん。役に立たんでごめんな」
そう笑顔で言うさらに、プロミスは首を振った。充分だった。自分の事を、本当の自分の事を知っていてくれるというだけで、他には何も要らなかった。
「ここはいいところ、と言うのは語弊があるが、ワタイには住みよい場所だ。ワタイを見える者が何人も居る。だが、肝心な者には見えんのだな、これが困った事に」
さらは、遠くを見つめながら言うと、再びプロミスに向き直った。
「そこで、だ。おまえに伝言を頼みたいのだが」
「伝言、ですか」
もちろん、断るつもりなどない。相手が誰であれ、伝言くらいおやすい御用である。神様のためならば。プロミスはそう思っていた。
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