第15話 夜の城

 君は言った


「どうして優しくしてくれるの?」


 僕は言った


「だって僕はお父さんだから」


 僕は言った


「君に世界を見せてあげる」


 僕は言った


「世界は広いんだ。こんな場所より、もっともっと、ずっと広いんだ」


 僕は言った


「空を見てごらん。星を見てごらん。すべては君の物でもあるんだよ」


 君は倒れた


 僕のせいだ


 血まみれで


 あちこちが吹き飛ばされていた


「もう助からない」


 誰かがそう言った


 僕は言った


「いやだ、死なないで! 僕を一人にしないで!」


 燃えている


 世界が燃えている


 人々が死んでいく


 恨みの声を上げながら


 燃える世界の中に


 ただ一人立つのは誰?


 嗤っている


 何も出来ない僕を嗤っている


 炎の中に立つ


 巨大な一本足の影は


 僕を見下ろしてこう言った


「こんな事で死ぬ訳には行かないからだ」




 目が開いた。自分の息の音に驚く。激しい鼓動に胸が痛む。全身に汗をかいている。ジュピトル・ジュピトリスは静寂の中に身を起こした。自分のベッド。自分の部屋。いつもと変わらない、優しい暗闇。


「夢……」


 忘れてはいない。いや、忘れた事などない。そのつもりだった。だがもしかしたら、自分はどこかで忘れたいと願っていたのかも知れない。思い出す事を恐れていたのかも知れない。だからこんな夢に怯えるのではないか。


 ジュピトルはつぶやいた。


「ジュニア」


 それは懐かしく悲しい名前。ジュピトルは一人だった。一人きりだった。あの日から、いまもずっと。




「永劫の輪にて待て」


 カンザブロー・ヒトコトが発した、イ=ルグ=ルの残した言葉の中で、ただ一つ、これだけが理解も推測も出来ない。まるで意味がわからない。もしかしたら、意味などないのかも知れない。イ=ルグ=ルが意味のない言葉を発しないとは限らないからだ。だが、そうではなかったとしたら。何かのヒントが、この言葉の中にあるのだとしたら。


「それは何だ」


 3Jは空を見上げた。無数の星が見下ろしている。あの日と同じように。


「ねえ3J」


 耳元で声がした。清澄な女性の声を指して『鈴を転がすような』という表現があるが、まさしくそんな声だった。


「ベルか。どうした」


「ちょっと気になる動きがあるんだけど」



 何もない。起伏がない。眠気を誘う無味乾燥とした風景が延々と続く早朝の荒野を、ガソリンエンジンの四輪駆動車が走る。モノとしては骨董品に近いが、長距離を走る事が前提であれば、まだ電動バギーより頼りになるのだ。


 ナビゲーションシステムはおろか、地図すらも頼れない場所である。時折停車し、緯度経度を測量しながら前進を続けた。


 夜中に出発して、すでに六時間が経過している。交替で運転しているとは言え、いい加減疲れる頃合いだ。


「まだ見えないんスかねえ、目的地」


 黒い肌にドレッドヘアのリザードが、後部座席で泣き言を漏らし始めた。


「それ以上愚痴るんなら放り出すよ」


 隣のハーキイがにらみつける。


「えー、愚痴くらい勘弁してくださいよ姉さん」


「他のヤツなら許すけど、おまえは絶対に許さない」


「何でですか」


「ムカつくから」


「ボス、こんな事言うんスよ。何とか言ってくださいよ」


 運転席のプロミスは楽しそうに笑った。


「今日だけは許してあげなよ。リザード居ないと困るんだから」


「ほら、ボスもこう言って」


「あ、あれ!」


 プロミスは叫び、前方を指さした。


 荒野の真ん中にポツンと、ビルが建っている。周囲に建物は見当たらない。おそらく神魔大戦の際、他の建物は吹き飛んだのに、様々な偶然が重なったのだろう、このビルだけが倒れず残ったのだ。


「あれだよね。あれしかないもんね」


 車は止まった。ハーキイが銃を背負って降りる。眉間にシワを寄せながら。


「気のせいかね、物凄い嫌な感じがするんだけど」


 反対側からリザードが降りた。


「でもアレなんでしょ。太陽が昇ってるから大丈夫なんスよね」


 そう、金星教団のヴェヌはそう言っていた。ここは夜の眷属の集う場所。よって攻めるなら昼間だと。


 プロミスは自分の銃を確認しながらつぶやいた。


「『夜の城』か」


 プロミスも車を降りた。さすがにホテルで食事をする訳ではないので、車を横付けとは行かない。そんな事をしてロケット砲で狙われれば、一発で全滅する。ここからは散開しながら進むしかあるまい。もっとも、周囲には身を隠す物が何もない。つまり相手から丸見えである。よって狙撃される危険性はあるのだが、それを言いだしたら何も出来ない。


「お金もらっちゃったしねえ」


 プロミスは駆け出した。


「あー、三倍くらいふっかけるんだった」


 ハーキイも走る。


「世知辛いっスねえ」


 リザードが後を追った。




 すべてのガラスが破れ落ち、コンクリートがむき出しになった十五階建てのビル。その最上階に佇む人影があった。柱の陰から外を見つめる、真っ赤なセーターに黄色いマフラーを巻いた、青白い顔の男。夜の王、ドラクル。そこに女の声が。


「いかが致しますか」


 赤いロングドレスの女が立っている。年の頃なら二十二、三と見える。人間ならばの話だが。油を塗ったような長い黒髪をなびかせて、一歩近付く。ドラクルは小さく微笑んだ。


「そうだね、お腹はすいたね」


 女は気の強そうな目を伏せ、頭を下げる。


「心得ましてございます」


「でも君たちはいいの。寝床に土足で入ってくるんだよ」


「王の望みは我らが望みにございますので」


「それなんだけどね、エリザベート」ドラクルは優しげに微笑んだ。「ボクは君たちの王にはなれない」


 しかしエリザベートと呼ばれた女は、微塵も動じる事はなかった。


「王には自由がございます。王には勝手が許されます。我らはただ、忠誠を尽くすのみ」


「どうしてそこまで王様が欲しいのかな」


 溜息をつきながら、ドラクルはたずねた。そこには心なしか同情も垣間見える。エリザベートは静かに、感情を抑えてこう答えた。


「夜の眷属には、もう行く場所がございません。醜く穢れた我らには、人間世界に居場所はなく、デルファイに安住できるほどの強い能力もないのです。いまはただ、今日を生きる理由と、明日の死に場所だけを望んでおります。夜の王よ。どうぞ我らのわがままな忠義立てをお許しくださいませ」


 困ったな、ドラクルはそう顔に書いてはいたが、それ以上の拒絶を示す事はなかった。




 ビルの壁にまで達すると、リザードは小銃を背負い、コンクリートに両手をかけた。そして。スルスルと、まるで重力などないかのように、素早く壁面を登り始めた。その姿はまさにトカゲの如し。


 そうして一階から十五階まで偵察したリザードは、またスルスルと、ビルの下で待つプロミスとハーキイの元に戻ってきた。


「誰も居ないっスよ」


 プロミスとハーキイは顔を見合わせた。


「間違えた、なんて事はないよね」


 プロミスの言葉にハーキイは首を振る。


「位置座標的には、ここ以外あり得ない」


「じゃあ何で誰も居ないんだろう」


「嘘を教えられた可能性はないっスかね。……いや、ないな」


 そう言ったリザードに、ハーキイがうなずく。


「イタズラを仕掛けたにしちゃ、もらった金額が多すぎるからね」


「だよね。だとしたら」


 プロミスがそう口にしたとき、三人の顔が合った。そしてハッと気付き、同じ言葉が飛び出す。


「地下だ」



 小銃に取り付けた、三つのフラッシュライトが闇を照らす。地下一階のフロア。三人の足音が反響している。


「こら、くっつくんじゃないよ」


 先頭に立つハーキイがリザードを叱った。


「いや、そうは言いますけど、姉さん」


「何だい、暗いのが怖いのかい」


「そりゃ、この状況で怖くなかったら問題でしょ」


「へ、なっさけないねえ」


「ね、ボス。どう思います。こんな事言うんですよ」


 プロミスは呆れて口が塞がらない。


「ちょっと二人とも、緊張感なさ過ぎ」


「ホントにね」


 その男の声がした方向に、ハーキイは迷わず銃弾を撃ち込んだ。しかし誰も居ない。


「い、いまのは?」


 リザードは後ろに向けて銃を構えた。


「気をつけな。お出ましだよ」


 ハーキイはライトを振る。プロミスも左右に振った。だが誰の影も浮かび上がらない。


「どこに居るの。出てきなさい!」


 プロミスの声に、闇が反応した。


「出て行ったら撃つじゃないか」


 すかさずハーキイが声の方に撃ち込む。


「おまけに耳がいい」


 さらに撃ち込む。だが、やはり誰も居ない。ハーキイがつぶやいた。


「弾切れ狙いかよ」


「そうだよ」


 闇の声は言った。


「昼間は苦手でね。できればケガはしたくないんだ。撃たれたら痛いし」


「じゃあ、撃たない」


 プロミスは答えた。


「ハーキイもリザードも撃つのをやめて」


 これにはハーキイも目を丸くする。


「え、マジか」


「取引しましょう。私たちが来た理由はわかってるんじゃないの」


 声も応じた。


「あの丸いヤツかな」


「そう、あなたが奪ったそれを返して欲しい。二つを盗んで、一つが壊れた事は知ってる。だから残りの一つを返してくれたら、私たちは黙って出て行く。ここの事は金輪際、誰にも話さない。どう?」


「それはなかなか素敵な提案だ」


「そうでしょ。だったら」


「あまりにも身勝手過ぎて、ちょっと魅力的に思えてしまうね」


 その声には、静かな怒りが透けて見えた。


「そもそも、君たちはあれが何なのか、知ってるのかな」


 プロミスは答えない。答えられない。


「知らないよね。知ってたらこんな提案する訳がないから」


「でも命には代えられないでしょう」


 プロミスは口にしてから、しまったと思った。この言葉は、追い詰められた者が出す言葉。これ以上後がないという、お手上げのサイン。その事を、相手は充分に理解していた。


「代えられるよ」


 闇は嗤う。


「あれは、命に代えられる物なんだ」

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